人が感じる「恐怖心」をテーマにした「恐怖心展」が、7月18日より渋谷のBEAMギャラリーで開催。「何を怖いと思うか」という軸で分けられた4つの展示ゾーンで、さまざまな形の「怖さ」が展開されます。開催に先立って行われた体験会に参加してきました。
今回の「恐怖心展」は、昨年話題となった「行方不明展」の企画メンバーであるホラー作家・梨とホラーテクノロジーカンパニー・闇、そしてテレビ東京・大森時生プロデューサーが再集結して企画されたもの。
人によって感じどころが違うものの、当人にとっては絶対的な苦痛であると同時に自己表現やアイデンティティにもつながる「恐怖」という感情にフォーカスし、具体的な「恐怖の対象」と、そこに添えられたストーリーを通じて触れていきます。
会場に入るとまず出くわすのが、顔を大きな黒丸で隠された無数のポートレート。この時点ですでに「怖い」と思う人も多いかもしれません。
映っているのは街角やレストラン、職場など、何気ない日常のカット。異様なたたずまいとは裏腹の自然体にどこか自分を重ね合わせつつ、会場へと足を進めます。
■ そこにあるものがこわい……「『存在』に対する恐怖心」ゾーン
会場は、「何を怖いと思うか」という軸で4つのゾーンに分けられています。
1つ目は、“そこにあるものが怖い”と感じる、「『存在』に対する恐怖」を集めたゾーン。雑菌が大量に繁殖した手の型の培地や、こちら側に先端の向いた針や刃物、蓮のブツブツや水玉などの集合体、などが展示されています。
他には「病院の臭いがする医療器具」やボロボロのぬいぐるみ、大量の首のない雛人形など、トラウマを呼び起こしそうなものも。通り過ぎたいのに、なぜか立ち止まってしまいます。
個人的にグッと来てしまったのが、アナログ時計の裏に大きなクモが隠れている写真。実は記者はクモも時計も苦手。怖いもの同士がひとつのお皿にのっかった“カツカレー状態”に、ノドがキュッと締まるのを感じました。
特に私が怖いのは、アナログ時計の文字盤。時間が怖いわけではなく、「時計の文字盤」という物体そのものが大の苦手なのです。腕時計は持つことができず、家に置く時計もデジタルのみ。外などで特徴的な時計を見てしまうと、夜中夢に出てきてうなされるほどです。
こうして「怖さのツボ」にハマると、胃酸だけでなく言葉も無数に湧いてくるから不思議なもの。好きの裏返しなのか、それともピンチを検知した身体の生存行動なのか。早くも脂汗がにじんだ状態で、次のゾーンへ向かいます。
■ 「それになること」がこわい……「『社会』に対する恐怖心」ゾーン
2つ目は、「視線」や「老化」など、人の関わりから生まれる「目に見えない恐怖」を集めたゾーン。
大勢の人から視線を向けられる映像や騒音注意の張り紙など、“なぜそれが怖いと感じるのか”を考えながら触れていく形式になっています。
「恐怖」を感じる音をヘッドフォンごしに聴ける展示物もありました。聴こえてくるのは、人のクチャクチャという咀嚼音や赤ちゃんの泣き声など、悪い意味で「たまらない人にはたまらない」音たち。どちらも超苦手な記者は、またしてもここで胃とノドがキューッと締め付けられるのを感じました。
他人から恐怖を感じるほかに、「自分も誰かにとって不快感を与えているのではないか」という恐怖を味わうこともあるのが、このタイプの恐怖の特徴。「自分が悪臭を発しているのではないか」という恐怖を表現する展示として、臭気測定器も設置されています。
センサーに息を吹きかけると、測定器の数値がぐんぐん上昇。使用前はほぼ0を指していた目盛りが1000を超えるのを目の当たりにすることで、ゾワゾワとした気分がやってきました。
会場に設置されたテレビ画面からは、実際に恐怖に直面している人が発する悲鳴や嗚咽のようなうめき声が。物体としての恐怖とはまた違い、想像や感情移入によって「バッドに入る」感覚を味わいました。
■ そこにいることがこわい……「『空間』に対する恐怖心」ゾーン
3つ目は、「高所」や「閉所」など、パーソナルな身体感覚に紐づいた恐怖や不快の形を集めたゾーン。
高層ビルの上から非常階段を見下ろした写真や、狭い空間に閉じ込められてパニックになる様子を表現した映像など、これも悪い意味で「たまらない人はたまらない」展示物が並んでいます。
かと思うと、眺めのいい開けた景色や、広い海など、人によってはむしろ快感を覚えることのあるものも。「これが怖いという人がいるの?」と思う人もいるかもしれませんが、当事者にとっては地獄のような光景なのかと思うと、いろいろと考えさせられてしまいます。
まさに人の数だけ「怖さ」があるのだな、と強く感じさせられるゾーン。何人かで訪れるとその反応がはっきりと分かれて、会話が弾むかもしれません。
■ 「こと」がこわい……「『概念』に対する恐怖心」ゾーン
4つ目は、「死」や「幸せ」など、人間の根幹にある複雑な恐怖の対象を集めたゾーン。目に見えないだけでなく、完全に人の内側に宿るものであるがゆえ、「絶対に避けることができない」という怖さがのしかかってきます。
印象的だったのが、大量の割れた鏡の破片が敷き詰められた展示物。実際にその上に乗って眺めることが可能です。ガラスの破片という物体そのものへの恐怖はもとより、眺めているうちに「鏡に映ったありのままの自分」と対峙することが怖くなってきます。
その他にも、「永遠と続く時間」、そして「死」に対する恐怖を表した展示物が。これまでとは違った、体全体に忍び寄るような「恐怖」を感じます。
懐かしく思っていたはずの思い出の風景や物が風化した姿を見て、みんな「朽ちていく」ことから逃れられないことを知る怖さ。
もはや「見ないようにする」ことでしか遠ざけられない、絶対になくなることのないもの。怖いけれど、私たちは生きていくしかない。人によっては穴に吸い込まれるような感覚を覚えるかもしれないし、逆に「やってやるぞ!」という気持ちになるかもしれません。
恐怖とは、つまるところ私たちに備わった危険回避のための防御装置のようなもの。何に対して危険を感じるかは、生まれつきの本能によるものもあれば、過ごしてきた環境によって後天的に身に着けたものもあるでしょう。
怖さと向き合うことは、改めて自分を知るということ。怖さを表明することは、自分自身のありようを表明すること。友人や家族など複数の人と会話しながら体験すると、よりお互いに対する理解が深まるかもしれません。
と、4つの展示の先にあった「もう1つのゾーン」に入って思いました。そこに何があったかは、ここでは秘密。ぜひ会場で体験してみてください。人によっては一番怖いゾーンかもしれませんが、記者は恐怖とは対極の「安心」を感じました。
「恐怖心展」は、7月18日から8月31日まで「BEAMギャラリー」(東京都渋谷区宇田川町31-2 渋谷BEAM 4F)で開催。時間は11時から20時までで、最終入場は閉館30分前まで。料金は税込2300円。小学生以上は有料。チケットは「ローチケ」で販売しています。
取材協力:「恐怖心展」実行委員会
(天谷窓大)