毎年1回のこの企画も今回で7回目になりました。今回もまた、2016年に公開されたアニメ映画のうち、私(筆者)が良かったと思う作品ベスト10を挙げたいと思います。選び方は完全に独断で、興行成績や他の映画評には左右されず、実際に観て”素”で良かったものを選んでいます。そのため他では高評価なものが下位にくることや、他ではあまり評価されていない作品が上位に来ていることもありますが、世間でいう「ステマ」的なことは一切ありません。純粋に良かったと感じた作品をあげ、順位付けしています。

 なお、できるだけ多く劇場には足を運びましたが、2016年に公開された全てのアニメを網羅できているわけではありません。その点ご了承ください。それぞれご覧になった方によって順位や価値観は異なると思います。「こういう見方もあるのだな」程度の気楽な気持ちで、また新たな作品との出会いのきっかけとしてご覧いただければ幸いです。

※本稿はネタバレを含んでいますのでご注意ください。

【関連:アニメライターが独断で選ぶ『2015年アニメ旬報ベスト10』 今年も勝手に発表するよ!】

■第10位・・・『なぜ生きる ~蓮如上人と吉崎炎上~』

<コメント>
 室町時代の高僧・蓮如上人(声・里見浩太朗)を描いたアニメ映画。主演の里見浩太朗は、テレビアニメ『名探偵ポワロとマープル』以来11年ぶりにアニメ声優を務めました。
 宗教映画というものは、指導者による説法シーンがお約束になっており、例えば昭和36年の映画『続親鸞』(原作・吉川英治、監督・田坂具隆)では法然(演・月形龍之介)が説法するシーン、同年の映画『釈迦』(本篇監督・三隅研次、特撮監督・相坂操一/横田達之)ではお釈迦様(演・本郷功次郎)が説法するシーンがありました。本作でもやはり蓮如が説法するシーンがあり、しかも尺が結構長く取られています。
 しかし私が最も印象深かったのは、ストーリー上の実質的な主人公である蓮如の弟子・了顕(声・小西克幸)が後半、門信徒に或る告白をする場面です。
映画の前半、蓮如に弟子入りする前の了顕は、病気で寝ている母親にかなり酷いことを言う男でした。しかし母親の死後、映画の後半で了顕は門信徒に自身が親不孝者であったことを告白します。
「親孝行したい時には親はなし」「墓に布団はかけられぬ」という諺がありますが、昔は現代と比べて長寿の人は少なかったでしょうから、諺に込められた思いは現代よりも切実であったことでしょう。了顕は、自分自身の過去の恥を敢えて晒すことによって、劇中の人々のみならず、スクリーンの外側にいる我々観客をも包括して、教えを授けようとしているように思えてなりません。

『なぜ生きる』

<製作委員会>–
<配給>スールキートス
<アニメーション制作>スタジオディーン
<スタッフ>原作・高森顕徹/明橋大二/伊藤健太郎、脚本・高森顕徹、脚本補・和田清人/平野千恵、キャラクターデザイン・河南正昭、音楽・長谷部徹、監督・大庭秀昭
<出演者>蓮如上人・里見浩太朗、了顕・小西克幸、千代・藤村歩、法敬房・田中秀幸、他

