皆様こんにちは。連載シリーズ「新作アニメ捜査網」のコートクでございます。
2011年第1クール最大の話題作『魔法少女まどか☆マギカ』が4月21日深夜(22日未明)に完結したことを記念し、本稿では、同番組を振り返ってみたいと思います。作品を振り返るにあたっては、3つの点を重視致します。まず外面的な部分をおさらいし、次に、本作が他の魔法少女アニメと一線を画していた点、そして最後に、作品全体を貫くテーマについて考えてみたいと思います。


最初に『魔法少女まどか☆マギカ』の外面的な特徴を見てみましょう。
本作の製作委員会に出資した企業は、以下のような顔触れになっています。

・アニプレックス
・芳文社
・博報堂DYメディアパートナーズ
・ニトロプラス
・ムービック
・SHAFT
・毎日放送

では一社ずつ見ていきましょう。

まずはソニーグループの一員・アニプレックス。一般的に言って、原作付きのアニメには出資者が付き易いが、原作なしのアニメにはなかなか出資者が現れないそうです。原作なしのアニメは、原作付きアニメと比べて売り上げの保証が得られないからです。しかしそのような状況の中で、アニプレックスは原作なしのアニメを『宇宙ショーへようこそ』『Angel Beats!』『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』『閃光のナイトレイド』『世紀末オカルト学院』『STAR DRIVER 輝きのタクト』『ドッグデイズ』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』と多数世に送り出しています。『魔法少女まどか☆マギカ』もそうした中の1本です。オリジナルアニメを次々と世に送り出すアニプレックスの姿勢は、アニメ文化の幅を広げることに貢献していると言えるでしょう。

芳文社は、『ひだまりスケッチ』『けいおん!』『Aチャンネル』『夢喰いメリー』等の版元です。

博報堂DYメディアパートナーズは広告代理店です。テレビアニメ『デュラララ!!』『黒執事』『咎狗の血』等にも出資しています。

ニトロプラスは成人向けゲーム等を発売しているゲームソフトメーカーです。テレビアニメ『咎狗の血』の製作委員会にも出資しています(同作の原作ゲームの発売元でもあります)。

ムービックはアニメイトグループの一員。テレビアニメ『Angel Beats!』『咎狗の血』『黒執事』等の製作委員会にも出資しています。

シャフトは独特の映像表現で知られるアニメ制作プロダクション。その映像作りはシャフト演出と呼ばれ、『ef - a tale of memories.』第7話における電話の描写や『夏のあらし!』第6話における横浜大空襲の描写などは視聴者に強烈なショックを与えました。

毎日放送はTBS系列の関西のテレビ局。テレビアニメ『デュラララ!!』『黒執事』『咎狗の血』『Angel Beats!』等の製作委員会にも出資しています。
 

次にスタッフの顔触れを見てみましょう。

シリーズ構成・脚本は、ニトロプラスに所属する脚本家・虚淵玄。
監督は、多くのシャフト作品に携わった新房昭之。
キャラクター原案は、『ひだまりスケッチ』で知られる漫画家・蒼樹うめ。
キャラクターデザインは、『デュラララ!!』の岸田隆宏。
異空間設計は、数々のシャフト作品に携わった劇団イヌカレー。
音楽は、『黒執事』2部作のエンディング主題歌を作詞・作曲・編曲した梶浦由記。

こうして見ると、本作は昨年のテレビアニメ『Angel Beats!』と同様の路線で製作された、いわば第2弾作品と言える体制となっています。というのも、『Angel Beats!』製作委員会に出資した企業はアニプレックス、アスキー・メディアワークス、ビジュアルアーツ、ピーエーワークス、ムービック、電通、毎日放送、中部日本放送という具合に、『魔法少女まどか☆マギカ』製作委員会との重複が見られるからです。また、『Angel Beats!』は、成人向けゲーム等を発売しているゲームソフトメーカー・ビジュアルアーツに所属する脚本家・麻枝准が脚本を書いています。即ち『Angel Beats!』も『魔法少女まどか☆マギカ』も、成人向けゲーム等を発売しているゲームソフトメーカーに所属する脚本家が起用された、原作なしのオリジナルアニメであるという訳です。

