世界中に愛されたドイツを代表する車、フォルクスワーゲン・ビートルがついに生産終了です。2018年9月13日、フォルクスワーゲンは2019年7月に販売予定の特別仕様車「ファイナル・エディション」をもって、ビートルの生産を終了すると発表しました。
世界中に知られたフォルクスワーゲン・ビートル。その歴史は大きく2つに分けられます。まずは2003年まで生産されたリヤエンジン・後輪駆動(RR)の「タイプ1」、そして1998年から現在にいたるフロントエンジン・前輪駆動(FF)の「ニュービートル」、「ザ・ビートル」です。
初代「ビートル」は、1933年にドイツ首相となったアドルフ・ヒトラー(翌1934年、ヒンデンブルク大統領死去に伴い大統領権限を個人で継承し総統)の大衆政策の一環で、「国民車(フォルクスワーゲン)」構想が打ち出されたことがきっかけで誕生しました。1920年代から高性能な小型車の案を温めていたフェルディナンド・ポルシェはこの構想に乗り、当時最もパッケージングに優れた形式だった空冷リヤエンジンの後輪駆動(RR)形式を持つ流線型の小型車を提案。ヒトラーに採用されて詳細設計に入り、1936年に現在の形となる試作車が完成、そして1938年から量産体制に入りました。
ヒトラーにより「Kdf Wagen(カーデーエフ・ヴァーゲン。歓喜力行団車)」と名付けられたこの車は、現在の自動車ローンとは逆の積立金方式で毎月一定額を納めていき、満額になったら車が引き渡されるという方式で販売されました。しかし、直後に勃発した第二次世界大戦で経済情勢が激変してしまい、満額まで代金を納めて車を手に入れた一般市民は皆無。生産ラインも軍用車両用にほとんどが振り向けられ、実際の車を手にしたのは軍人や政権幹部など、ほんの一握りだったと言われます。モデルは通常のセダンタイプの「リムジン」、開閉式ソフトトップ仕様の「カブリオリムジン」、コンバーチブルの「カブリオ」の3種が設定されていました。
戦争中はこの車のレイアウトを応用して、様々な軍用車両が作られました。代表的なものがキューベルワーゲン(タイプ82)や、四輪駆動の水陸両用車シュビムワーゲン(タイプ166)です。戦争末期になると日本同様に燃料の枯渇に悩まされ、木炭ガスでエンジンを動かす木炭車仕様も製造されました。
戦後、ようやく民生用の生産が再開され、本当の意味での「フォルクスワーゲン(国民車)」となります。勘違いしがちですが、この車のモデル名は「フォルクスワーゲン」であり、これにエンジン排気量が付記されるのみ。「タイプ1」というのは、アメリカでフォルクスワーゲン社から他の車種が販売されるようになって便宜的につけられたもので、ビートルというのは工場を見学に来た人が形を見て「ビートル(カブトムシ。甲虫)みたいな車」と言ったことが発端とされています。
戦後の自動車需要はすさまじく、1946年に1万台生産を達成すると、1950年に10万台、そして1955年には生産100万台を記録するまでになります。1947年のオランダを皮切りに輸出も始まり、自動車の本場アメリカには1949年に初上陸。日本では1952年から正式輸入が始まりました。
この間にはドイツのコーチビルダー、ヘップミューラーが手がけた流麗なコンバーチブルモデル、通称「ヘップミューラー・クーペ(カブリオレ)」が少量生産され、マニアの間では知る人ぞ知る車となっています。
その後も生産量は増え、1965年に生産1000万台を達成。ブラジルでの生産も始まっていたとはいえ、100万台達成からわずか10年で1000万台生産を達成するというのは、世界中で売れまくった結果でしょう。1972年にはフォード・モデルT(T型フォード)が持っていた「単一車種での最多量産記録」を上回る1500万7034台目のフォルクスワーゲンがラインオフ。世界で最も多く生産された車となりました。
しかし1974年、様々な改良を加え続けていたとはいえ、基本設計をそのままに生産し続けていたため、後継車であるゴルフに道を譲って、1191万6519号車をもってドイツ・ウォルフスブルク工場での生産を終了。その後も小規模生産が続いていましたが、1978年1月19日にドイツ国内での生産が完全に終了し、ブラジルとメキシコでのみ生産が続けられることになりました。
最後まで初代ビートルであるフォルクスワーゲンを生産していたのはメキシコ。そこでも2003年7月30日、最終生産車がラインを離れ、今後破られることはないであろう、累計生産2152万9464台の単一車種量産記録を残して生産を終了しました。最終生産仕様「ウルティマ・エディシオン」には、戦後の一時期フォルクスワーゲンのフロントトランクハンドル上にあった、フォルクスワーゲンの紋章(工場のあるウォルフスブルク市の紋章がモチーフ)が取り付けられていました。
液冷フロントエンジン・前輪駆動(FF)形式の新世代ビートルが生まれたのは1998年。4代目ゴルフのプラットフォームを用いて、ビートルの丸いシルエットを現代的にアレンジして「ニュービートル」が誕生しました。この当時はメキシコで初代ビートルが生産中だったので、「ニュー」というモデル名になったのですが、フォルクスワーゲンが「ビートル」というモデル名を正式に使用するのは、これが初めてのことでした。
その後2011年に、6代目ジェッタと同じプラットフォームを用いた2012年モデルとして「ザ・ビートル」が誕生。ニュービートルの後継車となり、現在に至っています。
1938年から80年、3代(初代は正式に「ビートル」というモデル名ではありませんでしたが)にわたって生産され続け、ドイツだけでなく世界の国民車として親しまれたビートル。それも2019年でお別れとなります。最終モデルとなる「ファイナル・エディション」は、2003年の初代ビートル最終生産仕様「ウルティマ・エディシオン」と同じ、ライトブルーとベージュの2色。ボディタイプはセダンとコンバーチブル(カブリオレ)が用意されます。エンジンは2.0リッターTSI(ガソリン直噴ターボ)、6速ATが組み合わされます。
フォルクスワーゲンは2019年7月のビートル生産終了まで、ビートルの歴史を振り返る様々なイベントを世界中で展開する予定。世界中のオーナーやファンたちに対し、SNSで「#byebyeBeetle」のハッシュタグをつけて、思い出を共有してほしいと呼びかけています。
Image:VolksWagen AG
(咲村珠樹)