■第9位・・・『劇場版艦隊これくしょん』
<コメント>
 角川映画40周年記念作品。角川映画の定義を説明するとそれだけで1本の評論文になってしまうので本稿では割愛します。
 さて本作はブラウザゲーム『艦隊これくしょん』(通称・艦これ)のテレビアニメ版の続篇です。テレビ版の終盤では史実のミッドウェー海戦をモデルにした海戦が描かれていましたが、映画版では史実通りミッドウェー海戦の後の戦い、即ちガダルカナル島の戦いをモデルとした海戦を描いています。但しストーリー展開は太平洋戦争後半のレイテ沖海戦を下敷きにしており、昭和56年の映画『連合艦隊』(本篇監督・松林宗恵、特技監督・中野昭慶)のレイテ沖海戦のシーンにおける安部徹と高橋幸治の台詞とそっくりな台詞も登場しています。
 本作で観客に衝撃を与えた要素としては、敵キャラクターである深海棲艦の正体が判明したことです。同時に、本作の登場キャラクターである艦娘が戦う理由、そして戦争の最終目標も明らかにされました。
本作の原作ゲームでは個別の海戦の説明や、登場キャラクターによる台詞はあるものの、戦争全体についての説明はなされていない為、インターネット上ではプレイヤーの憶測を呼んでいました。それらの憶測の中に、深海棲艦の正体についての噂もあったのですが、劇場版で明らかにされた深海棲艦の正体がインターネット上の噂と一致していたので、びっくりしました。私の記憶では、深海棲艦の正体についてのネット上の噂は2014年夏には既にありました。
 作り手が以前から構想していた設定を鋭いプレイヤーが見抜いたのか、作り手がネット上の噂を参考にしたのかは不明ですが、『艦これ』という作品はネット上の声に影響される悪い癖がありました。例えば1つ挙げると、『艦これ』のゲームの公式ツイッターアカウントが、ゲーム中で公式に使われている用語ではなく、ネット上の俗語を頻繁に使っている点があります。私は、公式アカウントがネット上の俗語を使うのはやめればいいのにと前から思っておりました。
 話は変わりまして、私は2013年9月26日に『【傑作ゲーム探訪】第6回 艦隊これくしょん~艦これ~』( https://otakuma.net/archives/2013092604.html )という評論文を書いたことがあり、文中で
「戦争で悲劇の結末を迎えた艦船に対する日本人のメンタリティがあるとは言えないでしょうか。そして、ゲームそのものが一種の供養の役割を果たしていると私は考えています。」
と指摘しました。
私は劇場版『艦これ』を観て、この思いを改めて確信致しました。本作の終盤、太平洋戦争中に撃沈された艦船が、海底で抱き続けている無念、悲しみ、苦しみが描かれました。艦船の乗組員が苦しい思いをして沈んでいったであろうことは勿論ですが、艦船もまた爆弾や魚雷で傷つき、70年以上もの長い期間、冷たく暗い海底に沈んでいます。劇場版『艦これ』が終盤で、海底に沈んだ艦船の苦しみに焦点を当てたことをきっかけに、私達は改めて太平洋戦争で海底に沈んだ戦歿者を思い起こし、鎮魂の念を捧げなければならないと思います。

『艦これ』

<製作委員会>KADOKAWA、DMM.com、ディオメディア、フライングドッグ、クロックワークス、C2プレパラート、グロービジョン、ソニーPCL、ムービック、青島文化教材社、WOWOW
<配給>KADOKAWA
<アニメーション制作>ディオメディア
<スタッフ>原案・田中謙介、脚本・花田十輝/田中謙介、キャラクターデザイン/総作画監督・井出直美/松本麻友子/小原充、音楽・亀岡夏海、監督・草川啓造
<出演者>吹雪・上坂すみれ、睦月・日高里菜、如月・日高里菜、夕立・タニベユミ、長門・佐倉綾音、大和・竹達彩奈、加賀・井口裕香、瑞鶴・野水伊織、他

■第8位・・・『聲の形』
<コメント>
 序盤は、聴覚障碍者の少女に対する苛めがストーリーの中心となることから話題を呼んだ1本。本作における聴覚障碍者の描写は、リアルな姿を再現しようとしたもので、特に高く評価すべきは、早見沙織が聴覚障碍者の発音を驚くべきリアルさで表現している点でしょう。
 但しストーリー上の比重が置かれていた要素は、聴覚障碍者の少女に対する苛めよりも別の部分でした。2つの点でそのように指摘することができます。まずは時系列。苛めが行われていたのは主に小学生時代であるのに対し、ストーリーの主要な舞台は高校時代である点。もう1つは主人公が聴覚障碍者の西宮硝子(声・早見沙織)ではなく苛めっ子の石田将也(声・入野自由)である点です。 
本作のストーリーの中心は、小学生時代に苛めを行ってしまった為に逆に虐められる立場となった将也が、高校生活において、当時の関係者とどう向き合うのかという葛藤です。聴覚障碍の要素は、確かにストーリー上必要不可欠な要素ではありますが、要素の1つに過ぎないと言えます。
 2016年10月7日の毎日新聞(紙版)によれば「国民の約6.7%が何らかの障害を持っている」とのことで、私達が普段考えているよりもずっと多くの障碍者の方々が生活していると言えます。とすれば、本作がもし聴覚障碍をストーリーの中心に据えてしまえば、恰も障碍が特別なものであるかのような印象を醸し出してしまいますが、障碍をあくまでも物語上の要素の1つとすることで、障碍者は決して特別な存在ではなく、日常の中にいて当たり前の存在だという風に訴えているような印象を与えます。そして、障碍者が当たり前の存在であることを前提として、少年少女が過去に犯した過ち、或いは過去の苦しみを克服しようとする葛藤、残念ながら今なお続く軋轢といったものを描くことで、少年少女が成長していく中で立ちはだかる壁が描かれ、聴覚障碍もまた少年少女が優しい心を持つ為の過程に立ちはだかる壁の1つに過ぎないという描かれ方をしているという印象を受けました。

~この項の参考文献~
望月麻紀「メディアと障害者像」2016年10月7日、毎日新聞(紙版)

