室屋義秀選手がアジア人初のワールドチャンピオンとなり幕を閉じた、2017年のレッドブル・エアレース。日本に帰国した室屋選手が記者会見を行い、激動の2017年シーズンを振り返りました。
記者会見はレッドブル・エアレース千葉大会でMCを務めたAlee(アリー)さんとのトークショー形式で進行。記者会見の前日に帰国したという室屋選手は、ワールドチャンピオンのトロフィとともに登場しました。
実は今シーズン、室屋選手のナンバーである「31」のロゴはデザインがリニューアルされていました。よく見ると3と1の間に「1」が浮かぶようなシェイプになっています。再三していた「今年はワールドチャンピオンを目指す」という決意表明、それをナンバーのデザインにも反映させてシーズンに臨んでいたのです。
■激動の2017年シーズン
2017年シーズンは、室屋さん自身も「つらかったですね」と振り返る、オーバーGによるDNFに終わったアブダビ大会で開幕しました。「冬場、総合優勝と意気込んで機体をいろいろ改造したんですが、全部が裏目に出た」と言います。
「エンジンが完全にオーバーヒートして、全くレースにならない状態で。それでもレース日にはなんとか元に戻ってきたんですけどね。そしたらコンピュータのシステムを含めていろんなものが壊れてしまって……結局オーバーGに」
それでもレースの日には機体の速度自体は向上していた(だから感覚をアジャストできずにオーバーGになった)ので、第2戦サンディエゴ大会まで2ヶ月弱のインターバルの間にトレーニングとテストを繰り返し、その結果が今シーズン初勝利(通算2勝目)。そして第3戦・千葉での連勝につながった……と語りました。
千葉大会を終えて、ポイントランキングで初めてトップに立ちますが、実はその時点で「少しずつ崩れ始めていた」といいます。
「2連勝で色々お祝いしてもらったりで、スケジュールが過密になってしまい、トレーニングなど調整がいまいちし切れなかったというか。ブダペスト辺りからなんとなくテンポが崩れ始めていたんですけども……ブダペストではそれでも3位だったんで、まぁいけるかな、と思ったんですが、若干下ってる感じだったんです」
間をおかずに初のロシア開催となった第5戦カザン大会。ブダペストで感じた不安が、ラウンド・オブ14敗退という結果となって現れます。そして続くポルト大会では、機体の構造部(エアフレーム)が損傷し、ヒビが入るというアクシデントが発生。機体構造が損傷した状態でレースに出ることはできません。
「通常なら、(飛行場での)野外整備でなんとかなるものじゃないんです。工場に持ち込んで修理しないといけない内容なので……。これはちょっと無理かな、という感じがありつつもですね、でもそこに多くの技術者、航空機を製造するような技術者がいっぱいいますんで。みんなの協力を得て、2日間、2晩続けての作業で、機体が仕上がったのが予選日のお昼ですから……予選開始の1時間くらい前ですね」
この修復作業には、チームの垣根を越えて、多くの技術者たちが総出で参加しました。
「ここで飛べなかったら、おそらく次のドイツ(ラウジッツ)戦でも飛べなかったと思うんで、チャンピオンシップは完全に終わってたと思いますね」
と、室屋選手はあの時機体修復に参加してくれた各チームの技術者に感謝していました。
ポルトでは5ポイントを得たものの、残り2戦でトップとのポイント差が10と、ここで自力での年間王者獲得は不可能になりました。その状態で第7戦のラウジッツに。
何か策を講じなければ年間王者には届かないという状況で迎えたラウジッツ大会。機体と自身の調子もいいことで、室屋選手は決勝で一計を案じます。上位3選手(ションカ選手、チャンブリス選手、マクロード選手)とファイナルの前で当たって、直接対決で負かしてポイント差を逆転しようという訳です。そこで、対戦相手であるフランソワ・ルボット選手の後に飛ぶことになったラウンド・オブ14でその作戦を実行。
「2秒くらいは(ルボット選手のタイムとの間に)余裕があるな、と。順当に飛べば2秒ちょっと前に出るだろうと。ひとつペナルティ分くらいあるので、そこでペースを落としてギリギリで勝とうと。ギリギリで勝てばその次のラウンド(・オブ8)での対戦順が上位陣と当たる。……でも結構リスキーなんですよ。ペース配分を変えちゃうと、ガタガタにフライトが崩れるんで、簡単にペースは落とせないんです」
