「うちの本棚」も今回で100回を迎えることができました。自宅の本棚から気まぐれに取り出した本達を紹介するだけのコラムですが、ここまで続けてこられたことに感謝いたします。100回目である今回は、日本の漫画文化を語る上で避けて通れない、手塚治虫の『新宝島』を取り上げることにいたしました。
本作は現在の日本に於けるコミック文化の原点とも言われるもので、この作品により刺激を受けた多くの漫画家、アーティストがいる。その代表的な例が石森章太郎や赤塚不二夫、藤子不二雄といった「ときわ荘グループ」だろう。
一般に、本作発表以前の漫画は挿絵的なものが多く動きが感じられないと言われ、本作の映画的な躍動感が、読者に衝撃を与えたといわれている。これは現在の漫画を読んでいる読者にはよく理解できないものかもしれないし、リアルタイムで本作に触れた読者の衝撃というものを感じてみたいという気もする。藤子不二雄Aは冒頭のシーンから、その演出、作画に映画のようなスピード感や躍動感を感じたといくつかの著書などで告白している。確かにいま読んでみても違和感のないその画面は現在の漫画作品と同じといっていいのかもしれない。
「ときわ荘グループ」の漫画家たちをはじめとして多くの漫画家やアーティストによって、その衝撃が語られる反面、ボクら世代(もうけっこういい年)ですら本作を読む機会というのは全くと言っていいほどなかった。つまり噂だけが、イメージだけが先行した形でこの作品の素晴らしさをインプリントされてきたと言っていい。
そんな中でようやく読むことができたのは、講談社の手塚治虫漫画全集に収録された本作だった。が、これは当時の原稿を使用したものではなく、また内容も含めて書き直された手塚治虫オリジナルの『新宝島』だった。
多くの漫画家たちなどに影響を与えた本作は、じつは作者である手塚と酒井の合作であり、そのふたりの間でトラブルもあったことから育英出版版の再刊行、復刻というものが長くなされることがなかったのである(またここには当時の出版状況に起因する「描き版」という問題もからんでくる)。育英出版以後唯一復刻(トレスであったが)を試みた「ジュンマンガ」もそれ自体があまり知られる存在ではない。そして刊行から60年。ようやくわれわれはオリジナル版の『新宝島』を読む機会を小学館クリエイティブの復刻版によって得たのである。
ストーリーは、主人公のピート少年が家の中で発見した地図をもとに、知り合いの船長と共に宝探しを敢行しようと相談していると、その地図を奪いに海賊が現れ、ピートと船長は捕らわれてしまうが、嵐により海賊船が難波し、海に放り出されどこかわからない島に漂着する。が、その島こそが地図に記されていた宝島であり、ターザンのような人物や海賊たちも再び登場しての活劇が始まる。手塚自身は「宝島」と「ロビンソン・クルーソー」、そして「ターザン」をミックスしたような作品と評していたようだが、まさにその通りの作品といっていい。
先述したように現在の目で見ても、基本的な部分で現在の漫画作品との違和感は感じられない。作画面やコマ運びは当然発表当時の時代的なものを感じるが、キャラクターの動きやセリフまわし自体は確かに現在の漫画作品の原点と言っていいものだろう(もっとも比較対象が下手をすれば戦前の漫画作品だったりするので、本当にこの作品が現在の漫画作品の原点となったというのはシンボル的な意味にすぎないのかもしれないのだが)。
繰り返しになるが、リアルタイムで本作の最初の単行本を手にした読者たちにとって衝撃的な作品であり、バイブル的な意味合いも持っていたというのは、事実であり本作によって漫画の面白さ、漫画制作に目覚め、のちに人気作家になっていた漫画家たちの数の多さを考えれば現在の漫画作品の原点ということも事実であろう。その意味で漫画ファン、漫画マニアを自認する者であれば1度は読んでおくべき作品といえるし、日本のコミック文化を語る上では避けて通れない作品であることも事実だ。
しかしながらそ本作の成立過程には現在も不確かな部分があり、中野晴之や竹内オサムらによって研究されてもいる。個人的にはその知名度や存在意義に反して長い期間一般的に読むことができない状態だったことが最大の問題だと思うのだが、現在ではこうしてオリジナルの本作を読むことができるようになった。これからの読者は幸せである。
さて、講談社版全集ではオリジナル版を改めて手塚自身が描き直したわけだが、その違いについても触れておく。
ストーリーの大筋はオリジナル版のままであるが、オリジナル版のコマ割りが1ページ3コマであったのを4コマにし、左右の幅を狭くして映画のフィルムのような印象を与えている。要所要所でオリジナル版にはないコマを挿入して、より動きのあるコマ運びになっているのも「映画的」といわれたオリジナル版の印象を強めるためだろう。そして最大の違いはオリジナル版のラストシーンのあとに10数ページのオチが付け加えられている点だ。オリジナル版では当初手塚が作ったものを、60ページほどカットして最終的な形にしたとされているのだが、この全集版のラストは当初手塚が考えていたものだったようだ。もちろん全集版のラストも悪くないのだが、オリジナル版の方が夢のあるラストになっていたように感じる。未読の方はぜひ両方を読み比べていただきたいと思う。
初出/育英出版・書き下ろし単行本(昭和22年)
書誌/育英出版(昭和22年)
ジュンマンガ(1968年)
講談社(手塚治虫漫画全集・1984年10月3日初版)
小学館クリエイティブ・小学館(2009年3月4日初版)
(文:猫目ユウ / https://suzukaze-ya.jimdo.com/)