第2回の続きです。

 【第7章・・・第一次怪獣ブーム】
 
 それまで東宝怪獣映画で特技監督を務めていた円谷英二は、自身の会社である円谷特技プロダクション(本稿では便宜上、円谷プロと表記させて戴きます)を設立して、新しいジャンルであるテレビへの進出を狙っていました。そして1964年に制作し始めたのが『ウルトラQ』(制作当初は『UNBALANCE』という題名だった)です。

【関連:ゴジラ60年の歴史を振り返る 第4回(全7回)】

 特技監督には元松竹の川上景司の他、大映で『宇宙人東京に現る』『釈迦』『鯨神』の特撮に携わった的場徹、東宝の特技キャメラマン・有川貞昌、東宝の本篇キャメラマン・小泉一を招きました。
円谷プロは東宝色が濃かったので、俳優陣は東宝のオールスター(佐原健二、田島義文、小泉博、久保明、平田昭彦、土屋嘉男、野村浩三、髙田稔、田崎潤、藤田進、村上冬樹、小杉義男、若林映子、江原達怡、黒沢年男、黒部進、田村奈巳、沢井桂子、八代美紀、高橋紀子、伊藤久哉、堺左千夫、松本染升、大村千吉、桐野洋雄ら)。
スタッフの顔触れを見ると、東宝の特技美術スタッフ・渡辺明、井上泰幸らの名前が見えます。
特撮面では、東宝特撮映画のライブフィルムの流用や、東宝特撮映画で使われた縫いぐるみ等の流用が見られ、ラルゲユウスの都市破壊シーンは『ラドン』、スダールの描写の一部は『キングコング対ゴジラ』のライブフィルムの流用で、ゴジラを改造したのがゴメス、ラドンを改造したのがリトラ、バラゴンを改造したのがパゴスなどといった具合です。

 本稿はゴジラ60年の歴史を振り返るという性質上、東宝と『ウルトラQ』の関連性の話ばかりになってしまいましたが、『ウルトラQ』は独創的な魅力に溢れた作品です。その源泉の1つが、成田亨デザイン、高山良策造形によるウルトラ怪獣です。単に恐ろしいだけではなく、どこかユーモラスな雰囲気を漂わせたウルトラ怪獣こそ、『ウルトラQ』の人気の理由の1つでしょう。

 さて、この『ウルトラQ』は、全話撮影し終えた後、話数をシャッフルして1966年1月2日から武田薬品提供による東京放送のタケダアワー(最近まで『さんまのスーパーからくりTV』を放送していた枠)で放送されました。『ウルトラQ』は、それまで映画館で1年に1~3回しか見られなかった怪獣が、ほぼ毎週テレビで無料で見られるという革命的な番組でした。
『ウルトラQ』がきっかけで空前の怪獣ブームが勃発します。この時の怪獣ブームを第一次怪獣ブームといい、1967年まで続きました。

 1966年4月17日には大映が、大映東京撮影所制作の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』(本篇監督・田中重雄、特撮監督・湯浅憲明、音楽・木下忠司)と大映京都撮影所制作の『大魔神』(本篇監督・安田公義、特撮監督・黒田義之、音楽・伊福部昭)を2本立てで公開。特撮映画2本立てという日本初の偉業をやってのけました。
大魔神の縫いぐるみと、バルゴンの縫いぐるみは、『ウルトラQ』でも活躍した高山良策が作っています。
『ガメラ対バルゴン』のタイトルクレジットでは「特殊撮影」という見出しの下に「監督 湯浅憲明」と表記され、更に特撮スタッフが表記されています。大映東京撮影所制作の映画『あゝ海軍』『あゝ陸軍隼戦闘隊』(共に1969年)のタイトルクレジットもこの方式です。
一方、『大魔神』のタイトルクレジットでは縦書き2枚タイトルで「監督 安田公義 特撮監督 黒田義之」とクレジットされました。但し、黒田監督の字は小さくなっています。昭和20年代の映画のタイトルクレジットで、監督の脇に小さいフォントで助監督の名前がクレジットされることがありますが、あんな感じですね。映像作品のタイトルクレジットで特撮監督という肩書が使われるのは恐らく『大魔神』が日本初の事例ではないでしょうか。
特技監督という肩書が東宝映画のタイトルクレジットに現れてから11年間、大映、東映、新東宝、松竹、日活における特殊技術班の監督は、特殊技術または特殊撮影という肩書だったり、昭和30年代の東映映画における矢島信男監督のようにタイトルクレジットに名前すら載らない事例も少なくありませんでした。