そのリスキーな勝負に出た結果、進出したラウンド・オブ8でチャンブリス選手と対戦。また、ションカ選手とマクロード選手が別のヒートで対戦する形となり、トップ4人が潰し合う展開に。ここで見事勝ち上がって優勝し、また同じ2009年組のマット・ホール選手が2位に割って入ったことで、ションカ選手とのポイント差が4ポイントに縮まって、最終戦のインディアナポリスへ。
「マットは既に(年間)優勝の目がなくなってたんで、ちょっとジョークを言ってたんですよ。『今回俺が勝つからさ、お前2位に入ってくんない?』って。『ションカに入られると困るからさぁ……アシストしてよ』って言ってたら、本当にそうなったんですよね」
最終戦のインディアナポリス大会は劇的な展開になりました。
「予選までは南風だったんですが、決勝は反対の北に近い(実際には北東)からの風になったんですよね。しかもすごく風が強くて……グランドスタンドを越えてくるんで、非常に気流が荒れて難しいコンディションでした。トレーニングも含めて、誰もそんな状態で飛んでない(決勝日の午前に予定されていたトレーニングフライトは、あまりの悪天候のためにキャンセル)。だからみんなラウンド・オブ14で、どんな状況か判らないまま飛んでいくという……何が起きるか判らないレースになるとは、みんな思ってたんですよね」
ラウンド・オブ14では、ランキングトップのションカ選手と対戦。室屋さんも「まさか」と思ったそうですが、自力優勝のためには直接対決で負かすしかない訳で「これで負けたら終わるし、最後の勝負のつもりで」飛び、勝利。しかしションカ選手はファステストルーザーでラウンド・オブ8に進出し、ファイナル4で最終対決へ。
「ラウンド・オブ8でションカと当たったのがマット(・ホール選手)だったんですよね。で、始まる前に『マット、また頼むぞ』と(笑)。またアシストしてくれと。前も冗談で言ってるから、彼も解ってる訳です。……で、マットはパイロンヒットしちゃったんですよね。で、着陸する時、同じ無線の周波数(レースコントロール)聞いてますんで、僕が地上で(ファイナル4に向けて)スタンバイしてる時に彼が『Sorry Yoshi!!』って(笑)。判った、あとは自分でやるから任しとけと(笑)。そんな冗談で肩の力が抜けたのかもしれませんね」
そのファイナル4で室屋選手は驚異的なトラックレコードを叩き出します。これは事前にシミュレーションで予測していたタイムを大幅に上回るもの。「何が起こったのか」という感じだったそうです。風も強くて、最後のセクターでは機体が煽られ、パイロンヒット寸前だったとか。
そして、年間総合優勝が確定したのは、ションカ選手による最終フライト。サーキットのレースで言えば、ファイナルラップの最終コーナーで前に出てゴール……のような劇的な展開です。
■来シーズンを見据えて
2017年の目標であった総合優勝を成し遂げた室屋選手。それでも今シーズンは予選が乱れたり、色々なマイナス面があったと言います。これまでの年間チャンピオンの中で特筆すべき存在といえば、やはりポール・ボノム氏。3度のチャンピオン(2009年・2010年・2015年)に輝いた操縦技術は秀でており、室屋選手はそのレベルに追いつきたい、タイトルはその後に自然と「V2」という具合についてくるのではないか、と語っていました。
シーズンにはいい時も悪い時もあるので、そんな時でも一定に強さを維持できるチームづくりが大切と、来シーズンへの展望を語りました。
■次世代への夢を「ビジョン2025」
また、この場で室屋選手は将来を見据えて「ビジョン2025」という構想を口にしました。これは以前、インタビューで筆者に語ってくれたもの(「【レッドブル・エアレース2016】室屋選手&チーム・ブライトリング千葉大会後単独インタビュー」参照)で、子供達に「空を意識してもらう」という取り組みです。
子供のうちに「空」を体験してもらうことで身近に感じてもらい、大人になった時に「航空関係の仕事」を選択肢のひとつとして考えてもらう。それによって航空文化や航空産業の裾野を広げていきたい……というプロジェクトで、名前になっている「2025」とは、プロジェクトを始めた頃に空を体験した子供が成長し、大人になって仕事の選択を考える年代を指します。
