「中の人」と称される、企業公式Twitter運用担当者。

 年齢性別に所属部署や役職と、それぞれの立場が異なるさまざまな人が、「Twitter」という共通のSNSプラットフォームで、日々所属企業の情報発信という仕事を行っています。

 中にはメディア露出をする担当者が存在するなど、どちらかといえば「目立つ」仕事。一方で、担当を降りた「後」を知る機会はほとんどありません。

 そこで編集部では、かつて「中の人」だった人物を不定期に紹介。本人からお話をうかがいつつ「当時」と「現在」をお伝えしていきます。今回は元セガサミー・小島雄一郎さんです。

■ 「セガサミーグループの情報発信アカウント」運用担当者

 小島さんは、かつて総合エンタメ企業「セガサミーグループ」に勤務していた人物。現在は退職し、同業界の他企業に在籍しています。

 “元セガの中の人”だった小島さんですが、運用していたのは、グループ最大のフォロワー数を有するセガ公式アカウント(@SEGA_OFFICIAL)ではなく、「SEGA ID公式(@SEGA_ID)」と「セガサミーCSR(@SEGASAMMY_CSR)」という、セガの会員システム(SEGA ID)と、セガサミーグループ全体の社会貢献活動(セガサミーCSR)について情報発信をするアカウント。

 SEGA ID公式は2014年春から2018年にかけ、セガサミーCSRは2020年から2021年春まで、それぞれ担当者として関わっていました。

■ 「社内転職」を繰り返したセガサミー時代

 
 1994年に株式会社セガ・エンタープライゼス(当時)に新卒入社して以降、同社におけるキャリアは、「ほぼ社内転職」の連続だったという小島さん。

 最初に配属されたのは、当時隆盛を誇っていた「プリクラ」などのアミューズメント機器の営業職。そこでは年間のトップセールスを記録するも、「ノルマ(数字)に追われるのが嫌になりまして」と、2000年に、アミューズメント施設向け景品「プライズ」のマーケティング部門へ異動します。

 そこでは、景品のカタログ制作や、内覧会の運営などを主に担当。さらに、現在も「プライズフェア」として継続されている、メーカーが合同で実施する内覧会「プライズコラボレーション」立ち上げにも参画しました。

 しかし、販売の強化のために再び営業部門へ異動を求められ、部門責任者として組織をけん引し、セガプライズのシェアを業界トップに押し上げます。

 その後2006年には、当時日本中の子どもたちの間でブームとなっていたカードゲーム、「甲虫王者ムシキング」「オシャレ魔女 ラブandベリー」などを手掛けるファミリー関連部門へ異動。営業や販促を担当します。

 また在籍中にはゲーム内の企画も提案。カードゲーム「古代王者 恐竜キング」では、恐竜カードのひとつ「たまごカード」などを生み出します。なお、数年後にセガが同事業を撤退することが決定した際には、事業仕分けや撤退計画の作成から完遂を担い、「経営管理」的な業務にも携わりました。

 その矢先の2010年、セガ社内では大きな組織の改編があり、それまでに「家庭用」「業務用」「モバイル」などの事業で分かれていた組織が、「国内」「海外」のリージョン(地域)制に変わります。小島さんは国内に所属し、それまでの「社外」から「社内」を相手にした活動に移行します。

 担当したのは、セガ内に複数あった会員基盤の統合。複数の部門を巻き込みながら、1つのID(SEGA ID)に統合し、会員管理(CRM)やデータ利活用など、付帯環境の整備とともに新規サービスの採用提案や導入支援などに取り組みます。強力なタイトルの参画などにも助けられ、当初300万ID台から始まった会員基盤は、最終的に700万を超える規模にまで拡大させ、企業視点での生産性の向上や、数億円規模の経費削減に貢献しました。

 そして2015年以降は、「働き方改革」や、本社機能の集約に関する社内向けプロモーションなど、活動領域がセガサミーグループ全体に拡がります。

 東京・大崎への本社機能集約時には、1フロア(約1,600坪)を丸々使った内覧イベントを2件起案。従業員向けのエンタメ体験会や、家族向けに自転車教室などを実施しました。