本作の外面的な特徴を一言で表すと、日常と非日常のギャップです。蒼樹うめ原案による登場人物は、一見ほのぼのとした女子中学生であり、その絵柄だけ見ると現実世界の我々と同様の平凡な物語世界に生きるキャラクターに見えます。しかしそのような一見平凡な女子中学生が、非日常の異空間に巻き込まれるのです。異空間の描写は、現実世界とは風景が一変したまさに超常的世界です。一例を挙げると、第7話のクライマックスでは、往年のアニメ監督・大藤信郎(1900年生まれ~1961年没)の映画を彷彿とさせる影絵調の世界が繰り広げられます。そして梶浦由記による劇伴もこの世のものとは思えない世界に視聴者をいざなうものであり、映像と劇伴の両面で超常的世界を構築しているのです。このように本作は、制作陣の適切な配置により、日常と非日常のギャップを最大限に描き出しているのです。

続いてストーリーを見てみましょう。

主人公・鹿目まどか(声・悠木碧)とその友達・美樹さやか(声・喜多村英梨)は中学2年生。そんな2人の前に現れた謎の小動物・キュゥべえ(声・加藤英美里)は、少女と契約することにより、願いを1つ叶える代わりに、その少女を魔法少女にして使命を与えるという。魔法少女の使命とは、魔女を退治すること。魔女は、人々を事件や自殺に駆り立てる者達である。キュゥべえは2人と契約しようとするが、既に魔法少女となっている暁美ほむら(声・斎藤千和)は、まどかが契約を交わすことを阻止するのであった・・・。

本作のストーリーにおいて特徴の1つとして挙げられるのは、他の魔法少女アニメと一線を画している点です。テレビ番組において活躍するヒーローの類いというのは、月光仮面や七色仮面といった例外を除いて、大抵の場合は普通の人間ではありません。そういったヒーローというのは、善良な市民の為に日夜力強く戦い、まさに滅私奉公の鑑のような存在です。しかしヒーローもまた普通の人間ではないが故の悩みを抱えているものと思われます。例えば仮面ライダー1号やサイボーグ009は、自身が改造人間、即ち機械仕掛けの身体になってしまったことを苦悩しています。一方、過去の魔法少女アニメでは、普通の人間ではないが故の苦悩というのは、あまり深刻には描かれていませんでした。正体がバレてはいけない悩みであるとか、魔法を使えることがバレてはいけない悩みといったものは描かれますが、それは仮面ライダー1号やサイボーグ009の苦悩のような深刻なものではありません。仮面ライダーやサイボーグ009が男の子向けのヒーローであるのに対し、魔法少女アニメは女の子向けの番組なので、あまり深刻にすることができなかったのでしょう。一方『魔法少女まどか☆マギカ』は魔法少女アニメでありながら女の子向け番組ではないので、過去の魔法少女アニメのような配慮をする必要がありません。そのため本作では、魔法少女が普通の人間ではないが故の苦しみがストレートに描かれています。

具体的に見てみましょう。

主人公の友達である美樹さやかは、幼馴染の少年・上條恭介(声・吉田聖子)に好意を寄せていました。恭介はバイオリンの才能を持った人物でしたが、大怪我をして病院に入院し、バイオリニストとしての夢を断たれてしまいました。このことに胸を痛めたさやかは、恭介を治癒させるという願いを叶えるためキュゥべえと契約して魔法少女となります(4話)。そしてさやかの一連のエピソードによって、本作における魔法少女は、人間の姿をしてはいるものの、実は魔法少女が身に着けている宝石(ソウルジェムと呼ばれる)が本体であることが判明しました。即ち魔法少女は、一見人間の姿をしているように見えるものの、もはや人間ではないのです。このことが判明した時の少女の絶望!!第7話においてさやかはキュゥべえを問い詰めます。
さやか「騙してたのね。私達を。」
キュゥべえ「僕は魔法少女になってくれってきちんととお願いした筈だよ。実際の姿がどういうものか説明を省略したけれど。」
さやか「何で教えてくれなかったのよ!」
キュゥべえ「訊かれなかったからさ。知らなければ知らないままで何の不都合もないからね。」 