『聲の形』

<製作委員会>京都アニメーション、ポニーキャニオン、ABCアニメーション、クオラス、松竹、講談社
<配給>松竹
<アニメーション制作>京都アニメーション
<スタッフ>原作・大今良時、脚本・吉田玲子、キャラクターデザイン・西屋太志、音楽・牛尾憲輔、監督・山田尚子
<出演者>石田将也・入野自由、西宮硝子・早見沙織、永束友宏・小野賢章、西宮結絃・悠木碧、植野直花・金子有希、佐原みよこ・石川由依、他

■第7位・・・『君の名は。』
<コメント>
 2016年のアニメ映画界のみならず日本映画史に残る大ヒット作です。
 私は、本作には3つの面白い部分があると思いました。序盤における男女の入れ替わりの部分、中盤で糸守町を訪ねる場面、そして後半の歴史を改変する部分です。これはつまり、序破急とか起承転結とか言うやつですね。
 序盤は、男女が入れ替わることによって起きる騒動が愉快に描かれており、楽しいコメディー作品となっています。しかし中盤に様相が一変。主人公・立花瀧(声・神木隆之介)らが、入れ替わりの相手である宮水三葉(声・上白石萌音)が住む糸守町を訪ねる場面では、予想だにしない展開に衝撃を受けました。そしてその衝撃を引き摺ったまま、クライマックスに突入するのです。
 糸守町を守る為に歴史を改変しようとする後半は、果たして糸守町の人々を守れるだろうかという緊迫感に溢れ、手に汗握るストーリーとなっています。
また後半で私が特に面白かった点は、劇中世界における世間の人々が誰も知らなかった秘密を、我々観客が知っているという点です。
 終盤、劇中に登場したマスコミ報道によって、宮水俊樹(声・てらそままさき)町長が理由の不明な避難訓練を突如実施したことが町民を救ったと明らかにされますが、劇中世界における世間の人々にとっては、町長が突如避難訓練を実施したことは謎に満ちた行動であり、町民が助かったことは偶然に過ぎません。
 しかし我々観客は真実を知っています。町長が避難訓練を実施した理由も知っているし、町民が助かったことは偶然ではないことも知っているのです。しかし私が残念なのは、我々観客は真実を知っているだけで目撃した訳ではないということです。町長を説得できるかが、歴史改変の成否の分かれ目であり、我々観客は、果たして町長を説得できるのか固唾を飲んで見守っています。ですから、私は町長の説得に成功するところを見たかったのですが、劇中では肝心な瞬間が描かれませんでした。この失望感は、例えるならば昭和17年の映画『維新の曲』で薩長同盟締結の場面が映像化されなかったのと同じぐらい残念です。
 さて、話題を変えまして、本作のストーリー上における最大の焦点であるタイムスリップと歴史改変について考えてみたいと思います。本稿では以下に、過去の映像作品で登場した歴史改変に関する理論をご紹介します。尚、理論の名称は私が勝手に命名したものですのでご了承ください。

 その1、竜五郎の理論
 この理論は『ウルトラマンエース』第46話「タイムマシンを乗り越えろ!」で竜五郎隊長(演・瑳川哲朗)が唱えた理論です。この回では、タイム超獣ダイダラホーシによってTAC隊員が奈良時代に飛ばされてしまいます。奈良時代でTAC隊員は荒くれ者に襲われますが、TACの竜隊長は「あの男を殺したら現在の何千人、何万人という人々が存在しなくなるかもしれない」と指摘し、荒くれ者に攻撃を加えることを控えます。奈良時代の荒くれ者の子孫が20世紀にもいるだろうから、奈良時代の人間を1人殺すことの後世への影響は計り知れないということを意味しています。

 その2、セワシの理論
 この理論はテレビアニメ『ドラえもん』でのび太の子孫・セワシが語った理論です。『ドラえもん』の世界では同一時間軸上でのタイムスリップが行われていますが、歴史を改編してのび太の妻をジャイ子から静香にした場合の影響を次のように語ります。曰く、東京から大阪に移動するのに自動車、電車、飛行機、船などの手段があるがどれに乗っても最終的に大阪に辿り着くことは変わらない。同様に、のび太の妻が変わってもどこかで辻褄が合って子孫のセワシは生まれてくるというものです。

 その3、後世世界の理論
 この理論はオリジナルビデオアニメ『紺碧の艦隊』に登場した理論です。『紺碧の艦隊』のストーリーは、太平洋戦争中に山本五十六がタイムスリップするところから始まりますが、タイムスリップ先は後世世界(ごぜせかい)というパラレルワールド(並行世界)でした。歴史を改編するタイムスリップ物語で制約をなくす場合、パラレルワールドに移動したことにすると都合がよいらしい。並行世界だから、どれだけ歴史に介入しようが主人公が元いた世界に影響を及ぼさないので、思い切り歴史を改編できるという利点があります。並行世界にタイムスリップして歴史を盛大に改編しまくる作品が『紺碧の艦隊』なのです。

