宮崎駿監督の映画「風の谷のナウシカ」では、製作委員会が7人組のサークルを募集し、それぞれの趣向を凝らした「風の谷新聞」を作るという企画が、原作が連載されていた「アニメージュ」誌上で行われました。
あれから約40年が経過し、サークルも解散していることが多いでしょうが、弊社の記事をきっかけとして、当時のサークルメンバーに行方不明となっていた「風の谷新聞」の原本が戻るという出来事がありました。
■ きっかけはナウシカ「風の谷新聞」の記事
ことの起こりは1983年。映画「風の谷のナウシカ」のプロモーション企画として、原作が連載されていた「アニメージュ」誌上にて最新情報を知らせる「ナウシカ・ノート」の連載が始まったことでした。
1984年夏の映画公開まで、全11回の連載となった「ナウシカ・ノート」。その中にはファンが7人組のサークルを作り、作品の舞台となる風の谷に新聞があったら……という想定で「風の谷新聞」を作ってもらい、それを誌面で紹介する「風の谷七人衆コーナー」という読者参加企画がありました。
このことを弊社「おたくま経済新聞」では、2020年7月27日付の記事「風の谷新聞にナウシカガール 『風の谷のナウシカ』公開当時をマニアが収集品とともに振り返る」にて、収集したグッズなどを紹介。その中で、記事を寄稿した非売品ジブリグッズ収集家「くろすけ」さんがネットオークションを通じて入手した、あるサークルが作った「風の谷新聞」の原本も紹介したのです。
2022年6月、問い合わせのメールが編集部に届きました。その内容は「記事で紹介されていたのは、私たちが若い頃作った『風の谷新聞』、その原本です」というもの。出自が分からなかった「風の谷新聞」、それを作ったサークルメンバーからのメールだったのです。
詳しく事情をうかがうと、当時作った「風の谷新聞」の原本を含む資料は、青春の思い出として保管していたものの、掲載された号の原本はほかのメンバーが保管し、手元になかったとのこと。そのメンバーが亡くなり、遺品整理の一環で処分されたものが、たまたまネットオークションに出品されたのではないか、とのことでした。
■ 新聞の作者「風の谷七人の侍」と「風の谷新聞」
メールを送ってくれたのは、サークル「風の谷七人の侍」のメンバーとして当時企画に参加していたhiromさん。当時は大学4年生で、メンバーの内訳は大学4年生が6名、高校生1名と、ほかの参加サークルよりは幾分年長だったといいます。
サークルの中核となっていたのは、高校時代からの親友だったというhiromさんとHALさん。「おたくま経済新聞」の記事で紹介した「風の谷新聞」の原本は、亡くなったHALさんが保管していたものであることが判明しました。
風の谷七人の侍の皆さんが作った「風の谷新聞」第1号は、1984年2月号の「アニメージュ」に掲載されただけでなく、その後徳間書店より刊行されたロマンアルバム(ムック)にも再録。どうやら、数々のサークル(告知からすぐに登録者が1万名を突破)が作った「風の谷新聞」の中でも、代表的な作品という位置付けがされたようです。
内容を見てみると、当時としては珍しいワープロを駆使した紙面。一般的な記事だけでなくコラムや広告、天気(風見)予報に市況など、本格的な新聞の体裁になっています。
hiromさんによると、コンセプトはナウシカ本編から読み取れる風の谷の生活を表現した“市民だより”や、風の谷が農業主体の生活と捉え“農協新聞”のようなもの。でもアニメファンとしてのパロディー的要素も盛り込みたい……と、それまでの宮崎作品からエッセンスを抽出し、散りばめたものにしていったのだそうです。
アニメージュ編集部からはキャラクター設定や画面のレイアウト、絵コンテのコピーなどが提供されたのだとか。最初に送付された資料には、作る際のガイドとなるような製作委員会の手による、2ページの「風の谷新聞」も入っていたとのこと。
しかしhiromさんら「風の谷七人の侍」は、提供された映画本編の情報が少なかったこともあり、原作の世界観に準拠した本格的な新聞を志向しました。記事本文などのワープロ文字は、当時大学の情報処理センターにあったIBM製中型汎用機の端末を駆使して作成したものだといいます。
企画が始まった当初、常連だった女子高校生サークルの新聞が複数回掲載されたのに刺激を受け、勢い込んで第1号を編集部に送ったhiromさんら「風の谷七人の侍」。ところが想定していた1984年1月号に掲載されず落胆し、さらに良いものを作ろうと真剣な会議も重ねました(実は締切に間に合っておらず、次の1984年2月号に無事掲載されたそうです)。
会議の結果、第2号はナウシカのトルメキア戦役(原作で描かれた土鬼とトルメキアの戦い)出陣の号外、という体裁でA3判の大きなサイズに。裏面は対照的にパロディー色を強く押し出し、宮崎監督や宮崎アニメのキャラ、ライバルと目されていた「ガンダム」のキャラたちが登場する架空座談会が掲載されました。
最終号となった第3号は、6ページとボリュームある紙面となりました。1面トップはナウシカの父、風の谷のジル族長崩御(映画版でなく原作に準拠しているので病死)。風の谷が激震する様子を伝えています。
全体としては、実際の新聞のようなリアリティある構成を基本としながらも、ナウシカの映画化に際した主演女優「南牛子」のインタビューといったメタ的なパロディーも。また、メーヴェ凧の練習会やテトをモチーフにしたぬいぐるみ(おもちゃ)の広告なども掲載されています。
残念ながら、この第2号と第3号は「アニメージュ」に全体が掲載されることはなく、同人誌などで発表されることもありませんでした。原作を深掘りしたこともあり、原作とはストーリーの違う映画のプロモーション企画には似合わない、ということだったのかもしれません。
■ 青春の記憶が再びひとつに
当時のことを振り返って、hiromさんは「この『風の谷新聞』の企画参加は、生涯を通じて唯一、サークル的な活動を行ったものでした。ロマンアルバムに掲載いただいたことである面ご褒美として永遠に証跡というか痕跡が残ったことを喜んでいました」と話してくれました。文字通り、青春の1ページを飾る経験だったようです。
学校を卒業し、社会人となったhiromさん、HALさんらサークルのメンバーたち。中にはフランスに留学後大学教授となり、フランスのジブリ研究者が書いた本の翻訳者を務め、大学で講義をされている方もいるのだとか。
この「風の谷新聞」に関係する資料をhiromさんはアタッシェケースに入れ、大事に保管してきたそうです。今回、HALさんの手元にあった第1号の原本も、非売品ジブリグッズ収集家・くろすけさんの手を経て約40年ぶりにお返しすることができました。
まるでタイムカプセルを開いたかのように、すべて集まった約40年前の青春を物語る資料。hiromさんは「亡くなった親友のHALがこのような縁を作ってくれたようにも思え、感慨深く思います」と話してくれました。
仲間と好きなことに打ち込み、苦楽をともにしてきた記憶はかけがえのないもの。散逸してしまいかけた品物を再びサークルメンバーのもとへ戻せたこと、そのお手伝いができたことは、メディアとしてとても光栄な出来事でした。
<記事化協力>
hiromさん
非売品ジブリグッズ収集家・くろすけさん
(咲村珠樹)