この企画も今回で4回目になりました。今回もまた、2013年に公開されたアニメ映画のうち、私が良かったと思う作品ベスト10を挙げたいと思います。なお、できるだけ多く劇場には足を運びましたが、2013年に公開された全てのアニメを網羅できているわけではありません。その点ご了承ください。それぞれご覧になった方によって順位や価値観は異なると思います。「こういう見方もあるのだな」程度の気楽な気持ちでご覧いただければ幸いです。
※注意:本稿には読み手によりネタバレと感じる内容が含まれています。ご注意ください。
――第10位・・・『PERSONA3 THE MOVIE #1 Spring of Birth』
本作のあらすじは、特殊な能力を持った少年少女が魔物と戦うというものですが、個人的に印象深かったのは、不良少女・森山夏紀(声・種﨑敦美)と引っ込み思案の少女・山岸風花(声・能登麻美子)の交流を描いたエピソードです。二人の共通点は、自分の居場所がないということでした。そのため、二人は夜の溜まり場に現れたりしていました。この描写は、本人には非行に走る意図がなくても、自分が置かれた立場のせいでやむを得ず不適切な場所に追いやられてしまうという状況を描いていました。
さて、夏紀は風花を苛めますが、風花は自分が夏紀を傷つけていると考え、夏紀に謝罪します。自分は悪くないのに自分が悪いと考える姿はとてもいじらしいです。物語の終盤、風花が行方不明になっても、夏紀は引き続き風花をウザがっていましたが、段々と風花のことが心配になり、風花を助けに行きます。
本作が心温まる作品となっている理由は、ふとした拍子に孤立してしまいがちな現代の高校生の不安定な心情を赤裸々に描きつつ、しかし、人間の根底にある、他人を思いやる優しい心の存在を肯定することで、希望を感じさせる展開となっている点にあります。
余談ですが、ピストル状の道具を撃ち抜いてペルソナを召喚するという発想がよく思いついたものだ。
もう1つ余談ですが、2010年のアニメ映画から、来場者特典商法が頻繁に見られるようになりました。そして今年、『ペルソナ3』に限らず他のアニメ映画においても来場者特典商法が過熱していました。来場者に感謝の意を表明するのはよいことではありますが、そのあり方については考え直す時期が来ているのではないでしょうか。
<製作委員会>パンフレットに明記されず
<配給>アニプレックス
<アニメーション制作>AIC ASTA
<スタッフ>原作・ATLUS、脚本・熊谷純、キャラクターデザイン・渡部圭祐、総作画監督・朝来昭子/高橋瑞香、音楽・目黒将司、監督・秋田谷典昭
<出演者>結城理・石田彰、岳羽ゆかり・豊口めぐみ、伊織順平・鳥海浩輔、桐条美鶴・田中理恵、真田明彦・緑川光、山岸風花・能登麻美子、荒垣真次郎・中井和哉、イゴール・田の中勇、他
――第9位・・・『かぐや姫の物語』
言わずと知れた『竹取物語』の映画化。同物語の映画化といえば、古くは1935年の人形アニメ映画『かぐや姫』(監督=田中喜次、撮影=圓谷英二)がありました。その後、圓谷は亡くなる直前まで再映画化を構想していたそうです。『竹取物語』の映画化として一般的に有名なのは1987年の実写映画『竹取物語』(本篇監督=市川崑、特技監督=中野昭慶)でしょう。この時の配役はかぐや姫=沢口靖子、竹取の翁=三船敏郎、媼=若尾文子、帝=石坂浩二、大伴大納言=中井貴一でした。このように人形アニメ映画、実写映画、動画映画という具合に映画化される度に異なる手法が用いられてきた訳ですが、それ故に、『かぐや姫の物語』がどのような映像表現をしたか、注目に値すると言えます。試みに1点だけ比較しておくと、実写映画『竹取物語』に登場した竜は海から長い首を出していましたが、『かぐや姫の物語』に登場した竜は空中を舞う雲の化身みたいなやつでした。
さて、本作は、序盤において竹取の翁夫妻が山の中でかぐや姫(声・朝倉あき)を育て、途中から都に舞台を移すというストーリーですが、周囲に振り回されるかぐや姫が可哀相なんですよね。山を駆け回った少年達とは離れ離れになったり、高貴な姫君になるため引眉とお歯黒を強要されたり。それとは裏腹に、やれ官位を貰えるなどと喜ぶ竹取の翁のはしゃぎっぷりが対照的でしたが。眉毛を抜かれる場面では痛みのあまりかぐや姫は涙を流しますが、精神的な悲しみもあったのでしょうね。一方で、本作には随所にユーモア溢れる描写が登場し、観客を笑わせます。例えば侍女が貴族の下襲の裾を整える場面とか。どうでもいい話ですけど、あの侍女どっかで見たことがあると思ったら、『じゃりン子チエ』の平山ヒラメに似てるんですね。