 その4、八坂一の理論
 この理論はテレビアニメ『夏のあらし!』第9話「HERO(ヒーローになる時、それは今)」で八坂一(声・三瓶由布子)が指示棒で図を指しながら説明した理論です。この理論によれば、過去に遡って歴史を改編し、現在に戻ってきた場合、元いた世界ではなく、歴史が変えられたパラレルワールド(並行世界)に来ているかもしれないという。また同番組では、一直線上の時間軸の移動は不自然さを生み出すという指摘もしていました。

 以上4つの理論を比較すると、竜五郎の理論とセワシの理論は同一の時間軸上を移動する際の理論であり、後世世界の理論と八坂一の理論はパラレルワールドを移動する理論となっています。
これらを踏まえて『君の名は。』を見ると、まず指摘できるのは、『君の名は。』における現在の世界と過去に大災害が起きた世界は同一時間軸上にあるということです。即ち、本作の世界は後世世界の理論とは異なるものです。これは、過去の電車の場面から分かります。映画の終盤では歴史改変に成功していますので、本作ではセワシの理論か八坂一の理論のどちらかが発動した可能性がありますが、いくらセワシの理論でも、本来起こる筈だった大災害を回避したら、その影響は甚大であると考えられ、辻褄を合わせるのは至難の業であると考えられます。
よって、本作の世界には大災害が起きた世界と大災害を回避した世界が存在していると考える方が無理が少ないでしょう。ということは、『君の名は。』の劇中世界では八坂一の理論と同じ現象が発生し、パラレルワールドが出現したと考えるのが妥当なのではないでしょうか。

『君の名は。』

<製作委員会>東宝、コミックス・ウェーブ・フィルム、KADOKAWA、ジェイアール東日本企画、アミューズ、voque ting、ローソンHMVエンタテイメント
<配給>東宝
<アニメーション制作>コミックス・ウェーブ・フィルム
<スタッフ>原作/脚本・新海誠、キャラクターデザイン・田中将賀/安藤雅司、作画監督・安藤雅司/他、音楽・RADWIMPS、監督・新海誠
<出演者>立花瀧・神木隆之介、宮水三葉・上白石萌音、勅使河原克彦・成田凌、名取早耶香・悠木碧、奥寺ミキ・長澤まさみ、藤井司・島﨑信長、高木真太・石川界人、他

■第6位・・・『劇場版響け!ユーフォニアム ~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~』
<コメント>
 基本はテレビアニメ『響け!ユーフォニアム』の総集篇としながら、一部に追加要素を含んだ劇場版。
 本作には優れた点が2点あるというのが筆者の見解です。
 まず1点目は、やはり吹奏楽部を描いた作品だけあって、まるで映画館でコンサートを鑑賞しているかのような臨場感を醸し出している点です。特に、菊池俊輔作曲による『暴れん坊将軍』のテーマ曲が選曲されたことは、菊池俊輔ファンの私にとっては大変喜ばしいことであります。
 2点目。本作はフィクションである訳ですから、我々観客は劇中の高校生の頑張りに対して素直に声援を送っていればよいのかもしれませんが、私の見方はそうではなく、本作は部活動のあり方に対して我々観客に考える材料を与えているように見受けられます。

 昨今、学校の部活動の苛酷さのせいで、生徒や教師が負担を蒙っているという話について、ヤフーニュースで大学の学者が論文を発表したり新聞記事になったりしています。例えば6月14日の朝日新聞(紙版)では文部科学大臣が記者会見でこの問題について論評し、文部科学省が解決に乗り出したと報じられています。
 また、特に高校野球の文脈でよく言われるのですが、部活動は教育の一環であるというのが建前であり、勝ち負けを追い求めるべきものではないとされています。
 例えば文部科学省が定めた学習指導要領には、
「部活動については,スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資するものであり,学校教育の一環」
と明記されています。
 昭和63年の映画『ぼくらの七日間戦争』では金田龍之介演じる校長先生が朝礼で吹奏楽部について「情操教育の一環」と念を押していますし、吹奏楽と直截の関係はないものの、公益財団法人日本高等学校野球連盟が定めた日本学生野球憲章には
「国民が等しく教育を受ける権利をもつことは憲法が保障するところであり、学生野球は、この権利を実現すべき学校教育の一環として位置づけられる」
と明記されています。では実態はどうなのでしょうか?

