舞台は旧制中学の寄宿舎。身寄りをなくし、心に埋めがたい孤独と屈折を抱えた少年の「私」を優しく受け止めたのは、美しい後輩の少年だった……。現代でも通用しそうなBLの設定ですが、著者がノーベル賞作家の川端康成と知ったら、どうでしょうか。

 1951年の刊行以来、単独の書籍としては約70年ぶりに川端康成の「少年」が復活。2022年3月28日に新潮社より発売されます。

 1968年にノーベル文学賞を受賞し、志賀直哉の跡を継いで第4代の日本ペンクラブ会長も務めた川端康成。掌編小説、私小説の名手として知られ、作品は「雪国」や「伊豆の踊り子」など映像化されたものも多い作家です。

 そんな川端ですが、幼い頃に両親と死に別れ、姉(13歳で夭折)とも別れて祖父の元で暮らし、失明し寝たきりとなった祖父を看取るという、今でいうヤングケアラーとして少年時代を過ごしました。その頃の日記をもとにした作品「十六歳の日記」に記されていますが、身寄りをなくしたことにより、1915年3月に通っていた中学校の寄宿舎に3年次から入ることになります。

 父母の愛を知らず、数えで16歳(満14歳)という多感な時期に天涯孤独の身となった川端は、屈折した心情を抱きながら寄宿舎に身を寄せます。自分も若死にするだろうと怯える彼の前に現れたのが、同室の「清野少年」でした。

 清野は1級下の2年生。モデルになった人物を、川端は「こんな女を妻にしてもよかろうと思う位柔和な本当に純な少年だ」と日記に記しています。

 当時「まだ少女よりも少年に誘惑を覚えるところもあった」という川端。清野から愛情を寄せられ、寝床で互いに抱き合って眠るなどといった関係となります。

 2人の関係はスキンシップという枠を越え、うなじや唇を許すまでに。「お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した」とまで情熱的に書き綴る関係は、卒業後に川端が上京しても続きました。

 しかし、ある出来事をきっかけに、2人の関係は終わりを告げます。川端22歳の夏、京都は嵯峨でのことでした。

 肉体関係の一線は越えなかったものの、これほど長く続いた関係が突然終わってしまったのはなぜか。そしてこの顛末を、50歳になった時期(執筆期間は1948年~1949年)に自伝小説としたのか……。

 2人の関係について、のちに「それは私が人生で最初に出会った最初の愛」や「初恋」と称し、さらに「それから50歳まで私はこのような愛に出合ったことはなかったようである」と記した川端。BL文学の嚆矢とも思える作品が「少年」なのです。

 目黒書店から1951年に刊行された「少年」。全集には収録されていますが、単独の復活は約70年ぶり。新潮文庫として3月28日に発売されます。本体価格は税込539円となっています。

情報提供:株式会社新潮社

(咲村珠樹)