大正から昭和にかけ、ろう学校における手話教育を推進し「手話の父」と呼ばれる高橋潔。その生涯を描く映画「ヒゲの校長」が、完成を目指す資金調達のためクラウドファンディングを開始しました。
キャストのうち、ろう者役はろう者自身が演じ、またスタッフも聴者(聞こえる人)とろう者・難聴者が力を合わせて撮影に取り組んできた作品です。監督の谷進一さんと、主演の尾中友哉さんに話をうかがいました。
■ 高橋潔とろう教育
映画「ヒゲの校長」は、耳が聞こえない人の教育において口話法(相手の話す唇の形や動きを見て内容を理解することや発声訓練を行う方法)が強く推進されていた時代、手話の重要性に着目し、それぞれに合った方法で教育を行う「適性教育」を唱えて手話の必要性も訴えた教育者、高橋潔の生涯を描く作品です。
高橋がろう教育に携わるようになった20世紀初頭、日本ではアメリカから口話法が新しい指導法として伝わり、それまでの手話法から一斉に転換が図られていきました。口話法一色になっていく中、高橋は口話法の言語指導だけを行うのではなく、学ぶ人それぞれの適性を見極め、口話法と手話法をフレキシブルに選択できる「適性教育」を唱えました。この考えは、現在のろう教育に大きな影響を与えています。
■ 映画「ヒゲの校長」誕生のきっかけとロケ地の縁
映画「ヒゲの校長」は、大手配給会社や制作会社によるものでない、いわゆる自主制作映画としてスタートしました。きっかけについて谷進一監督は、初の長編手話映画「卒業~スタートライン~」で描いた手話教育の原点を調べたところ、高橋潔と彼を描いた山本おさむさんの漫画「わが指のオーケストラ」を知ったことと語ります。
「『卒業~スタートライン~』では高校が舞台だったので、成人男女でも何とか制服を着て違和感少なく撮影できたのですが、漫画『わが指のオーケストラ』の舞台は小学校ということもあり、自主映画では児童を演じる子役を多く揃えるのが難しいのではないかと諦めてしまいそうになっていました。しかし、児童の側からではなく大人目線で描けないだろうか?と発想を転換し、漫画にはないエピソードも入れ込んでみると自主映画でも挑戦できる!と感じて、腹が決まりました」
物語の舞台は、大正時代から昭和の初め頃。時代考証やロケ地などには苦労を重ねたといいます。
また新型コロナウイルス禍も、色々影響をもたらしたとのこと。撮影が遅れロケハンの時間が取れたのは幸いでしたが、全国校長会のシーンを撮影するはずだった京都府庁の旧府議会議場は、ワクチンの接種事務局となってしまったため、利用することができなくなってしまったのだとか。
スタッフは代わりのロケ地探しに奔走し、ようやく滋賀大学の旧講堂(1924年築の登録有形文化財)を借りられるように。大正期における学校講堂の雰囲気を今に残す建物なのですが、ここには奇跡的な縁がありました。
滋賀大学は、主演する尾中友哉さんの母校。そして1937(昭和12)年にヘレン・ケラーが来日した際、講演会場として利用された過去があったのでした。丸の内ホテルとして撮影現場となったびわ湖大津館も、かつての琵琶湖ホテル時代、ヘレン・ケラーが宿泊した建物だったとのこと。
谷監督は「日本の今の指文字誕生に大きな影響を与えたヘレン・ケラーさんとも強いご縁を勝手に感じていました」と語ります。
このほかにも、ロケに使われた滋賀県野洲市の蓮照寺は、高橋潔の妻である醜子、娘の依子が実際に住んでいた生家だったとのこと。「使わせていただけて、力強いオーラをもらえた思いがしました」
■ キャストとスタッフはろう者や難聴者と聴者が共存
この作品では、実際にろう者や難聴者のキャストがろう者役を演じているほか、スタッフもろう者や難聴者と聴者とが力を合わせる形になっているのが特徴です。
キャストにはテレビドラマ「新撰組血風録」や「燃えよ剣」で主人公の土方歳三を演じた名優・栗塚旭さんや、お笑いコンビ「次長課長」の河本準一さん(吉本興業の手話部に所属)、NHK「手話ニュース」キャスターの那須英彰さんも顔を揃えました。
ろう者や難聴者にろう者役を演じてもらう点は、監督の揺るぎない意志によるもの。「ろう者の役を聴者がしているドラマや映画を見てきましたが、僕には少しも魅力的には感じませんでした。ところが、ろう者が演じる舞台を見た時に手話の魅力や奥深さに圧倒されて、一気に虜になりました」と、キャスティングのきっかけになった出来事を話してくれました。
