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藝大卒の声楽家が1時間1000円で自分を貸し出す理由 フリー芸術家ならではの戦略

 プロの声楽家として活動する傍ら、1時間1000円から自分の時間を「レンタル」している男性。キャリア豊かな専門家が破格ともいえる値段で自らを売り出す背景には、フリーランスとして活動する芸術家の厳しい現実と、それを逆手に取ったしたたかな戦略があるのだといいます。

 実際に「おっさんレンタル」で彼をレンタルし、インタビューしてみました。

  • ■ 「拘束が長く、収入は不安定」華やかな経歴の裏に厳しい現実

     東京藝術大学を卒業し、プロの声楽家として舞台や演劇に出演する、河野陽介(かわのようすけ)さん。恰幅のよい体型から発せられるバリトンボイスが心地よい、39歳の男性です。

    河野陽介さん 写真:(C)高木龍之介(formless)※高木さんの高の字は正しくははしごだかです。

     河野さんの活動内容は、オペラやミュージカルへの出演、小中学校での音楽鑑賞会での歌唱など多種多様。しかし、フリーランスの音楽家という道は、安定とは程遠い、厳しい環境でした。

     「誰もが知る有名公演や大舞台で歌う機会もあります。いつ声がかかるかわからないため、公演日程中のスケジュールは押さえておかなければなりませんが、すべてに出演できるとは限りません。収入が安定せず、『これだけでは食っていけない』と現実に直面しました」

     生活のためにアルバイトを掛け持ちするも、その多くはシフト制の勤務形態であり、急なオーディションや稽古への対応は至難の業。フリーランスの働き方としては相性が良くありませんでした。

     自分の都合で柔軟に働ける仕事はないか──模索の日々を続ける中、河野さんはある人物に着目します。

     その人物とは、「1日50円で自分を売る東大生」として話題になっていた、高野りょーすけさん。さまざまな人々の相談相手になったり、勉強を教えるサービスを提供するなかで、ハロウィーンの時期に渋谷で「童貞」と書かれたTシャツを着てほしいという「依頼」を受け、その模様が大きな話題となりました。

     「同じ茨城県出身で、自分と名前が似ている高野さんが、自分の価値を見出せずに悩みながらもレンタル活動を通じて多様な人々と出会い、自信を取り戻していく姿に強い共感とインスピレーションを覚えました」

     その高野さんが活動の参考にしていたのが、ファッションプロデューサーの西本貴信さんが代表を務める「おっさんレンタル」。当時30歳を迎え、「おっさんを名乗ってもいい頃合いか」と考えた河野さんは、登録を決意します。

    ■ 「クラシック愛好家は人口比1%。残り99%の人との接点を作りたい」

     河野さんが「おっさんレンタル」で設定している料金は、1時間1000円から。内容によって割増料金となる場合もあるといいますが、それでもなお異様といえる安さです。

    「おっさんレンタル」サイト内にある、河野さんのレンタルページ

     ケタ1つ増やしてもまったくおかしくないほどのキャリアを持ちながら、なぜ格安料金で自分をレンタルするのでしょうか。その背景には、切実な思いがありました。

     「クラシック音楽の愛好家は、日本の人口のわずか1%と言われています。業界の未来を考えたとき、残りの99%の人々と繋がらなければ先細るだけ。自分のことを面白い人間だと思ってもらえれば、その先にあるオペラやクラシックにも興味を持ってもらえるかもしれないと考えました」

     提供するサービスのメインに位置づけたのが、1時間1000円のボイストレーニング。利用するのは、楽譜を読んだことも歌のレッスンを受けたこともない、まったくの初心者がほとんどですが、前提知識がなくとも理解できる丁寧な指導を心がけ、大人気なのだとか。

     「ボイストレーニングは、自分自身の『修行』と位置づけています」と、河野さん。知識を持ち合わせない人でもいかに音楽を楽しんでもらえるか、つねに考え続けていくことで、指導者としてのスキルが格段に向上したといいます。