 本作の題材となっている吹奏楽部では、顧問の教師・滝昇(声・櫻井孝宏)が部員に対し、学生生活の楽しい思い出作りか、大会での勝利か、どちらか選ぶよう二者択一を迫ります。部員が大会での勝利を選択したことから、滝先生は部員の合奏を試聴したところ、「私の時間を無駄にしないで戴きたい」と言い放って立ち去ってしまいました。
 これはつまり、部員の合奏が大会に通用するレベルではないという現実を通告して部員の認識を改めさせ、自発的に猛練習する方向に促す心理作戦であった訳ですが、部活動は教育の一環であるという建前を思い起こせば、滝先生の行為は教育活動を抛棄しているようにも見えます。
 しかし視点を変えれば、もし部活動が教育活動の一環であるならば、当然、部活動の顧問を務める教師はその分の給料(残業代)が支給されるべきでありますが、教師が平日に部活動を行っても残業代は支給されず(その代わりとして基本給に若干の上乗せがされている)、休日は何時間以上部活動に従事すると一律に幾らという、時給換算すると大したことない手当が支給されることとされています。とすれば、大会に通用するレベルではない吹奏楽部の相手を残業代無しでするのは時間の無駄だと考えるのもまた人情であります。勿論、滝先生の真意は部員の意識を改革することにあるのですが、この場面は部活動が抱える矛盾を露わにしたと言えるでしょう。

 他にも、滝先生が教頭先生から練習させ過ぎだと怒られている、という台詞がありますが、滝先生は気にしていないそうです。部活動の長時間化が、管理職のコントロールが利かない状態になっているということであり、組織運営上の問題があると言わねばなりますまい。
 繰り返しになりますが、本作は、部活動で努力する高校生を描いた作品であります。よって、マイナス面に着目することは適切ではないというご意見も頂戴するかもしれませんが、上記のような、部活動が長時間に及んでしまい教師や生徒に負担をかける問題や、部活動は教育の一環なのかという問題等、現実の部活動が抱える問題について鋭く見つめている点が本作の優れた点の1つと言えるでしょう。

~この項の参考文献~
文部科学省公式ホームページ
公益財団法人日本高等学校野球連盟公式ホームページ
「部活休養日 全校調査へ」2016年6月14日、朝日新聞(紙版)
内田良「お金よりも休みがほしい 部活動手当増額の問題点」2016年7月31日、Yahoo!ニュース
「週1回「ノー部活デー」大阪府立高、来年1月から試験実施 教員の負担を軽減」2016年11月19日、産経新聞(電子版)

『響け!ユーフォニアム』

<製作委員会>京都アニメーション、ポニーキャニオン、ランティス、楽音舎
<配給>松竹
<アニメーション制作>京都アニメーション
<スタッフ>原作・武田綾乃、原作イラスト・アサダニッキ、脚本・花田十輝、キャラクターデザイン/総作画監督・池田晶子、音楽・松田彬人、監督・石原立也
<出演者>黄前久美子・黒沢ともよ、高坂麗奈・安済知佳、加藤葉月・朝井彩加、川島緑輝・豊田萌絵、田中あすか・寿美菜子、小笠原晴香・早見沙織、中世古香織・茅原実里、滝昇・櫻井孝宏、他

■第5位・・・『ポッピンQ』
<コメント>
 東映アニメーション創立60周年記念作品。東映アニメーションの歴史についても語りたいところではありますが文字数がかさむので割愛致します。

 本作は、日常生活にストレスを感じている5人の少女がパラレルワールドに迷い込み、冒険を繰り広げるストーリーです。
本作の最も優れた点は、良質な子供向け映画となっている点です。本作に登場する少女は、陸上競技でライバルに敗れたことを受け入れられなかったり、仲間から裏切られた為に人付き合いを拒むようになったりしていました。しかし本作のストーリーにおいては、パラレルワールドが、少女達が現実の壁を克服する為の装置となっていたのです。陸上競技で敗れたことを受け入れられなかった少女は、「負けたことを受け入れられない自分」を正面から見つめて過去の自分を超えようと挑み、人付き合いを拒むようになった少女は、自らの意志で「人付き合いを拒む自分」を打ち倒すのです。
 つまり本作は、日常生活に於いて壁にぶち当たって悩んでいる子供達を励まし、勇気付け、「きっと君達も壁を乗り越えられる」と子供達に訴えかけているのです。

ポッピンQ

<製作委員会>東映アニメーション、サミー、セガゲームス セガネットワークス カンパニー
<配給>東映
<アニメーション制作>東映アニメーション
<スタッフ>原作・東堂いづみ、脚本・荒井修子、キャラクター原案・黒星紅白、キャラクターデザイン/総作画監督・浦上貴之、音楽・水谷広実/片山修志、監督・宮原直樹
<出演者>小湊伊純・瀬戸麻沙美、日岡蒼・井澤詩織、友立小夏・種﨑敦美、大道あさひ・小澤亜李、都久井沙紀・黒沢ともよ、他