映画の終盤、御門(声・中村七之助)から女御になるよう言われたかぐや姫は月に帰りたいと一瞬考え、その思いが月よりの使者をを呼び寄せますが、かぐや姫は本心では月には帰りたくないと思っていました。地球上でかぐや姫は結構酷い目に遭っているのに、なぜ月に帰りたくなかったのか?育ての親を慕っていたからでしょうか?それもあるでしょう。ここで私は、本作における月星人にとっての地球を象徴するキーワードである「鳥、虫、獣、草、木、花」に注目致します。かぐや姫が地球上の記憶を消される直前に発したのもこのキーワードでした。かぐや姫は山の生活を大切にし、都に移ってからも、庭の畑をローアングルで見つめることで山の風情に想いを馳せていました。かぐや姫にとって、地球上の自然は愛すべきものだったのでしょう。劇中における自然の描写は生命の躍動感に溢れ、大変美しい情景を作り上げていました。本作の全体を貫いていたものこそ、自然への讃歌だったのではないでしょうか。
<製作委員会>スタジオジブリ/日本テレビ/電通/博報堂DYMP/ディズニー/三菱商事/東宝/KDDI
<配給>東宝
<アニメーション制作>スタジオジブリ
<スタッフ>原案/監督・高畑勲、脚本・高畑勲/坂口理子、作画監督・小西賢一、音楽・久石譲
<出演者>かぐや姫・朝倉あき、翁・地井武男、媼・宮本信子、捨丸・高良健吾、相模・高畑淳子、女童・田畑智子、他
――第8位・・・『風立ちぬ』
宮崎駿監督のアニメ映画と言えば、これまで架空の生物や架空の世界が描かれた作品が多かったのですが、本作は実在の人物をモデルにした物語であり、架空の生物も架空の世界も登場しない作品です。しかし、何度か登場する夢の場面は、イマジネーションとロマンが横溢しており、本作は紛れもなくファンタジー作品であると言えます。
本作は零式艦上戦闘機の設計者・堀越二郎(声・庵野秀明)を描いた物語ですが、映画のラスト、堀越は夢の中で零戦の編隊を見つめながら「1機も帰ってこなかった」と呟きます。主人公はなぜ「1機も帰ってこなかった」と呟いたのか。例えば特攻を念頭に置いたとも考えられますが、私が注目したのは、劇中に2回、「削る」とか「軽くする」とかいう趣旨の台詞が登場する点です。零戦は空戦能力を高めるために防禦力が犠牲になっていましたが、本作で堀越は「削る」とか「軽くする」とかいう話をする時、同時に防禦力を高めようともしていました。いわば堀越は二兎を追った訳ですが、しかしそれが実現することはありませんでした。映画では防禦力を犠牲にして空戦能力を高めるシーンや、それに対する堀越の葛藤は描かれませんでした。しかしラストの台詞に堀越の無念さが凝縮されています。史実の堀越がどう思っていたかは措くとして、本作における堀越は軽量化もするし防禦力も高い飛行機を作ろうとしていた。しかしその堀越の試みは挫折した訳です。本作における堀越は理想的な飛行機を作れなかったのです。そんな中、堀越は死に物狂いでもがき苦しみ、懸命に生きました。本作は、挫折の中でも必死に生きる人間の姿を描いていると言えるでしょう。
<製作委員会>スタジオジブリ/日本テレビ/電通/博報堂DYMP/ディズニー/三菱商事/東宝/KDDI
<配給>東宝
<アニメーション制作>スタジオジブリ
<スタッフ>原作/脚本/監督・宮崎駿、作画監督・高坂希太郎、音楽・久石譲
<出演者>堀越二郎・庵野秀明、本庄・西島秀俊、黒川・西村雅彦、里見菜穂子・瀧本美織、カプローニ・野村萬斎
――第7位・・・『BAYONETTA Bloody Fate』
GONZOが見事な復活を遂げた1作。田中敦子&園崎未恵による主人公の女性コンビは、女性らしい艶めかしさ満載でありながら、同時に敵を次々となぎ倒す戦闘能力を持つという、相反する2つの要素を持っておりとてもかっこいい。本作において主人公の女性コンビの魅力を高め得た要因として特筆すべきは、女性のセクシーさを表現した作画陣の尽力と、田中&園崎の妖艶な話術にあると言えましょう。個人的に印象深い点としては、序盤、ベヨネッタがジャーナリストを見下ろす場面で地面から見上げるようなアングルで描写し、観客の心を大いに刺戟しました。また本作の魅力は、エスプリの利いた軽快な台詞にもあります。主人公・ベヨネッタ(声・田中敦子)がバーのバーテンダー(声・玄田哲章)に「性格の悪い女とやり合った」と言えばバーテンダーは「自分とやり合ったのか」と切り返し、また別の場面では、敵と戦うべヨネッタに武器を届けに来たバーテンダーに対しべヨネッタが「あんたの店より退屈しない」と声をかけるなど、2人の掛け合いが愉快でした。