 1966年7月1日には東映東京撮影所制作の映画『海底大戦争』(本篇監督・佐藤肇、特撮監督・矢島信男、音楽・菊池俊輔)が公開。

 話はまたテレビ界に戻りまして、『ウルトラQ』が高視聴率を獲得していたことに伴い、『ウルトラQ』の裏番組であるフジテレビのアニメ『W3』(原作・手塚治虫)の視聴率が低下。フジテレビは東京放送及び『ウルトラQ』に対抗するため、手塚治虫原作による特撮テレビ番組『マグマ大使』を製作します。
制作プロダクションは、手塚治虫の友人であり、且つ円谷英二と戦前以来の付き合いがある鷺巣富雄率いるピー・プロダクションです。円谷英二は『マグマ大使』の制作をかなり気にかけていたそうです。『マグマ大使』には円谷プロ作品よりも精巧なミニチュアセットが登場するのですが、このミニチュアセットを作ったのが、かつて東宝特撮映画の美術スタッフだった入江義夫です。
『マグマ大使』は1966年7月4日に放送開始。記念すべき日本初のカラー特撮テレビ番組となりました。

 一方、全28話が撮影された後に話数をシャッフルして放送していた『ウルトラQ』ですが、第27話まで放送した後、7月10日に後番組『ウルトラマン』を宣伝する特別番組『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』を放送。
そして7月17日にカラー特撮テレビ番組『ウルトラマン 空想特撮シリーズ』を放送開始。地球の平和を守るスーパーヒーローである初代ウルトラマンの活躍は少年達を熱狂させ、1967年3月26日に放送された第37話「小さな英雄」では視聴率42.8%を記録しました。第10話「謎の恐竜基地」では、ゴジラにえり巻きを付けて色を塗った怪獣ジラースが登場。ウルトラマンは戦闘中にジラースのえり巻きをもぎ取ってしまったため、恰もウルトラマン対ゴジラみたいな構図になってしまったのでした。

 因みに『ウルトラQ』のタイトルクレジットでは特殊技術班の監督は特技監督という肩書でクレジットされ、『ウルトラマン』でも踏襲されていましたが、『ウルトラマン』の途中から特殊技術という肩書でクレジットされるようになりました。この表記は暫く続くことになります。円谷プロ作品で特殊技術という肩書が使われた理由は、円谷英二と同じ肩書を名乗るのは畏れ多いからだそうです。

 1966年7月21日には東映京都撮影所制作の映画『大忍術映画 ワタリ』(本篇監督・船床定男、特撮監督・倉田準二、音楽・小川寛興)が公開。タイトルクレジットでは縦書き2枚タイトル且つ同じ大きさのフォントで「監督 船床定男 特撮監督 倉田準二」とクレジットされています。倉田監督が既に時代劇映画を沢山監督しているからでしょうかね。

 1966年7月31日には東宝が今なお高い人気を誇る怪獣映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)を公開します。本作において特筆すべきは、陸上自衛隊の超兵器・メーサー殺獣光線車でしょう。メーサーという光線で樹木をなぎ倒し、ガイラを追い詰めた強力な兵器です。その後、メーサーという光線を発射する兵器は東宝怪獣映画の定番の1つとなります。伊福部昭による「L作戦マーチ」もメーサー車の活躍を盛り上げました。

 1966年8月13日には大映京都撮影所制作の映画『大魔神怒る』(本篇監督・三隅研次、特撮監督・黒田義之、音楽・伊福部昭)が公開。伊福部昭による大魔神のテーマ曲も前作よりパワーアップ。益々大迫力になりました。タイトルクレジットにおける両監督の表記は前作と同様、即ち、縦書き2枚タイトルで「監督 三隅研次 特撮監督 黒田義之」とクレジットされ、且つ、黒田監督の字は小さくなっています。

 1966年11月9日には円谷プロと東宝によるテレビ番組『快獣ブースカ』が放送開始。

 1966年12月10日には大映京都撮影所制作の映画『大魔神逆襲』(本篇監督・森一生、特撮監督・黒田義之、音楽・伊福部昭)が公開。第1作では悪徳領主のみならず一般庶民にまで襲いかかるという恐ろしい存在だった魔神ですが、本作では使いの鷹を派遣して子供達を見守り、助ける神様になってしまいました。
横書きのエンドロールでは最後に2人セットで
監  督 森 一生 
特撮監督 黒田義之
と表記されているのですが、本作では両監督のフォントの大きさが同じになりました。エンドロールで特撮部門の監督の名前が最後にクレジットされる唯一の映画が『大魔神逆襲』であります。