 他にはコンプライアンスやCSR・SDGsの推進を兼務。多岐にわたる実務経験は、一般的な会社員のキャリア形成とは一線を画したものとなっています。

「社内転職」の繰り返しだったセガサミー時代。

■ 2つの「中の人」

 小島さんがSEGA IDの全体管理を行う中で請け負ったのが、SEGA_ID公式Twitterの「中の人」でした。

 ちなみに、セガ公式アカウントの運用は広報部門が、その他の公式については、タイトルごとに広報担当者が担っているそうですが、SEGA_IDには専任者がいませんでした。そのため、過去の実務経験(営業・マーケティング・プロモーションなど)での知見をベースに、業務の傍ら「すきま時間」で運用していたそうです。

 運用についてはコミュニケーション重視。2022年7月現在でフォロワー数が48万人超を抱えるセガ公式と違い、“目立つ”アカウントでもなかったことから、時にガイドラインすれすれを攻めたという発信は、数多くある「セガ関連アカウント」の中でも、やや異質ともいえる存在感を放っていました。小島さんの軽妙な語り口での投稿は、セガ公式アカウントとはまた違う魅力を出し、「セガ会員システム関連」という“お堅い”イメージも崩していきました。

 しかしながら数年後、組織の変更により管理者を外れることになり、そのタイミングで「中の人」としても身を引きます。

 一方、SEGASAMMYCSR(@SEGASAMMY_CSR)アカウントに関しては、セガサミーグループの社会貢献活動をもっと社会に周知すべく開設を提起されたそう。そして、開設と同時にそのまま担当者になっています。

 ただ当時は、セガサミーホールディングス唯一の公式アカウントということもあり、運用は堅実さを求められ、前任時の“遊び心”は封印したとのことです。

■ 「CHANGE」にこそ「CHANCE」がある

 セガサミー時代の小島さんは様々な仕事に携わっています。営業・マーケティング・プロモーション・経営管理・ICT(情報通信技術)・総務などなど……「ゼネラリスト」を体現した経歴ですが、背景には節目節目に、異動先から声がかかっての“社内移籍”が多かったといいます。何故そうなったのでしょうか。

 異動した先々で、小島さんは何かしらの「新しいこと」に挑んでいます。セガグループは、ゲーム機器の他にも、玩具や映像事業なども手掛けており、グループ横断で連携した「爆丸プロジェクト」でセガ側の担当になった際は、玩具は同系製品をゼロベースで開発。協力会社や海外にある工場へ直接足を運びつつ、販促イベントの企画や現場対応、果てはCM制作(出演)などまで行っていたりします。

 他にも競合他社へ話を持ち掛け、コラボ製品の開発や機材の共用を提案したりと、自らが主体的に踏み込むチャレンジで社内外の「周囲」を巻き込み、結果として、活動内容や仕事に対する姿勢により、「小島雄一郎」という存在が認知されていたのかもしれません。

 「『定められた部署で求められた仕事をする』が本来の会社員の役割です。でも、それだと面白くないじゃないですか?『CHANGEにこそCHANCEがある』と信じ、“変わる”と“変える”を常に周囲に説いていましたね」

「CHANGE」こそ「CHANCE」。社内転職を繰り返した小島さんならではのモットー。

■ 「仕事は人」「人は縁」

 「社内」で繰り返した「CHANGE」により、都度新たな「CHANCE」を得てきた小島さんですが、2021年2月末をもって27年勤めたセガサミーグループを退職します。50歳を前に、さらに世の中はコロナ禍というタイミングで、「社外」に向けて大きな「CHANGE」を選択しました。

 「グループの従業者を相手にした近年の仕事は、自分の意思が多分に含まれたものとなります。元々それは、『未経験かつ、他者を動かす領域に携わること』が目的でしたが、そこに関われた結果、『この先はどこを狙っていく?』と実は考え始めていた頃でした。そんな時に『早期退職』の募集があり、締め切りのギリギリまで悩みましたが、『これほど恵まれたチャンスはないのでは』と(退職を)決断しました」

 そして、現在所属する同業界の他社へ……ではなかったりします。実は小島さん、現職の前に一度別の会社へ転職しています。そこは、かつてビジネスパートナーだったIT企業「株式会社Colorkrew」。以前より何度か誘われており、退職の意向を固めたときにも声がかかり、「この人たちと頑張ってみよう」と人生初めての転職先に選択。