<製作委員会>GONZO/セガ/東映アニメーション/エイベックス・エンタテインメント/キュー・テック/ショウゲート
<配給>ショウゲート
<アニメーション制作>GONZO
<スタッフ>原案協力・神谷英樹/橋本祐介、キャラクター原案・島崎麻里、脚本・広田光毅、キャラクターデザイン・横山愛、音楽・和音正人/安部潤、監督・木﨑文智
<出演者>ベヨネッタ・田中敦子、ルカ・浪川大輔、ジャンヌ・園崎未恵、セレッサ・沢城みゆき、バルドル・若本規夫、ロダン・玄田哲章、他
――第6位・・・『魔女っこ姉妹のヨヨとネネ』
本作は、魔法の世界と我々が住む現実の世界がリンクしたことで発生した事件を描いた作品です。魔法の世界から我々の世界に来てしまい帰れなくなった魔法使い・ナオ(故人。声・雪野五月)は、魔力を持つ石を使って、世の中の人々を幸せにしようとしました。具体的には、魔力を持つ石の力を携帯電話のゲームに反映させ、ゲームのプレイヤーの願いを叶うようにしたのです。しかしナオの願いとは裏腹に、石の力は暴走し、事件を引き起こしてしまいます。その原因は、人々が携帯電話のゲームで叶えようとした願いが「ライバル会社を倒産させてほしい」などというものであり、その負のエネルギーが蓄積されてしまったのです。ナオは人々の幸せを願ったのに、何と皮肉なことでしょう。
ところで、近年に制作された、携帯電話を主要な題材に据えたアニメ映画といえば『ねらわれた学園』があります。『ねらわれた学園』は、携帯電話を通じていつでもどこでも人と繋がることができる現代において、人とコミュニケーションをとることの意義を改めて問い直した作品でしたが、『魔女っこ姉妹のヨヨとネネ』でも、祭りの花火の場面で、花火が不調になり暫しの間隔が空いた途端に携帯電話ゲームに興じる人々の姿を描き、うっすらと諷刺の要素が漂っています。
最終的には、負のエネルギーよりも、他人の幸せを願う人々の祈りのエネルギーが上回り、大団円となります。世知辛い世の中にあっても観客に生きる希望を与える映画でありました。
<製作委員会>キングレコード/ufotable/ティ・ジョイ/アニプレックス/徳間書店
<配給>キングレコード/ティ・ジョイ
<アニメーション制作>ufotable
<スタッフ>原作・ひらりん、脚本・佐藤和治/平尾隆之/実祢島巧、キャラクターデザイン/総作画監督・柴田由香、音楽・椎名豪、監督・平尾隆之、
<出演者>ヨヨ・諸星すみれ、ネネ・加隈亜衣、孝洋・沢城みゆき、健生・櫻井孝宏、亜紀・佐々木りお、西浦・浅沼晋太郎、他
――第5位・・・『劇場版薄桜鬼 第一章 京都乱舞』
テレビアニメ『薄桜鬼』のリメイク版。
時代劇の面白さの要因は幾つかあるでしょうが、史実を生かしながら、自由に想像の翼を広げる点が挙げられるでしょう。一例を挙げると『暴れん坊将軍9』第19話「江戸壊滅の危機!すい星激突の恐怖」は、彗星が降ってくるという奇想天外なエピソードではありますが、徳川吉宗が渾天儀で天体観測したり、吉宗が天文学者の西川如見を招いたりする展開は史実通りであり、史実を元にしながら大胆なフィクションの物語を展開させている訳です。『薄桜鬼』もまた、史実を生かしながら奇想天外な物語を展開させる作品となっています。
本作は、行方不明となった父を捜す少女・雪村千鶴(声・桑島法子)が新選組と出会うところから始まりますが、新選組が密かに行っていた謎の実験と千鶴の父の関係、千鶴の正体、薩摩と長州に所属する謎の人物など、次から次へと謎が謎を呼ぶ展開により、作品世界に引き込まれます。随所に史実を交えながらも大胆なフィクションで観客を驚かせますが、劇中の登場人物もさることながら観客までもアッと驚かせる衝撃的な場面がノンフィクションであるというのが、激動の幕末を象徴しています。それは、「薩摩と長州は仲良しこよし」という台詞です。即ち、禁門の変で薩摩藩が、新選組の上役に当たる会津藩の味方だったにも拘わらず、映画の後半で薩摩藩が、禁門の変で敵だった長州藩と手を組んだことが判明する場面であります。事実は小説より奇なりとはまさにこのことです。この時の新選組の衝撃はいかばかりであったか。時代に翻弄される男達に想いを馳せる映画となっていました。