 1966年12月17日には東宝映画『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(本篇監督・福田純、特技監督・有川貞昌、円谷英二、音楽・佐藤勝)が公開。登場怪獣はタイトルにもなっているゴジラ、エビラ、『地球最大の決戦』に登場した2代目モスラ幼虫が成長した姿である2代目モスラ成虫の他、大コンドル(大ワシ)が登場。ゴジラは、第一次怪獣ブーム中の1966~1967年には南海の孤島に引き籠もっております。
本作は元々キングコング主役の映画として企画されましたが、米側が不満を示したため、キングコングの役割がゴジラに置き換えられました。そのため本作におけるゴジラは人間の女性(水野久美)に興味を示し、加山雄三の「僕は幸せだなあ」の物真似をするなどしています。因みにゴジラと加山雄三は関係がありまして、加山主演映画『エレキの若大将』は『怪獣大戦争』と2本立てでした。
本篇監督の福田純は『国際秘密警察 虎の牙』『100発100中』等の軽妙な活劇映画で活躍しており、本作も軽妙な活劇映画となっています。敵の基地に侵入する場面や、敵から逃亡する場面等、手に汗握る冒険が躍動的に描かれました。
特技監督は、タイトルクレジット上は円谷英二になっていますが、実際は有川貞昌が特技監督を務めたそうです。タイトルクレジットでは、「特殊技術」という見出しの下に「監督補 有川貞昌」と表記されています。有川特技監督は操演技術の高さで有名ですが、本作でもゴジラとエビラが岩でキャッチボールする場面が見所となっています。
本作の予告篇では怪獣の台詞が字幕で表示され、段々と子供向けっぽい雰囲気になってきました。ただ映画のラストでは核兵器への警告が言及されています。
音楽面では、古関裕而、伊福部昭に続いて佐藤勝が3人目のモスラ音楽作曲家となりました。本作で小美人(演じるのは、これまで3作品で小美人を演じたザ・ピーナッツに替わってペア・バンビ)が歌うのは「モスラの唄」(作詞・岩谷時子、作曲・佐藤勝)であります。インストゥルメンタル版がタイトルクレジット時に流れています。エビラ出現時のエレキギター、逃走劇における劇伴など、佐藤勝の劇伴も、ドラマ同様に軽快ですね。

 1966年12月21日には東映東京撮影所制作の映画『黄金バット』(本篇監督・佐藤肇、特撮監督・上村貞夫、音楽・菊池俊輔)と東映京都撮影所制作の映画『怪竜大決戦』(監督・山内鉄也、音楽・津島利章)が2本立てで公開。
『怪竜大決戦』は1955年の映画『忍術児雷也』と同様に時代劇の古典である児雷也を映画化したものですが、巨大なミニチュアセットで怪獣が暴れ回る立派な大スペクタクル怪獣映画になっているあたり、流石は東映。それと共に、1966年の『怪竜大決戦』や1955年の『忍術児雷也』のプロットが江戸時代に作られていたことは、日本人が歴史的に怪獣映画的なものに親しみ続けてきたことを物語っています。

 1967年3月15日には大映東京撮影所制作の映画『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(監督・湯浅憲明、音楽・山内正)が公開。この作品からガメラは本格的に子供の味方になりました。敵怪獣ギャオスは超音波メスでガメラを出血させるなど痛々しい場面もありますが、一方で自動車を真っ二つにする場面はユーモラスです。前作『ガメラ対バルゴン』におけるバックミラー作戦に続いて本作の自衛隊は回転作戦を実行し、そのユニークな作戦ぶりは健在です。尚、ギャオスを造形したエキスプロダクションは『ウルトラマン』でも怪獣の縫いぐるみを作っています。

 話は変わりますが、第一次怪獣ブームの頃、円谷プロを退社した特技監督・川上景司、東宝を退社した特技美術スタッフ・渡辺明らは、日本特撮映画株式会社を設立しました。同社は邦画各社の特撮を次々と手掛けていくことになります。

 1967年3月25日、何と松竹が怪獣映画『宇宙大怪獣ギララ』(本篇監督・二本松嘉瑞、特撮監督・池田博、音楽・いずみたく)を公開。特撮面では日本特撮映画株式会社が協力し、川上景司が特撮監修を務めています。
タイトルクレジットでは横書き2枚タイトルで
監督 二本松嘉瑞
特撮監督 池田博
と表記されており、池田監督の字は小さくなっています。劇中では宇宙の描写も多く、単なる怪獣映画ではないSF映画を作ろうという気概を感じます。

