旧日本陸軍の特攻隊基地があった鹿児島県の知覧。特攻隊員の遺書など各種資料を所蔵する、知覧特攻平和会館の資料を展示する交流展「息子として、兄として、父として 特攻隊員が遺した言葉 知覧特攻平和会館所蔵資料展」が、4月24日より東京・新宿の平和祈念展示資料館(西新宿2-6-1新宿住友ビル33階)で開かれます。

 入館料は無料で、会期は2022年4月26日~7月3日、開館時間は9時30分~17時30分(入館は17時まで)で毎週月曜日は休館日となっています。

 鹿児島県の薩摩半島にある知覧(現:南九州市)は、古くからの武家屋敷が残り“薩摩の小京都”と呼ばれる町です。ここに第二次世界大戦中の1941年、陸軍の飛行場が開設されました。

 当初は福岡県太刀洗にある陸軍飛行学校の分校として、パイロットたちの訓練施設として使われていた知覧飛行場。戦況が悪化し沖縄戦が始まる1944年に入ると、本土から沖縄周辺への防衛戦を行う拠点として、海軍の鹿屋飛行場と並んで重要視されるようになりました。

 沖縄をめぐる航空戦の中で、多く実行されたものが特別攻撃、通称「特攻」です。

 ほとんどは航空機に限界近い量の爆弾を搭載して生還を期さず、連合軍艦艇を目標に肉弾(体当たり)攻撃する戦法がとられました。

 この当時、経験豊富な搭乗員は戦死するなどして数を減らし、特攻隊員となって出撃した者の多くは実戦経験の浅い若年者で、亡くなった特攻隊員は17歳~32歳、平均年齢21.6歳といわれています。

 知覧特攻平和会館は知覧飛行場の跡地に作られ、陸軍特攻隊員1036名の遺影や遺書、遺品などを収蔵、展示しています。周辺には知覧飛行場の施設跡をはじめとする戦跡もあり、戦争と平和を考える施設として多くの来館者が訪れます。

 今回の交流展「息子として、兄として、父として 特攻隊員が遺した言葉 知覧特攻平和会館所蔵資料展」では、知覧特攻平和会館から関係資料約30点を展示。家族や恋人らに宛てた遺書などをエピソードとともに紹介されます。

 会場の平和祈念展示資料館は、東京・新宿の新宿住友ビル33階。第二次世界大戦における兵士、戦後強制抑留者、外地からの引揚者らの労苦を物語る各種の実物資料を展示している施設です。

情報提供:平和祈念展示資料館

(咲村珠樹)