<製作委員会>ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント/ムービック/エー・ティー・エックス/クロックワークス/スタジオディーン
<配給>クロックワークス/ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント
<アニメーション制作>スタジオディーン
<スタッフ>原作・オトメイト、キャラクター原案・カズキヨネ、脚本・藤澤経清/ヤマサキオサム、キャラクターデザイン/総作画監督・中嶋敦子、音楽・川井憲次、監督・ヤマサキオサム
<出演者>雪村千鶴・桑島法子、近藤勇・大川透、土方歳三・三木眞一郎、藤堂平助・吉野裕行、山南敬助・飛田展男、風間千景・津田健次郎、天霧九寿・山口りゅう、不知火匡・吉田裕秋、他
――第4位・・・『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~』
近年、スクールカーストという言葉が学園物の映像作品を物語るキーワードとして話題になっています。2012年の実写映画『桐島、部活やめるってよ』(原作・朝井リョウ)、2013年の実写テレビドラマ『35歳の高校生』等。2013年のテレビアニメ『GJ部』の主題歌でも言及されています。2012年の光文社新書で『教室内(スクール)カースト』(鈴木翔・著、本田由紀・解説)というのもありました。そのスクールカーストを物語の主軸の1つに据えたのが『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~』であります。
あれは確か1990年代だったと思いますが、当時少年だった私はアメリカの学校では生徒の階級があるという話をどこかで聞いたことがありましたが、私の個人的体験においてはスクールカーストなるものを実感したことはありませんでした(なお鈴木翔氏は私と同い年らしい)。しかしどうやら光文社新書『教室内(スクール)カースト』を見ると、スクールカーストは現代日本において実在しているようです。幾つもの映像作品中で描かれているのも、視聴者の理解が得られるから、即ち視聴者にも経験があるからなのでしょう。
光文社新書『教室内(スクール)カースト』はスクールカーストと苛めを敢えて分けて語っているのですが、『AURA』と『35歳の高校生』ではスクールカーストと苛めがセットとなっています。一方、『桐島、部活やめるってよ』は部活動による優劣が描かれているものの、スクールカーストに由来する苛めは劇中では発生していません。『35歳の高校生』では、インターネットが盛んに使用される時代の物語だけあって、スクールカーストとインターネットと苛めが一体化しています。『35歳の高校生』ではスクールカーストに由来する苛めを解消する方策として、高校でも大学のような授業形態にする、という案が言及されていました(但し結局採用されなかった)。一方、光文社新書『教室内(スクール)カースト』57頁でも、苛めに関する文脈の中で、上記のような授業システムに言及していました。
前置きはこれくらいにして本作の物語について申し上げますと、本作は“中二病”と“スクールカースト”が重要な要素となっています。中二病という言葉はかなり幅広い意味で使われており、文脈によって意味が異なりますが、本作における中二病は『中二病でも恋がしたい!』と同じ状態、即ち現実世界においても漫画的ファンタジー設定が実在するかのように振る舞うものです。私はこういう人を実際に見たことはありませんが、インターネット上で知り合った男子高校生の話によると、今時の少年少女の間ではああいう中二病の人が実在するそうです。
