アンティークや骨董品には、新品にはない風合いとともに、元の所有者を想像させる手がかりのようなものを見つけることがあります。時に、昔の空気を現代へそのまま伝えるものもあり、世代を超えて受け継がれるアンティークの魅力となります。

 京都にあるアンティークの着物屋さんが、ある日仕入れた着物に1枚の写真が混じっていることに気づきました。写っているプロペラ機は、かつての戦争と国民の様子を今に伝えるものだったのです。

 戻橋さんは、京都の一条戻橋近くで戦前のアンティーク着物を主に取り扱うお店。着物は、毎日京都市内から大量に入荷するのだといいます。

 入荷した着物は、それぞれシミやほつれなど、商品状態を確認する検品が行われます。その作業中、女性ものの着物から1枚の写真がこぼれ出ました。

 写真に写っているのは、パラソルのように高い主翼を持つ白いプロペラ機と、飛行服姿の男性。飛行機はピカピカに光っているので、ひょっとしたら完成して間もない状態かもしれません。

 胴体の後ろには、日の丸とともに「愛国」と「(京都)38」の文字。この飛行機の個体名のようです。

 この飛行機は、1931(昭和6)年に旧日本陸軍が採用した「九一式戦闘機」。外国機のライセンス生産でない、日本オリジナル設計の戦闘機として初のものであり、主翼が1枚の“単葉機”としても陸軍初でした。

 中島飛行機によって開発された九一式戦闘機は、同じ年に勃発した満州事変や第一次上海事変に投入されましたが、敵戦闘機との交戦はなく早くに退役。現在、埼玉県所沢市の航空発祥記念館に保存されている胴体部分が日本航空協会により、重要航空遺産の第1号に指定されています。

 胴体に書かれている「愛国」という字は、この飛行機が国民からの寄付金によって作られた陸軍機「愛国号」であることを示しています。愛国号は1918(大正7)年に始まった、陸軍の学芸技術奨励、特に航空に対する国民有志の献金によって製造・購入された航空機の総称で、第1号は1932(昭和7)年に購入されたユンカースK37でした。

 愛国号を購入するための献金は、満州事変の勃発を機に各地で活発になります。1933(昭和8)年に編まれた「満州事変 国防献品記念録」には、90機以上の航空機をはじめ、高射砲、通信機器、鉄兜などの装備品が献金によって購入されたことが記されています。

 写真に写っている九一式戦闘機「愛国38(京都)号」は、京都市民有志からなる「京都市国防費献納会」の献金によって購入されたものであることが分かりました。京都市内にあった深草練兵場(短い滑走路があった)で命名・献納式が行われたのは、1932(昭和7)年6月26日。

 立命館大学の国際平和ミュージアムには、京都市国防費献納会が作成した1932年3月23日付の領収証が所蔵されています。時期的に、この飛行機の購入の一部に充当された献金のものかもしれません。

 戻橋さんは見つかったこの写真を、しかるべきところへ寄贈したいという意志をお持ちです。大学などの研究機関か博物館が想定されますが、写真を後世に伝えられる場所に落ち着くことを願っています。

<記事化協力>
戻橋さん(@modoribashi237)
<参考>
国立国会図書館満州事変国防献品記念録」陸軍省編
神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ 新聞記事文庫愛国号由来」中外商業新報
立命館大学国際平和ミュージアム京都市国防費献納会領収証

(咲村珠樹)