■第4位・・・『好きになるその瞬間を。 ~告白実行委員会~』
<コメント>
 アニメ映画『ずっと前から好きでした。 ~告白実行委員会~』の文字通りの姉妹篇。
 上映時間63分の中に中学時代から高校時代までを詰め込んだ為、結構急ぎ足なんですが、波乱万丈のストーリーとなっています。というのも、よくある「主人公の男女の恋が進展する」という単線的な恋愛ストーリーではないからです。単線的なストーリーなら、男女が恋に落ちればめでたしめでたしとなるところでしょうが、本作に於いては、誰かが恋に落ちれば別の誰かが悲しみ、或いは誰かが失恋すれば別の誰かにチャンスが到来するかと思いきや逆効果になったり、といったような複線的なストーリーとなっているのです。
 中でも、脇役ながら本作の面白さの幅を恋愛ストーリーだけでなく友情ストーリーへと広げることに貢献したのが高見沢アリサ(声・東山奈央)です。映画の前半で主人公視点で描かれたアリサは「単なる怪しい奴」という扱いでしたが、これはあくまでも主人公からの視点であって、実際のアリサは悩みや葛藤を抱えた人物でありました。ストーリーの途中ではアリサの心の内が明かされ、本作は心温まる友情ストーリーの要素をも含むことになりました。更に終盤では、2人の人物に恩義を感じているアリサは、一方を応援すればもう一方が悲しむという苦境に立たされますが、そうした中で1つの決断を下します。アリサの存在は、ストーリーをより人情味に溢れたものとして盛り上げました。

 本作の見せ場としては、主人公が書いた文章(実際は声優さんが書いたそうです)が観客に読めるように画面に大々的に映し出される場面が挙げられます。中学時代から高校時代までを描いた本作のストーリーを凝縮したもので、主人公にとっては数年間の思いをこめたものであり、とても心のこもった丁寧な文章でありました。しかしこの文章が劇中のストーリー展開上では真価を発揮しなかったのは残念でありました。あんなに一生懸命書いたのに。私は映画を観ながら心の中で登場人物に向かって声を張り上げておりましたよ。

『好きになるその瞬間を。』

<製作委員会>アニプレックス、フジテレビジョン、MCIPホールディングス、電通、ミュージックレイン、インクストゥエンター、ムービック、KADOKAWA、ローソン
<配給>アニプレックス
<アニメーション制作>Qualia Animation
<スタッフ>原作・HoneyWorks、脚本・成田良美、キャラクターデザイン/総作画監督・藤井まき、音楽・HoneyWorks、監督・柳沢テツヤ
<出演者>瀬戸口雛・麻倉もも、瀬戸口優・神谷浩史、榎本虎太朗・花江夏樹、榎本夏樹・戸松遥、綾瀬恋雪・代永翼、他

■第3位・・・『機動戦士ガンダム THE ORIGIN III 暁の蜂起』
<コメント>
 アニメ『機動戦士ガンダム』の登場人物・シャア・アズナブル(本名・キャスバル・レム・ダイクン、声・池田秀一)を主人公に、同作の前日譚を描いたシリーズの3作目。本作では、ジオン自治共和国国防軍士官学校に入学したキャスバルの暗躍を描きます。
 流石にキャスバルは幼少の頃から修羅場をくくり抜けてきただけあって、本作でも次から次へと深謀遠慮を繰り広げます。まさに本作の面白さはこの点が源になっており、キャスバルが深謀遠慮を繰り広げれば繰り広げるほど面白さが比例しているのです。

 まず序盤においてキャスバルは、自身と瓜二つの青年・シャア・アズナブル(声・関俊彦)と入れ替わってジオン自治共和国国防軍士官学校に入学するのですが、この時の経緯に於いては、およそ人間業とは思えぬほど全てを見通した超人的な頭の回転を披露しています。キャスバルは宿敵ザビ家から命を狙われていた為、序盤の場面でも恐らくザビ家が自分を暗殺しようとしているだろうと読んでいたのでしょうが、それにしても瞬時にしてキャスバルは死んだとザビ家に思い込ませ、自分は堂々とジオン自治共和国国防軍士官学校に入学する方法を思い付くなど、一体どうすればそんなことまで閃くのかと脱帽してしまいます。それとも、ザビ家が自分を暗殺するだろうと見越して、事前に入れ替わりの計画を練っていたのでしょうか?
 キャスバルの深謀遠慮ぶりはストーリーの後半でも発揮されます。
 争乱の最中、キャスバルは自分に都合の悪い人物を、自分では手を下さずに、争乱のドサクサに紛れて戦死させてしまいます。争乱の状況を思うがままに操る手腕は、後の場面を彷彿とさせるものです。即ち、本作より時系列上は後の物語となるアニメ『機動戦士ガンダム』第10話「ガルマ散る」で見せたキャスバル(シャア)の天才的な謀略の才能が若い頃に既に完成されていたことを物語っています。