本作における学校では、中二病の生徒が上位カーストのグループから迫害を受けており、とりわけ酷い苛めを受けているのが中二病のヒロイン・佐藤良子(声・花澤香菜)でありました。苛めっ子の中心メンバーを演じたのは井上麻里奈なんですが、井上は2007年から一貫して、高飛車な役を演じると天下一品ですね。さて良子の行動はなかなかにエキセントリックであり、クライマックスにおいては自殺を試みるに至ります。とは言っても別に自殺を苦にした訳ではなさそうでして、ファンタジー設定に基づく儀式的なものでした。どうして自殺を試みるところまで至ってしまったのか、良子の心境はなかなか難しい。私は、良子が自分の親は本当の親ではないと語る場面を見て、良子が両親の離婚なり養女に出されるなり、辛い家庭環境に育ったのではないかと予想したのですが、その辺りが劇中で描かれることはなかったので、どうやらそんなことはなかったようです。
さて、良子の自殺を食い止めたのは主人公・佐藤一郎(声・島崎信長)の勇気と良子への共感でありました。1人の少女の命を救った一郎の行動は、風変わりな良子に対する承認であり、且つ自分自身への承認でもありました。スクールカーストという少年少女にとって生きづらい環境の中で、承認するという行為の大事さを大変美しく描いた物語だったと言えます。
因みに全くの余談ですが、パンフレットが1500円もして高かった。
<製作委員会>マーベラスAQL/ポニーキャニオン/AIC ASTA/創通/ムービック/ランティス
<配給>東京テアトル
<アニメーション制作>AIC ASTA
<スタッフ>原作・田中ロミオ、キャラクター原案・mebae、構成・上江洲誠、脚本・熊谷純、キャラクターデザイン・森田和明、音楽・大島ミチル、監督・岸誠二
<出演者>佐藤一郎・島崎信長、佐藤良子・花澤香菜、どりせん・水島大宙、久米・森久保祥太郎、一郎の母・幸田夏穂、一郎の姉・雪野五月、他
――第3位・・・『キャプテンハーロック』
架空の宇宙を舞台に、環境問題に対する諷刺を描いた警告的作品。劇中世界では多くの人類が宇宙空間に進出していましたが、一方で、人類の故郷である地球は人類の憧憬を呼び、地球への帰還を望む人間も大勢現れました。しかし人口が爆発的に増えた人類を受け入れる余裕は地球にはなく、地球を巡って大戦争が勃発します。戦争の結果、人類は、地球を、触れてはならない地として封印することで平和を維持したのでありました。だが物語の途中で、衝撃の事実が判明します。何と地球は既に荒廃しており、そのことが隠されていたのです。劇中の人類は、既に荒廃した地球を有難がっていたということです。何という皮肉でしょう。現代を生きる我々人類には、環境問題や人口問題といった多くの地球的規模の困難が襲っていますが、この映画における地球の姿はまさに悪夢です。勿論この映画はフィクションではありますが、劇中で描かれた状況は反面教師として極めて鋭い存在感を放っていると思います。そして、人類はこのような愚行を回避できるという希望を抱かずにはおれないのです。映画のラストにおいて、荒廃した地球に草花が芽生え始めているのは、人類の将来に光が差していることを示唆するかのようです。
話は変わりますが、本作の見どころとして、宇宙を舞台にした迫力溢れる戦闘シーンが挙げられます。『宇宙大戦争』(1959年)『惑星大戦争』(1977年)『宇宙からのメッセージ』(1978年)と脈々と受け継がれてきた和製宇宙SF映画の系譜において、本作の戦闘シーンはその頂点を極めたものだと言えるでしょう。
<製作委員会>東映アニメーション/サミー/木下グループ/東映/東映ビデオ
<配給>東映
<アニメーション制作>東映アニメーション
<スタッフ>原作総設定・松本零士、脚本・福井晴敏/竹内清人、コンセプトキャラクターデザイン・箕輪豊、音楽・高橋哲也、監督・荒牧伸志
<出演者>キャプテンハーロック・小栗旬、ヤマ・三浦春馬、イソラ・森川智之、ケイ・沢城みゆき、ヤッタラン・古田新太、他
――第2位・・・『聖☆おにいさん』
近年、『けいおん!』『ひだまりスケッチ』『GA 芸術科アートデザインクラス』等、女の子の微笑ましい友情を描いたアニメが人気を集めており、それらの作品が理想的な交友関係を描いたフィクションでありファンタジーであると雖も、私は「女の子はいいなあ」などと思いつつ一種の寂しさを感じていたりしたのでありました。そんな中登場したのが本作です。本作はブッダとイエスという2人の聖人が日本の立川で暮らすという意表を突くもの。主人公の男性2人の仲睦まじい姿は大変微笑ましく、2人が聖人であるが故に無邪気さがより一層強調され、見ていて優しい気持ちになれる作品となっています。そして、その無邪気さが本人の意図とは無関係に珍妙なトラブルを巻き起こし、抱腹絶倒なギャグアニメとなっています。そのギャグシーンに、宗教ネタを絶妙に織り交ぜているのも本作の巧みな点であります。