一方、さやかの契約によって快方に向かった恭介は、自身の怪我が恢復した理由など知る由もありませんが、幼馴染であり今まで見舞ってくれていたさやかに何の連絡もせずに病院を退院してしまいます(6話)。追い打ちをかけるように、さやかは、さやかとまどかの共通の友人である志筑仁美(声・新谷良子)から、恭介を慕っていたと告げられます(7話)。そして第7話の終盤で、さやかは己の思いの丈をぶちまけるのでした。
「あたしね、今日後悔しそうになっちゃった。あの時仁美を助けなければって(引用者註・第4話で魔法少女となったさやかが仁美を魔女から助けたことを指す)。ほんの一瞬だけ思っちゃった。正義の味方失格だよ。(略)仁美に恭介を取られちゃうよ。でもあたし何もできない。だってあたしもう死んでるんだもん。ゾンビだもん。こんな体で抱きしめてなんて言えない。キスしてなんて言えないよ。」
随分とませた中学2年生ではありますが、好きな人を愛することができないという苦悩は昭和24年の映画『静かなる決闘』にも通じる悲劇と言えます。そしてこの台詞に、人間ではなくなってしまった魔法少女の悲しみや絶望が率直に表明されています。このような台詞は、魔法少女アニメとしては異質の描写と言えます。

この他、魔法少女の1人である佐倉杏子(声・野中藍)は、父を助けるためにキュゥべえと契約し魔法少女となるものの、父から魔女呼ばわりされて嫌悪されるという皮肉な結果を招いています。更に杏子の父は杏子1人を残して一家心中してしまうのでした。このことを回想した時の杏子の次の一言は、哀しみが凝縮されたものでした。

私の祈りが家族を壊しちまったんだ。」(7話)更に第8話では魔法少女は魔女の前段階であることが判明、このことを踏まえ、第10話では起承転結の「転」の展開を見せます。番組序盤から一貫してまどかがキュゥべえと契約を結ぶことを阻止してきた暁美ほむらは、パラレルワールドで魔法少女が魔女の前段階であることから生じる悲劇を経験していました。そして第10話のクライマックス、1話~9話よりも時系列が前のパラレルワールドにおいて、ほむらはまどかから告げられます。
まどか「(略)私にはできなくて、ほむらちゃんにできること、お願いしたいから。ほむらちゃん、過去に戻れるんだよね。こんな終わり方にならないように歴史を変えられるって言ってたよね。キュゥべえに騙される前の馬鹿な私を助けてあげてくれないかな。」
ほむら「約束するわ!絶対にあなたを救ってみせる。何度繰り返すことになっても!必ずあなたを守ってみせる!」
まどか「良かった・・・。もう1つ頼んでいい?私、魔女にはなりたくない。嫌なことも悲しいこともあったけど守りたいものだって沢山この世界にはあったから。」