 これほどまでに恐ろしいキャスバルですが、本作の劇中、キャスバルが優しさを見せる場面が2箇所ありました。
 1つは、訓練中に負傷したガルマ・ザビ(声・柿原徹也)を助ける場面です。これはガルマの信頼を得てザビ家に近付く為の策略であると思われがますが、もう1つは策略では説明できません。それは、机で勉強しながら寝てしまったガルマに毛布をかけてあげる場面です。あの恐ろしいキャスバルにも優しい心があったのでしょうか?キャスバルの人間性を次々と観客に明かしながら、物語は遂に佳境を迎えるのです。

『機動戦士ガンダム』

<製作>サンライズ
<スタッフ>原作・矢立肇/富野由悠季、漫画原作・安彦良和、脚本・隅沢克之、アニメーションキャラクターデザイン・安彦良和/ことぶきつかさ、オリジナルメカニカルデザイン・大河原邦男、メカニカルデザイン・カトキハジメ/山根公利/明貴美加/アストレイズ、総作画監督・西村博之、メカ総作画監督・鈴木卓也、音楽・服部隆之、監督・今西隆志、総監督・安彦良和
<出演者>キャスバル・レム・ダイクン・池田秀一、ガルマ・ザビ・柿原徹也、リノ・フェルナンデス・前野智昭、ドズル・ザビ・三宅健太、ゼナ・ミア・茅野愛衣、他

■第2位・・・『ルドルフとイッパイアッテナ』
<コメント>
 児童文学『ルドルフとイッパイアッテナ』及びその続篇『ルドルフともだちひとりだち』の2冊を映画化した作品。
 まず本作で観客に強いインパクトを与えるのは、主人公である飼い猫・ルドルフ(声・井上真央)が置かれた境遇です。ルドルフはトラックの荷台で気を失い、見知らぬ土地である東京都に辿り着きます。従ってルドルフは当然の如く元の住まいに戻ろうとしますが、そこには高い壁が立ちはだかります。ルドルフは、自分が飼われていた一家の住所を知らなかったのです。元の住まいに戻ろうにも、元の住まいがどこか分からないのです。これはもう途方に暮れてしまう事態であり、私なんぞはもう二度と元の住まいに戻れないんじゃないかと落ち込んでしまうところなんですが、本作には次のような台詞が登場します。
「絶望は愚か者の答えだ。」
何と力強い台詞でありましょう。ルドルフはこの台詞を胸に刻み、見聞を広めて機会を待つと共に、故郷に帰るための努力を重ねます。その姿は、諦めないことの大切さを観客に伝えています。この点こそ本作が伝えたかったメッセージであると考えられ、高く評価されて然るべきでありましょう。

 努力の甲斐あってルドルフは飼い主の家に辿り着きますが、必ずしも目的を達したとは言い難い展開でした。映画の終盤の展開は原作2作目の『ルドルフともだちひとりだち』の終盤の展開とほぼ同じ(細部に多少の違いはありますが)ではあり、本映画公開に合わせて出版された『ルドルフともだちひとりだち』の文庫本の巻末ではイッパイアッテナ役の鈴木亮平氏が映画のラストに対して深い分析を寄せてとてもいいことをおっしゃっているんですが、私のくだらん感想もちょっとだけ書かせて戴きます。

 原作では2巻の『ルドルフともだちひとりだち』に突入すると、ルドルフは東京での生活を或る程度満喫しており、心の中に元の住まいが引っ掛かってはいたものの、元の住まいに帰るという話はあまり言及されなくなっていました。一方、映画版は元の住まいに帰るという目標がストーリーの中心を一貫していた為、ラストでその目標が達成されなかったことを大変残念に思っている次第です。

~この項の参考文献~
斉藤洋『ルドルフとイッパイアッテナ』講談社文庫版、2016年、講談社
斉藤洋『ルドルフともだちひとりだち』講談社文庫版、2016年、講談社

『ルドルフとイッパイアッテナ』

<製作委員会>日本テレビ放送網、東宝、講談社、OLM、バンダイ、バップ、読売テレビ、電通、PPM、ホリプロ、D.N.ドリームパートナーズ、日本出版販売、ローソンHMVエンタテイメント、札幌テレビ、ミヤギテレビ、静岡第一テレビ、中京テレビ放送、広島テレビ、福岡放送
<配給>東宝
<アニメーション制作>Sprite Animation Studios、OLM、OLM Digital
<スタッフ>原作・斉藤洋/杉浦範茂、脚本・加藤陽一、キャラクターデザイン・阿波パトリック徹、音楽・佐藤直紀、監督・湯山邦彦/榊原幹典
<出演者>ルドルフ・井上真央、イッパイアッテナ・鈴木亮平、ブッチー・八嶋智人、ミーシャ・水樹奈々、デビル・古田新太、他