<製作委員会>アニプレックス/講談社/東宝
<配給>東宝
<アニメーション制作>A-1 Pictures
<スタッフ>原作・中村光、脚本・根津理香、キャラクターデザイン/総作画監督・浅野直之、音楽・鈴木慶一/白井良明、監督・高雄統子
<出演者>ブッダ・星野源、イエス・森山未來、竜二・立木文彦、松田幸代・鈴木れい子、ナレーター・来宮良子、他
――第1位・・・『サカサマのパテマ』
「上へ落ちるですって!?」
「ええ。上へ落ちるというのはおかしな表現だが、逆引力と言うか、特定の空間内で重力が逆に働いた結果、そういう現象が起きたのではないか
ここに引用した台詞は『ウルトラマン』第33話「禁じられた言葉」における隊長と博士の会話です。この度、このような世界が壮大なスケールで描かれる作品が誕生しました。本作は、天地の逆転が重要な要素となっている作品ですが、天地をひっくり返すのみならず人間の思考までもひっくり返す作品でした。
或る時、主人公・エイジ(声・岡本信彦)の住む世界に重力が逆さまに作用する少女・パテマ(声・藤井ゆきよ)が現れます。パテマはうっかりすると天空へ落ちてしまうため、外の景色を大変怖がるのですが、場面によってエイジの視点で世界を描写したりパテマの視点で世界を描写したりしており、後者においては、我々の想像を超え、我々にとっては全く非日常的な、パテマが見る世界を映し出しています。
実は、パテマは地下世界の住人であり、物語の途中でエイジは地下世界に足を踏み入れます。そこではエイジ1人だけ天地が逆転しており、落語の『一眼国』のような不思議な空間となっています。
更に物語が進むと、エイジとパテマは天空へ向かって落下してしまいます。主人公とヒロインが死亡してエンディングか!?と思いきや、エイジとパテマは何と天井に到達します。星空だと思っていた光景はどうやら人工的な照明だったようです。この天井では、パテマが地面に着地し、エイジが落下しそうになる、即ち地上とは立場が逆転するのですが、ここで初めてエイジと観客はパテマが置かれた立場を実感するのです。高所恐怖症の私はこの場面で背筋が凍りつきそうでした。困っている人の身になって考え、人を思いやる気持ちというものは大事でありますが、その困っている状況を本当に理解するためには本気の想像力が必要だということを教えてくれています。
そしてラストでは、実はパテマの方が通常の重力世界の住人であり、エイジが住む世界の方が重力が逆に作用していたことが判明します。この展開は、自分達が当たり前だと考えている世界が本当に当たり前であるかどうかは不確かであることを表現しています。同時に、狭い視野に囚われることへの警告を発し、自分の理解できない世界に対する想像力を喚起していると言えるでしょう。
話は変わりますが、本作のパンフレットも凝った作りになっていました。ページをめくって進んでいくと突然ページの天地が逆転し「あれっ」と思うのですが、ここで16ページが威力を発揮する構成になっており、上手い作りだと思いました。
<製作委員会>アスミック・エース/グッドスマイルカンパニー/キッズステーション/パープルカウスタジオジャパン/ディレクションズ
<配給>アスミック・エース
<アニメーション制作>パープルカウスタジオジャパン
<スタッフ>原作/脚本/監督・吉浦康裕、キャラクター原案・茶山隆介、作画監督・又賀大介、音楽・大島ミチル
<出演者>エイジ・岡本信彦、パテマ・藤井ゆきよ、イザムラ・土師孝也、ポルタ・大畑伸太郎、ジャック・安元洋貴、他
▼過去の記事
【新作アニメ捜査網】第29回 2010年アニメ旬報ベスト10 映画篇
https://otakuma.net/archives/3979878.html
【新作アニメ捜査網】第43回 2011年アニメ旬報ベスト10 映画篇
https://otakuma.net/archives/2012012603.html
【新作アニメ捜査網】第45回 2012年アニメ旬報ベスト10
https://otakuma.net/archives/2013010102.html
(文:コートク)