もちろん、航空関係の仕事を意識してもらうだけでなく、受け入れ先となる航空関連産業も今よりもっと充実している必要があります。福島県内に航空宇宙産業を集積し、成長した「プロジェクト卒業生」たちを受け入れ、さらにその卒業生たちが子供たちに「空の楽しさ」を伝えていく……そのサイクルを作っていきたいとのこと。レッドブル・エアレースの福島開催も実現できると素晴らしいし、いずれその中から、室屋選手に続くレッドブル・エアレースのパイロットや、エアロバティックスのパイロットやメカニックが誕生するかもしれません。その頃には、レッドブル・エアレースの裾野も広がって、チャレンジャークラスよりさらに下位のカテゴリーのレースが各地で開催されているかもしれませんね。2025年は目標だけではなく、新たなスタートラインでもあるのです。
フォトセッションでは、トロフィーを片手で持ってガッツポーズを、とのカメラマンのリクエストに「これ、結構重いんですよ」と笑いながら答える一幕も。全て金属でできていて、10kg近くあるそうです。
■室屋選手単独インタビュー
記者会見終了後、室屋選手に単独インタビューを行いました。
●まず、トークショーでも触れられていたエアフレームについてお伺いします。ポルト大会の後、また損傷が見つかり、ラウジッツ大会の前に再度修復したと伺いましたが、その後はどうなっていますでしょうか。アメリカでメーカー(ジブコ社)に持ち込み、点検してもらうというようなことは?
「いえ、ポルトの後、(ヨーロッパで拠点にしている)スロベニアで修理してからラウジッツに持ち込んで、そのままの状態でアメリカに持って行ってレースをしました。今シーズンいっぱいは十分に持ちこたえられるというのが判っていたので。シーズンが終わって、今(アメリカで拠点にしている)カリフォルニアで機体をバラして点検していますが、その時に必要があれば改めて……ということになると思います」
●ポルトでの修復作業、各チームのメカニックが総出で作業に当たってくれて、なんというか「空を飛ぶ者同士のつながり」というものを感じました。
「我々はスポーツマンである上にパイロットなんで、スポーツマンシップとともに『エアマンシップ』というものがあるんですね。互いに助け合う習慣があるんですよ。競技は競技としてバチバチやって、でもそれ以外の部分では、協力できるところは協力して、っていう部分が当然ある訳ですね。今回の場合は、修理するのに高度な技術が必要で、ウチのメカニックじゃできない。その時にできる人がいて、アドバイスをくれて最後までやってあげる、と。そういうことはありうると思うし、逆に今度は他が困ってる時、ウチの方でできることがあれば、惜しみなく協力をするっていう感じですね」
●私は同時に、2010年シーズンの出来事を思い出していました。(第4戦の)ウィンザーで飛行中にキャノピーが吹っ飛ぶアクシデントがあった時、ハンネス・アルヒ選手が「自分が以前使ってた機体を使ってはどうか」と提案してくれて、それを(次戦のニューヨーク大会用に)使った(着陸時のアクシデントで結局レースは欠場)ということがありましたね。
「チャンピオンシップが煮詰まってきて、(当時年間ランキングで)2位のチームの我々を1位のカービー(・チャンブリス選手)が助けるっていうのは、ウチが飛ばなければポイントがものすごく開くことになるんで、チャンピオンシップでも非常に有利になるはずなんですよ。でもね、それを訊くと『いや、そんなのダメだよ』って。『競技をして、その上で勝った負けたならいいけど、飛べないんじゃ面白くないじゃん』って言うんですね。それがみんなの基本的な概念としてあるんで」
●「勝負した上での勝ち負け」でないと意味がない、と。
「我々はスポーツをしに行ってるんで、戦争をしてる訳じゃないんで、そういうことじゃないと。スポーツを楽しみに来てるんで、『飛ばなかったら楽しめないじゃん。1位(の自分)と2位のお前が飛ばなかったら面白くないよ。僅差なんだから』っていうのが、基本的な考え方ですよね」
●トークショーの方でもおっしゃってましたが、マット・ホール選手にアシストを冗談で頼んだり、インディで勝利が決まった時、ハンガーにマティアス・ドルダラー選手が真っ先に祝福に駆けつけてましたね。最後まで年間王者争いを演じていたピート・マクロード選手とともに、同期である「2009年組」の絆みたいなものを感じました。