 人生経験も含めた、「生き字引的存在」として新天地に飛び込んだのもつかの間、長年付き合いがあったという人物と意外な出来事が起こります。

 「転職直後の忙しさも落ち着き、新人営業マン時代に初めて担当した取引先でお世話になった方へ挨拶に行きました。実はその会社は、後に現職企業と経営統合し、その方も役員に昇進されていました。といっても当初は、顔見せ、転職の経緯、今後の自分について説明をしておく……というくらいの軽い気持ちのものでした」

 「一念発起して異業種へ飛び出し、『今後はこういったことをやります』と話した矢先に、『うち来ません?』と返されました。拍子抜けしますよね。私も『転職の挨拶で来た人間にリクルートはおかしいでしょう』と応じたのですが、『別にうちに関係ないし』でした」

 一見強引ともいえる勧誘でしたが、話を聞いていく中で、小島さんの胸に去来したのは「心残り」と「恩義」でした。

 「アミューズメント業界を出ること自体に、心残りはありませんでした。しかし先方からは、『長年の経験を捨てちゃうの?』と、『うちは業界とITが分かる人間をずっと探しているんだけど、なかなか見つからないんだ』と言われました」

 「どちらか一方の経験を有する方は無数にいます。しかし、両立ができる人材は業界内でも稀有です。簡単にできることでもありません。それが、自分の“社会人デビュー”を支えてくれた会社で、かつ要職に就いている方の困りごとですから、さすがに聞き流すこと出来ませんでした。とはいえ、その場では『自分のキャリアが本当に希望にかなうものか今一度考えてください。それでも……であれば、私も真剣に検討いたします』で一旦失礼しました」

 「しかし、先方からの意思が変わらないこともあり、私も熟考しました。結果、『自分が貢献できそうな領域がある』という結論に至ります。特に顧客管理などの『CRM』については、私はセガサミー時代に志半ばで異動しており、実はずっと『悔しかった』領域でした。携わった当時から10年以上の時間が経ち、世の中全体で技術進歩し、できることも増えています。先方からのニーズに適い、自分自身も再挑戦できそうな環境はとても魅力的でした」

 「一方で前職Colorkrewへの恩義もあります。安易な決断は出来ません。ただ、この会社では『個々のチャレンジや成長を尊重し、それを応援する』という素晴らしい文化や風土が根付いていました。自分がしようとしていることは、その『チャレンジ』で、『ここで転身しても恩返しができるチャンスはきっとあるはず』で答え(再転職)が出ました」

 「出世」よりも、「志のある仕事」「何をするかより誰とするか」を指向する小島さん。挑戦と共に、恩返しを選びました。

 「組織や会社が困っているとき、それを支えられる人間がいるなら、その人間が支えなければいけないんですよ。対象が限定されているなら猶更です。それをしっかりやりきることで、相手への貢献にも繋がることがほとんどです」

 2022年6月で、「再転職」からちょうど1年になる小島さん。現在の会社では、定年までの残り10年少しの時間を、これまで培った知見の還元に、新しい何かを創り出すことに充てたいとのことです。そして、いずれは古巣セガサミーや、アミューズメント業界全体にも恩返しをしていきたいそうです。

■ 取材をおえて

 小島さんは仕事をする上での信条として、「異質な経験こそ財産」といいます。組織や会社への貢献が前提としながら、「他者とは違う」ことを挑戦し、成し遂げてきました。

 それは、SEGA_ID公式Twitter運用においても該当します。率直に言えば、「Twitterの中の人」は、小島さんがやってもやらなくても、キャリアの中ではさほど影響を与えない「仕事」だったと思います。

 しかし一方で、他にはない異質さを感じ取ったため、筆者をはじめ何人もの人の記憶に残る「中の人」だったと言えるでしょう。

 冒頭述べた通り、Twitter担当者の属性は多種多様。今回話を聞いた小島さんのように、既にしっかりとしたキャリアを積んだ人間が担うときもあれば、逆に新入社員を抜擢するケースもあります。よって一口で「中の人」といっても、実は全員個性が異なるユニークな人ばかり。今後も、様々な企業の「元中の人」たちから、「今だから話せるあれこれ」をうかがいつつ、その魅力を紹介していきます。

<取材協力>
小島 雄一郎さん

(向山純平)