    ■ 「プライベートオペラ」から性の相談まで対応 噂を聞きつけ海外からオファーも

     東京藝術大学卒、有名劇団出演、ゲイ。河野さんが持つ多面的なバックグラウンドもまた、豊富なニーズを集めています。

     難病で外出できない人の話し相手や、視覚障害を持つ人とのカフェタイム、さらには「親や友人には言えない」性に関する相談まで。公的な相談窓口ではすくい上げられない、切実な声が、河野さんの元には寄せられています。

     「『ゲイであることをオープンにしているから頼れると思った』と、駆け込み寺のように利用される方も少なくありません」と、河野さん。

     「自分の失敗や傷ついた経験さえも、誰かに寄り添うときには『すごく共感できます』という力になる。逆に自分が助けられる部分もあって、僕自身のセラピーにもなっています」

     オファーは、国内にとどまりません。海外YouTuberが「おっさんレンタル」を動画で紹介したことをきっかけに、インバウンドの依頼が殺到しているといいます。

     中でも人気なのが、カラオケボックスでオペラの一節を披露する「プライベートオペラ」。劇場で上演されるものと遜色ない本格的な歌唱を目の前で独り占めできるとあって、毎回大絶賛だそう。

     河野さんには、アニメやゲームの劇伴音楽のコーラスに参加した経歴の持ち主という一面も。当事者からしか聞けない貴重な舞台裏の話は、日本のサブカルチャーが好きな外国人のお客さんを熱狂させています。

     最近では、河野さんの歌声に惚れ込んだマレーシア在住の日本人実業家から、現地へ招聘されるという夢のような話も。シンポジウム登壇やSNS発信のノウハウを持つ人物の紹介など、未来のキャリアに繋がる貴重な機会を得ることができたと話します。

    ■ 100kg以上特化の「デブカリ」にも加入 レンタルの“掛け算”で本業にも好影響が

     「おっさんレンタル」開始から数年後、コロナ禍で体重が15kg増えたことを機に、河野さんは100kg以上の人に特化したレンタルサービス「デブカリ」にも加入。ニッチな業務内容がメディアに注目され、人気テレビ番組「月曜から夜ふかし」への出演も果たしました。

    「コロナ禍で限界突破したデブ」の肩書で、100kg超え特化のレンタルサービス「デブカリ」にも登録

     「おっさんレンタル」は悩み相談、「デブカリ」は企業からの依頼案件が多いなど、それぞれのサービスごとに客層は異なるのだそう。2つの「レンタル」を掛け持ちすることで未来の顧客との接点が相乗的に増え、活動の幅は大きく広がったといいます。

     「特に『デブカリ』の場合はアクターとしての依頼が多く、さながら『デブ専門の芸能プロダクション』のようになりつつあります。メディア出演によって認知も増えて、本業の活動でもこれまで以上にお声がかかるようになりました」

     依頼は途切れることがなく、収支の面では「諸経費を差し引いてもプラス」と好調ですが、「レンタル活動で稼ごうとはあまり思っていません」と河野さん。「あくまで本業である音楽活動を続けるための手段であり、新たな可能性を拓くための投資」と言い切ります。

     「日本で西洋の伝統芸能であるクラシックをやるのは本当に大変。だからこそ、接点づくりの工夫が絶えず必要なんです。事実、レンタル活動で得た多様な人々との出会いや経験は、表現に深みを与えてくれ、オーディションに合格する頻度も増えてきました」

     本業と副業が互いを高め合う好循環。それは、河野さんが目指す「究極のフリーランス」の姿そのものだといいます。

     「依頼されることで、僕も新しいスキルが身につく。それがまた誰かの役に立つ。経験がすべて、自分の引き出しになっていくのが嬉しいですね」

     技術や専門性を一つの場所に閉じ込めるのではなく、広く社会に開いていくことで、人生は掛け算のように豊かになっていく──。自分では何気なく思っていることにこそ、他者から見て大きなニーズが隠れているのかもしれません。

    <取材協力>
    河野陽介(かわのようすけ)さん(@YSK_Riverfield
    河野さんプロフィール写真 (C)高木龍之介(formless)
    ※高木さんの高の字は正しくははしごだかです。

    <参考>
    おっさんレンタル
    デブカリ

    (天谷窓大)

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