この場面といい、『屍鬼』第20話といい、悠木碧のか細い声は涙を誘います。時間を停止させたり時間を遡ったりする能力を持ったほむらは何度も時間をループし、悲劇を回避しようとしてきたのです。かつてひ弱だったほむらも強い意志に支えられて逞しく成長し、第1話以降に描かれた時間軸では、キュゥべえがまどかと契約を結ぼうとするタイミングで徹底的に妨害する方針をとったのでした。第10話のラストでは、ほむらは次のように呟きます。
「繰り返す。私は何度でも繰り返す。同じ時間を何度も巡り、たった1つの出口を探る。あなたを絶望の運命から救い出す道を。まどか・・・。たった1人の私の友達・・・。あなたの、あなたのためなら私は永遠の迷路に閉じ込められても構わない。」
そしてエンディングではオープニング主題歌「コネクト」が流れ、第10話の幕を閉じるのでした。ここで「コネクト」の歌詞を見ると、ほむらの心情を表していることが分かります。
ここでついでにオープニング主題歌の特徴に言及しておきましょう。オープニング主題歌「コネクト」を歌うのはClariSという女子中学生2人組で、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』のオープニング主題歌「irony」を歌ったことでも知られています。そして『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』第3話でも、『魔法少女まどか☆マギカ』第10話でも、物語の節目でClariSのオープニング主題歌がエンディングに流れると、今まで溜まっていた感情が溢れ出し、感慨深いものがあります。
 
最後に、作品全体を貫くテーマについて考えたいと思います。
私は昨年、『Angel Beats!』に対する評論文を書いた際、放送前の宣伝に作品のテーマが込められているという前提の下で論を進めました。私は『魔法少女まどか☆マギカ』でも、放送前の宣伝に作品全体を貫くテーマが含まれていると確信しています。故に、本稿でもその前提の下で論を進めたいと思います。

本作の放送開始前に放送されたコマーシャルで主人公・鹿目まどかは「この生活はすっごく大変だけど何のとりえもない私でも、私にしかできないこと、誰かの役に立てることがきっとあるから!精一杯頑張ります!」と意気込んでいます。私はこの台詞に作品のテーマが込められていると考え、その上で作品を見てみたいと思います。

キュゥべえから契約を勧められたまどかがすぐに契約を結ばなかった理由は、ほむらに妨害されたからという理由もありますが、その他に、願いがすぐに思い浮かばなかったからからという理由もありました。まずこの点に、本作における重要な点があると考えてよいでしょう。

どこかで聞いた話ですが、昭和時代の男の子の将来なりたい職業ベスト3は聯合艦隊司令長官とオーケストラの指揮者とプロ野球の監督だったそうです。現代の男の子や女の子も、将来はスポーツ選手になりたいとか芸能人になりたいとかお菓子屋さんになりたいとか花屋さんになりたいとか夢を持っていることでしょう。一方で、将来実現したい夢や目標が思い浮かばない若者が少なからずいることも容易に推測できることです。例えば2001年に放送されたドラマ『世にも奇妙な物語』の「13番目の客」というエピソードでは、青年が人生という大きな空間の中で何を目標にして生きていけばよいか分からず戸惑う姿を諷刺的に描いていました。まどかもまた人生における夢や目標を思い定めておらず、人生について考えることになります。

まずまどかはさやかと共に、学校の先輩でもある魔法少女・巴マミ(声・水橋かおり)の魔女退治を手伝った上で、キュゥべえと契約するか結論を下すことにします。いわばこの期間は、企業に喩えるとインターンシップと言うべき期間であり、年上のマミはまどかにとってメンターでありロールモデルでありました。マミは第2話で魔法少女の任務は「死と隣り合わせ」と語るなど、任務の厳しさを教えます(但しこの時点では魔法少女が魔女の前段階であることは明らかになっていない)。そしてマミの魔女退治を手伝い、それによって救われた人の安堵する姿を見たまどかは、第2話のラストで
「こんな私でもあんな風に誰かの役に立てるとしたらそれはとっても嬉しいなって思ってしまうのでした。」
と嬉しそうな表情を浮かべます。

