「犯罪者の子供と自分の子供を遊ばせられる?綺麗事言わないでよ」
なんとなくニュースを見ていたところ、コメント欄でこんな意見を発見しました。
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書き込まれていたのは、離婚を望む妊娠8カ月の妻に対し、「離婚するなら子供を堕ろせ」と堕胎目的で暴行を加えた元夫が逮捕された事件のニュース。妻は切迫流産の疑いがあることから即入院したものの、その後体調が安定し子供は無事。約2週間後に離婚が成立し、元夫は不同意堕胎致傷の疑いで12月2日に逮捕されました。
「最近こういう嫌な事件が多いな。」と読んでいただけなのですが、記事に並ぶコメントには「お子さん無事でよかった」「大切に育ててあげて欲しい」という応援のコメントともとに、「蛙の子は蛙。この子の将来を考えれば堕ろせばよかったのに。」「この夫の子を産みたいと思う母親の気がしれない」という辛辣な意見も目立ちました。
その中で凄く気になったのが冒頭のコメントです。二人の子を持つ親として、凄く考えさせられるなと。
■生まれた環境だけで人間性を決めつける?
人の意見は賛成する声もあれば、批判する声もあっていいと思います。
ただ、生まれた環境だけで人間性を決めつけるのには個人的に違和感を覚えます。
でも、ネットの意見を見る限りでは、「決めつける」という人も少なくない様子。さらに、実際その立場になった時には迷う人も多い雰囲気。
冒頭コメントに対しても、真っ向から立ち向かう人はおらず、「犯罪者の子供と自分の子供を遊ばせられる」という考えは、実際になると「綺麗事」というのが世間の本音のように見えて仕方ありません。
■同級生の父親は暴力団組長
これは私の経験になりますが、小中学校をともにした同級生の中に、暴力団組長の子供がいました。いつもはつらつとしていて、クラスでは人気者の部類だったと思います。
この環境を異常と思ったことはありませんし、親から「遊ぶな」と言われたこともありません。周りの友達含め誰も親のことは気にしていない雰囲気でした。一応当時からも近所の噂で知ってはいましたが、「へーそうなんだ」程度の話。友達は友達として子供同士は無邪気に遊ぶ環境だったのです。
そんな子供時代をすごして、大人になり、ふと好奇心からその子の親について調べたことがあります。
すると、中学校1年ぐらいの時に、その子のお父さんが逮捕されたという記事を見つけました。直接何かしたわけではなく、組員絡みで逮捕された様子。当時新聞などで報道されているので、周りの大人達はもちろん知っていたと思います。
しかしそんなことがあったとは、大人になるまで全く知らず。恐らく大人達が子供には知らせないでくれたのでしょう。そしてその頃を思い返しても「遊ぶな」と言われた覚えは一切ありません。
ただ、そういえば……と思うのは、ある時お母さんから「ちょっとしばらくはお家に遊びに行かない方がいいかもね。忙しいみたいだから。来てもらうかお外で遊ぶといいよ。」と言われたことぐらい。今思えば事件の頃だったのかも。
ちなみにその子の今ですが、普通に家庭を持ち、普通に暮らしています。もちろん、犯罪とは無縁の生活を送っています。
■犯罪者の子供と自分の子供を遊ばせられる?
私のケースは暴力団組長の子供なので、ニュースのようなDV夫の子供と状況はことなります。でも「逮捕された」だけで見ると共通と考え、引き合いに出してみました。
この経験から考えてみると、単に親のことだけで子供の遊び相手を制限するのはやはり違う。でも、相手の子供や親次第では「遊ばせない可能性はある」と考えます。
もし後者の手段をとる場合でも、そこに行き着くまでには一人の親としてではなく「地域の大人」として対応した上、その子の親やその子の反応を見て判断すべきなのかなと。
「挨拶しない」、「乱暴なところがある」、「行儀が悪い」、「言葉が悪い」なんてのは、犯罪者の子じゃなくてもよくある話ですからね。
最近では絶滅危惧状態ですが、私が育った昭和の頃には、注意してくれる地域の大人が周りに沢山いました。直接言わなくても、親や学校にすぐ連絡してくれたり。
子供にとっては迷惑な話ですが、今振り返ると良かったなと思うこともあります。親以外の他人に怒られるのって、すごくへこむんですよね。だからこそ「絶対もうしない!」って心に誓ったものです。ちなみに私が怒られたのは、集めたタニシを田んぼに放流した……。生きたタニシを農水道で集めて遊んでいて、飽きてつい……。猛省しております。
さて、話を戻しますが、上記に記した私の考えは、あくまで机上の空論。理想論です。その時になると「やっぱできない」となるかもしれません。
そこで逆に制限した場合で考えてみました。
制限することで何が起こるのか? 学校や保育園に行けばいくら親が制限しても、子供同士で無邪気に遊ぶことが容易に想像つきます。しかしその遊びの中で「○○ちゃんと遊んじゃだめってお母さんが言ってた」という一言がバーッと広まり、いじめにつながる可能性の方が実現度としては高そうです。
単に生まれてきた環境だけで他人を否定するという考えは、時に子供に対し「差別」を教えることにもなりかねません。
子供が遊ぶ相手の親云々の問題より、そもそも「他人を差別しない子」「いじめない子」に育てることの方が、本当は一番大切なことなのではないでしょうか。
(文:栗田まり子)