「マティアスも実力あるパイロットですし、昨年のチャンピオンですけど、ちょっと今年は年間チャンピオンには届かなくなってて、そこで冗談で話してたんですよ。『サポートしてやろうか?』って言うんで、『じゃあオレ1位取るからお前2位ね』とか。2位にションカ入られると優勝できないもんですから。ションカは1年遅れ(2010年にマスタークラス参戦)なんで、ちょっとグループが違うんですよ(笑)」
●確か2008年スペイン(カサルビオス・デル・モンテ)でのトレーニングキャンプで一緒だったのは、室屋さんのほか、ドルダラー選手、ホール選手、マクロード選手、そしてフランソワ・ルボット選手(フランス空軍の軍務の為すぐには参戦できず、退役後の2014年にチャレンジャークラスに参戦後、2015年からマスタークラスに昇格)でしたね。
「だから長い間のベストフレンドでもあるし……そんな中でジョークで言ってたことが、最終的に本当に起きたんですね。彼はもう総合優勝できる状況ではなかったし、僕の方は逆転で総合優勝して、なんとなく気持ち的にはウチのチーム側にいたようなね(笑)。最後はもう『2009年組が勝った』っていう感じではありましたね」
●2016年も、ドルダラー選手が総合優勝を決めた時、室屋さんや(総合2位の)ホール選手がハンガーに行って祝福してましたね。
「そうですね。だから去年、マティアスがワールドチャンピオン取って本当に嬉しかったしね。自分らの、2009年組からついにワールドチャンピオンが出たよ!っていう感じでしたからね……」
●インディアナポリス大会ファイナル4でのスーパーラップの件なのですが、シミュレーションでも出ないタイムとおっしゃってましたが、当日の気象条件などから、想定としてはどれくらいのタイムが最速だという感じだったんですか?
「当時の気温や風からすると、1分4秒フラットくらいですね。実際、みんなそのタイムに近いところで飛んでましたね」
●シミュレーションでは、攻め方のオプションというのはどれくらい想定しているものなんでしょうか。最速のラインの他にも、気象条件でそれ通りに飛べないケースもあると思うのですが。
「もちろん、最速のラインを狙って飛ぶ、というのが基本ですね。あとは、どこを妥協していくか……っていう感じです。まぁ……2ヶ所くらいは(進入する)角度とかを妥協して、タイムは落ちるけども、パイロンヒットとかの可能性が下がる、というところがあるので、そこをどこまでマージンを減らすか、って判断ですかね」
●予選の際、エンジンの出力が今ひとつだったところで、ちょっとリスキーに見えるラインで飛んでらっしゃいましたが、あれがいわゆる「最速のライン」という感じだったんでしょうか。
「んー……まぁ、結果としてはファイナル4で飛んだラインが最速だったってことですね(笑)。あれだけのタイムが出たんで。あとはちょっと乱れてたり……風とか、色んな要因があるんですけどね。ベストラインは……ファイナル4のラインでしょうね」
●来シーズンはディフェンディングチャンピオンとして臨むことになります。連覇を果たしたのは2009年・2010年のポール・ボノム氏(現解説者)のみで、2014年のナイジェル・ラム氏(2015年限りで引退)、今シーズン2016年チャンピオンとして臨んだドルダラー選手と、チャンピオンの翌年は、機体の戦闘力は変わらないのに、ちょっと思うに任せない結果になっています。それだけプレッシャーがあるのではないかと思うのですが、メンタルゲームの側面から、来シーズンのレッドブル・エアレースにどう臨もうと考えてらっしゃいますか?
「……来年はそこの勝負になると思いますね。機体は熟成していきますし、技術も熟成しますんで。チャンピオンシップで注目も浴びるのでね。そこでどうやって安定していくか……っていうのが来年の大きなキーっていうか、大きな戦いだと思いますね」
ワールドチャンピオンになったことで、2018年のレッドブル・エアレースは室屋選手を中心に回っていくことになります。今回目前でチャンピオンを逃したションカ選手、機体を乗り換え、今季は熟成に当てたホール選手も終盤2戦で結果を出し、来季への期待を高める形になりました。また、2016年王者のドルダラー選手も復調して来ましたし、予選で素晴らしい速さを見せる同じ2009年組のマクロード選手や、今季復活を果たした古豪チャンブリス選手、そしてクレバーで確実な速さを見せつつあるコプシュタイン選手など、2018年は多士済々のチャンピオン争いとなりそうな予感です。
今から2018年シーズンが楽しみですね。
(取材・咲村珠樹)