 1967年4月22日には何と日活が怪獣映画『大巨獣ガッパ』(本篇監督・野口晴康、特撮監督・渡辺明、音楽・大森盛太郎)を公開。特撮面では日本特撮映画株式会社が協力し、渡辺明が原案、特撮監督、怪獣デザインの3役をこなしています。
円谷プロの『ウルトラマン』がまだ『科学特捜隊ベムラー』という企画だった時、渡辺は烏天狗をモチーフにしてベムラーのデザインを描いたのですが、このベムラーのデザインがガッパのデザインに繋がっていくのです。特撮部門のキャメラマンには、日活の特撮監督・金田啓治の名前が見えます。松竹が宇宙空間の表現に力を入れたのに対し、日活は熱海城や羽田空港といった実在する場所をミニチュアセットで表現することに力を入れました。

 1967年4月5日には東映京都撮影所制作のカラー特撮テレビ番組『仮面の忍者 赤影』が放送開始。ウルトラマンと同様に主役が赤を前面に押し出しているのは、カラーテレビの時代を感じさせますね。

 1967年4月9日には『ウルトラマン』の放送が終了。東京放送は『ウルトラマン』の放送継続を要望しましたが、円谷プロの制作が追いつかなくなり、放送終了となったのでした。

 1967年4月16日には『ウルトラマン』の後番組として、ウルトラシリーズ第3作である東映東京撮影所制作の特撮テレビ番組『宇宙特撮シリーズ キャプテン・ウルトラ』が放送開始。宇宙を舞台にした物語で、特撮監督(タイトルクレジット上の肩書は特殊技術)は矢島信男、上村貞夫らが務めました。

 1967年7月22日には東宝創立35周年記念映画『キングコングの逆襲』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)とテレビシリーズの再編輯版『長篇怪獣映画 ウルトラマン』(本篇監督・円谷一、特技監督・高野宏一、音楽・宮内国郎)が2本立てで公開。
円谷英二は元々、アメリカ映画『キング・コング』を見て特撮に強い関心を持ったという経歴の持ち主ですが、『キングコングの逆襲』におけるキングコングとゴロザウルスの戦いは、『キング・コング』の一場面を再現したものとなっています。『長篇怪獣映画 ウルトラマン』の方は、まだまだ白黒テレビが主流の時代にあって、チビッ子がカラーのウルトラマンを目撃する機会となりました。

 1967年10月1日にはウルトラシリーズ第4作『ウルトラセブン』(制作・円谷プロ)が放送開始。同作は宇宙人による地球侵略をストーリーの中心に据えた作品で、『ウルトラマン』では野生の怪獣が出現していたのに対し、『ウルトラセブン』に登場する怪獣は野生ではなく、宇宙人に操られた者が殆どです。

 1967年10月2日には東急エージェンシーの子会社が制作しピー・プロが携わったテレビ番組『怪獣王子』が放送開始。タイトルクレジットでは1枚タイトルで「特撮監督 小嶋伸介」と表記されましたが、特撮監督という肩書の人が1枚タイトルで表記されるのは日本初の事例です。

 1967年10月11日には東映東京撮影所制作のテレビ番組『ジャイアントロボ』が放送開始。特撮監督(タイトルクレジット上は特殊技術)は矢島信男らが務めました。

 1967年12月16日には第一次怪獣ブームのトリを務める東宝映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(本篇監督・福田純、特技監督・有川貞昌、音楽・佐藤勝)が公開。有川監督は本作で正式に特技監督とクレジットされました。
本作では題名の通りゴジラの息子であるミニラが登場。『南海の大決闘』に続いてゴジラは南海の孤島に引き籠もっていますが、きっとゴジラも人類から遠いところで平穏に暮らしたいのでしょう。尚、本作の題名に「怪獣島」という言葉が含まれていますが、何匹もの怪獣が住んでいる怪獣島という設定は『ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ対メガロ』等に登場することになります。ゴジラはミニラともども相変わらず擬人的キャラクターとして描かれており、ゴジラの教育パパぶりや、ゴジラの尻尾で縄跳び(?)をするミニラが微笑ましいですね。
 ストーリーは、食糧危機に対応するための実験を描いたもの。現代の怪獣映画の舞台としての南方と、戦前戦中に日本が統治または占領した場所としての南方が、ストーリーの中でリンクした数少ない作品、且つ、恐らく最後の作品となっています(他は『海底軍艦』と『ガメラ対バルゴン』ぐらいでしょうか)。
音楽面では佐藤勝が『南海の大決闘』に続いて明るく軽快な劇伴を披露しました。特撮面では有川監督が得意とする操演が冴え渡り、中に人が入らない虫の怪獣であるカマキラスとクモンガは操演によって見事に生命を吹き込まれました。そして本作の予告篇では漫画の吹き出しによって怪獣の台詞が表現されることになります。

 第4回に続きます。
参考文献は最終回に記載します。 

(文:コートク)