■第1位・・・『この世界の片隅に』
<コメント>
 太平洋戦争の前後の広島県呉市を舞台に、戦時下を生きる主婦・北條すず(声・のん)の日常を描いた作品。本作の最も優れた点は、戦時下の庶民の日常生活や喜怒哀楽を、まるでドキュメンタリーのように描いた点です。

 東京都千代田区九段南(靖国神社の近く)には昭和館という博物館があり、そこには戦時下の食生活に関する展示があるのですが、本作は戦時下の人々がいかにして食料を調理して食べていたのかを凄く詳細に描いており、まるで目の前に戦時下の住民が実在しているかのようです。本作はアニメですから、アニメを真に受けるのはどうかというご意見もあるでしょうが、本作はいわば博物館を補完する作品になっていると言えます。博物館では学術的な見学をして、本作は再現映像として視聴することで、より一層勉強になるというものです。

 さて本作は太平洋戦争を時系列に従って描いた作品ですので、映画の後半になると太平洋戦争の末期の場面となるのですが、戦争の末期ともなれば戦局は悪化し、辛いシーンの連続なので我々観客も映画を観るのが辛くなってきます。しかし実際に戦争中を生きていた人々は本当にこのような恐ろしい思いをしていたことに、我々観客は思いを馳せなければならないでしょう。
 本作の舞台は広島県呉市ということで、本作の後半では、呉軍港への空襲がストーリー上の主要な大事件となります。
太平洋戦争中の日本に対する空襲といえば東京都への空襲、広島市への原子爆弾投下、長崎市への原爆投下の3つが特に有名であり、映像作品を見ても、
昭和20年3月10日の東京都への空襲を描いた映画としては平成3年の『戦争と青春』(原作・早乙女勝元、監督・今井正)
昭和20年5月24日~25日の東京都への空襲を描いた映画としては昭和28年の『君の名は』(原作・菊田一夫、本篇監督・大庭秀雄、特技監督・円谷英二/川上景司)、昭和29年の『日本敗れず』(本篇監督・阿部豊、特殊技術・新東宝特殊技術部)、平成27年の『日本のいちばん長い日』(原作・半藤一利、監督・原田眞人、VFXスーパーバイザー・オダイッセイ)、平成28年の『海賊とよばれた男』(原作・百田尚樹、監督/VFX・山崎貴)
広島市への原爆投下を描いた映画としては昭和58年のアニメ映画『はだしのゲン』(原作・中沢啓治、監督・真崎守)
長崎市への原爆投下を描いた映画としては昭和58年の『この子を残して』(原作・永井隆、本篇監督・木下恵介、特撮監督・成田亨)があります。

 これに対して、上記3つの空襲を仮に三大空襲と呼ぶとすると、三大空襲以外の空襲は郷土史の文脈で取り上げられることはあっても、三大空襲と比べて知名度は低く、映像作品で描かれることは多くはありませんでした。三大空襲以外の空襲を描いた映像作品は、
昭和20年3月18日(劇中のナレーションによる)の愛媛県松山市への空襲を描いた昭和38年の映画『太平洋の翼』(本篇監督・松林宗恵、特技監督・円谷英二)
昭和20年5月29日の横浜市への空襲を描いた平成21年のテレビアニメ『夏のあらし!』第6話「恋におちて」(原作・小林尽、監督・新房昭之)等、数える程度です。

 その点から言うと、呉市への空襲を描いた本作は貴重な作品と言えます。本作では何月何日何時何分に空襲警報が発令されたという記録が執拗に画面に映し出され、当時の呉市民が味わった恐怖を観客に伝えることに成功しています。本作はアニメでありながらも、戦争中の呉市民がいかにして戦争を生き抜いたかを伝える貴重な記録文学であったのです。

『この世界の片隅に』

<製作委員会>朝日新聞社、エー・ティー・エックス、Cygames、TBSラジオ、東京カラーフォント・ウィングス、東京テアトル、東北新社、バンダイビジュアル、双葉社、マック、MAPPA、ジェンコ
<配給>東京テアトル
<アニメーション制作>MAPPA
<スタッフ>原作・こうの史代、脚本・片渕須直、キャラクターデザイン/作画監督・松原秀典、音楽・コトリンゴ、監督・片渕須直
<出演者>北條すず・のん、北條周作・細谷佳正、黒村径子・尾身美詞、黒村晴美・稲葉菜月、北條円太郎・牛山茂、北條サン・新谷真弓、他

(コートク)