キングコングの西野亮廣さんが2021年9月8日にInstagramを更新。昨年に購入したとする旅客機、YS-11の使い道が決まったと投稿したことで注目を集めています。
9月8日のスポーツ報知の報道によると、旅客機の使い道は「オンラインサロンのメンバーが泊まるための宿にしたい」と、西野さんは昨年11月にTVで明かしていたそうです。
この報道もあり飛行機愛好家らの間から、2020年4月まで耐空証明(自動車の車検に相当)があり、少し整備すればまだ「飛べる」可能性が高い機体を「宿泊施設にするのはもったいない」と嘆く声が上がっています。
しかしながら、西野さんは今回の投稿で「購入した旅客機の使い道が完全に決まった。オンラインサロンで盛り上がってる」と述べるにとどまっており、「宿泊施設」構想のままプロジェクトが進行しているとは発言していません。
そこで今回は、普段はミリタリーや航空分野について執筆している筆者視点から、西野さんが「購入」したというYS-11の機体について解説していきます。
■ 西野さんのYS-11の歴史
西野さんが9月8日にInstagramで紹介した、YS-11はフィリピンでの登録記号「RP-C2252」を持つYS-11A-500型機。
ブラジルのVASP航空からの発注により、1968年にYS-11A-200型の製造番号2079として完成した機体で、ブラジルでの登録記号「PP-SMM」としてサンパウロを中心とした路線で運航されました。
1977年にブラジルでの登録が抹消されたのち、日本の東亜国内航空(日本エアシステムを経て日本航空と合併)が買い戻し、登録記号JA8723の愛称「きび(吉備)」となりました。その後1980年にエンジンを換装し、最大離陸重量を増加させたYS-11A-500へと改修されています。ちなみに日本国内でのYS-11最終便に使用されたのも、このYS-11A-500の同型機であるJA8766(愛称「とくのしま」)でした。
このYS-11製造番号2079は、東亜国内航空が日本エアシステムと社名が変更された後まで、日本の空を飛び続けました。その後1997年にフィリピンの航空会社エア・フィリピンへと売却され、登録記号「RP-C1931」として1998年までの1年間、国内線で運航されています。
エア・フィリピンを退役した製造番号2079は、同じフィリピンでチャーターフライトや航空学校を営むエアリンク・インターナショナル・エアウェイズが購入。現在も機体に記されている登録記号「RP-C2252」として、チャーターフライトなどに活躍しました。塗装は日本エアシステム時代と基本的に変わっていません。
西野さんが「購入」する以前の2019年にヤフオク!に出品され、話題となったのが、この製造番号2079。栃木県にある建設機械輸出会社、桜井エンタープライス株式会社の関連企業で、スリランカでチャーターフライトを実施する航空会社「Sakurai Aviation」がエアリンクより購入したものの、使用する予定がなくなったため売却を希望したものでした。
ヤフオク!出品当時は、オーバーホールを経てフィリピンからスリランカに自力で飛行してきた状態。飛行機の「車検」にあたる耐空証明も2020年4月まで残っていました。
耐空証明の有効期限から1年半が経過していますが、現状はどうなっているか不明です。しかし、有効期限が切れているとしても、直前まで飛べていたのならば大規模なレストア(修復)を必要とせず、必要な整備を行えばまだ飛行可能である可能性は非常に高いといえるでしょう。
戦後日本が開発し、実際に航空会社で運航された唯一の旅客機であるYS-11。民間機として飛行可能なコンディションにあるのは、日本のエアロラボがレストアした登録記号「N462AL」しかありません。これは元国土交通省の飛行検査機「JA8709」だったので、旅客機仕様は西野さんが「購入」したものが世界で唯一だと考えられます。
筆者は長年、航空分野に関する執筆を行っています。その立場から考えても、まだ飛べる可能性が高いのであれば、宿泊施設にするのは惜しいと考えます。それに「世界で1機だけのYS-11で空を飛ぼう!」と呼びかけた方がより、夢のあるプロジェクトのような気がするのです。
もちろん、維持管理や資格を有するパイロットを確保するということは非常に困難で、高いハードルです。しかし、誰もが「無理だ」と言うことに挑戦し、夢を叶えてきた西野さんであれば、実現可能かもしれない……そんな希望を抱いてしまいます。
<出典・引用>
西野亮廣さんInstagram(japanesehandsome)
スポーツ報知「キンコン西野亮廣、5000万円で購入した飛行機を公開「カッコイイ」「絵になる」の声」
※画像は西野亮廣さんInstagramからのスクリーンショットです
(咲村珠樹)