まどかにとってマミと並ぶもう1人の人生の先輩が母親・鹿目詢子(声・後藤邑子)でした。サラリーマンとしてバリバリ働く母親について、まどかは、専業主夫をしている父親・知久(声・岩永哲哉)に尋ねます(3話)。
まどか「何でママはあんなに仕事が好きなのかなぁ。昔からあの会社で働くのが夢だった、なんてないよね。」
知久「う~ん、ママは仕事が好きなんじゃなくて頑張るのが好きなのさ。嫌なことも辛いことも一杯あるだろうけどそれを乗り越えた時の満足感がママにとっては最高の宝物なのさ。そりゃあ会社勤めが夢だった訳じゃないだろうけどさ。それでもママは自分の理想の生き方を通してる。そんな風にして叶える夢もあるんだよ。」
まどか「生き方そのものを夢にするの?」
知久「どう思うかは人それぞれだろうけど僕はね、ママのそういうところが大好きだ。尊敬できるし自慢できる。素晴らしい人だってね。」
まどか「うん。」

まどかはこうしたやり取りや、マミの手伝いを通じて、少しずつ人世を生きていく意義を見出します。まどかは、第3話でマミに
「私って昔から得意な学科とか人に自慢できる才能とか何もなくて、きっとこれから先ずっと誰の役にも立てないまま迷惑ばかりかけていくのかなって。それが嫌でしょうがなかったんです。でもマミさんと会って誰かを助けるために戦ってるの見せてもらって、同じことが私にもできるかもしれないって言われて。何よりも嬉しかったのはそのことで。だから私、魔法少女になれたらそれで願い事は叶っちゃうんです。こんな自分でも誰かの役に立てるんだって胸を張って生きていけたら、それが一番の夢だから。」
と語るに至るのでした。

とは言うものの、ほむらによって契約は妨害されたし、後に魔法少女が魔女の前段階であることも判明したことから、まどかはキュゥべえと契約を結ぶ意思を失います。しかし第11話のラストから第12話の冒頭にかけて、遂にまどかはキュゥべえと契約を交わして魔法少女となる決意を固めるのでした。

それは、ワルプルギスの夜という巨大な魔女が出現し、ほむらが立ち向かうものの、ほむら1人の力ではワルプルギスの夜を倒すことができなかったからです。第12話冒頭でまどかがキュゥべえと契約を交わすにあたって叶えた願いというのは、とてつもなく壮大なものでした。キュゥべえは有史以来、人類の文明に干渉して少女と契約を結び魔法少女にし、魔女にしてきました。このことが人類の進化を促したらしい。更には地球だけではなく宇宙規模で活動してきたのです。これに対してまどかは、全宇宙に存在する、過去から未来に至る全ての魔法少女が魔女になるのを防ぐことを望みました。まどかによって宇宙は改変されましたが、まどかの存在は周囲の人々から忘れ去られてしまいます。まどかは自分自身を犠牲にし、誰も知らないところで人々の希望を願い、人々を救いました。自分のことを何のとりえもないと称し、人生の夢や目標が特に思い浮かばなかった1人の少女が、人の役に立ちたいという人生で実現したい目標を見出し、自分を犠牲にしながらも、それを実現したのです。現実世界にも、まどかのように、誰も知らないところで自分自身を犠牲にして人々を救う人が存在します。それは例えば、東北地方太平洋沖地震が発生した時に津波から人々を避難させるために誘導した人であったり、原子力発電所の事故に対応する作業員であったり、救助活動に従事する自衛隊員であったり消防士であったり警察官であったりします。『魔法少女まどか☆マギカ』という作品全体を貫くテーマとは、人生を生きる意義を見出す過程を描くことだったのであり、まどかと同世代の視聴者に対して、人生の生き甲斐について考えさせる作品であったと結論付けることができます。

■ライター紹介
【コートク】

本連載の理念は、日本のコンテンツ産業の発展に微力ながら貢献するということです。基本的には現在放送中の深夜アニメを中心に当該番組の優れた点を顕彰し、作品の価値や意義を世に問うことを目的としていますが、時代的には戦前から現在まで、ジャンル的にはアニメ以外のコンテンツ作品にも目を向けるつもりでやって行きたいと思います。そして読者の皆様と一緒に、日本のコンテンツ産業を盛り上げる一助となることができれば、これに勝る喜びはございません。