出演者の面ではスムーズに決まったものの、スタッフ集めに関しては少々難航し、様々な人脈から協力してもらったと谷監督は語ります。「そのため、スタッフで手話のできるメンバーが少なく、最初はぎこちないスタートでしたが、撮影が進むにつれて、一緒に創っていると手話を教えあったりして、少しずつスムーズに現場が回るようになりました」
ろう者や難聴者と聴者が一緒になって作品づくりに取り組む中で、谷監督にとって忘れられない場面があります。「河本さんがろう者の奥さんを相手にするシーンの撮影時です。彼女は演技も初めてで緊張しており、なかなか夫婦の距離感にもなりませんでした」
その距離感が変化していったのは、カメラや照明の調整で撮影が止まっている間に見せた、河本さんの気遣いでした。
「河本さんが手話で彼女に説明していました。『今、照明を動かしているから』『次はこっちから撮影するからカメラも移動する』など状況説明をされていたんです。本来はスタッフがしなければならないことを自然にされていたので、作業をしながらも、その様子を見て気が付けば感涙していました」これで一気に緊張がほぐれ、夫婦の親しい空気が生まれたそうです。
■ 主演するのは両親がろう者の「コーダ」
耳が聞こえない、または聞こえにくい親のもとに生まれた聴者(聞こえる)の子を「コーダ(CODA=Children Of Deaf Adult)」といいます。この作品で主人公の高橋潔を演じる尾中友哉さんも、聞こえない両親を持つコーダの1人。
現在は現在はろう児・難聴児に向けた教育事業に取り組むNPO法人「Silent Voice」の代表を務める尾中さん。お父さんは、かつて高橋潔がろう者教育に取り組んでいた大阪市立聾学校(現:大阪府立中央聴覚支援学校)や、口話法の父とされる西川吉之助が初代校長を務めた滋賀県立聾話学校に通っていたという縁があります。
Silent Voiceでは、大阪府立中央聴覚支援学校にほど近い場所で、ろう児・難聴児に特化した総合学習塾「デフアカデミー 谷町六丁目校」を運営しています。「単に『聞こえない』といっても、子どもそれぞれに『ことば』の世界やそれに合った関わり合いがあることを感じています」
尾中さんは自身の経験から、約100年前に手話が顧みられなくなり、口話法一色になった時代に高橋が抱いた葛藤について思いを馳せたといいます。「時代背景は今とは全然違いますが、似ている気持ちが自分の中にもあると感じました。それは自分の考えを言葉にでき、誰かとわかり合えること、その心の喜びではないかと思うのです」
「手話がなかったら今の自分はありません。これは自分にとって手話が言語であること、また言語の偉大さを感じさせてくれます。言語は、ひとりの人間や人生をも象(かたど)っていくのだという深い納得があります」という尾中さん。手話を併用し、それぞれに合ったコミュニケーション手段を模索する「適性教育」の精神は、現代でも生きていると話してくれました。
■ クラウドファンディングは「より完成度を高めるため」
撮影は90%ほど進んでおり、新型コロナウイルス禍により延期された撮影は4月から再開予定とのこと。「日程がずれたことで桜の情景も撮れて、小学校らしい場面が撮れるのではと思っています」と谷監督は語ります。
今回始まったクラウドファンディングは、撮影を終えた映像素材を1本の映画にする際、各要素を高いレベルにするために実施されるもの。「映画は撮影が終わってからも編集や音楽、整音など細々とした作業があります。少しでもクオリティーを高められる様にプロにお願いして、少しでも良い作品にしようと考えています」
谷監督は「皆さんにご支援を頂いて、一緒になって映画を完成させて頂けましたら幸甚です。手話映画はまだまだ少ないマイナーな世界かも知れませんが、これから手話映画を一緒に創りましょう!どうぞよろしくお願い致します」とのメッセージを寄せてくれました。
クラウドファンディングプラットフォーム「GoodMorning」で始まったプロジェクトは、3月15日現在で291人から223万4300円が集まり、目標金額500万円の44%に達しています。Aii-in形式となっており、目標金額に届かなくても計画は実行され、リターンが届きます。募集の締め切りは4月3日となっています。
<取材協力>
聾宝手話映画
NPO法人 Silent Voice
(取材:咲村珠樹)