「何年も着けっぱなしの指輪が太って抜けなくなって大騒ぎ!」なんて話をどこかで聞いたことがないでしょうか。
私は聞いたことがあったのですが、聞いたときは全くの他人事としか捉えていませんでした。しかし、指輪が外れなくなる理由はそんなことばかりではなく、不慮の怪我や突き指などで指が腫れ上がってしまい、直ちに外さないと血流不全で壊死の危機!なんてこともなきにしもあらずということを知らなかったがゆえの呑気さからでした。これは、よりによって自分史上1、2位を争うほど気に入っていた指輪が外れなくなったときの顛末です。
ある日、うっかり手をぶつけた際に、指輪をしていた指の第二関節をほんの少し痛めてしまったようなのですが、腫れている自覚も、痛みもなかったために関節の太さが少し変わっていたことに気づけていませんでした。
■ 指輪が抜けない!→ネットで検索 これがまさかの事態に……
いつものように指輪を外そうとしたら抜けなかったので、石鹸を泡立てて滑りをよくして外そうと試みましたが、どうしても第二関節で引っかかってしまいます。そのまま諦めて数日間放置すれば自然に腫れが治まり大惨事は免れたのかもしれませんが、文明の利器のインターネットに頼ってみたところ、同じ災難に見舞われた人は世界中の至る場所にごまんといるようで、国内外のものすごい数の情報がヒットしました。
「なになに?タコ糸とクリップを使って?」タコ糸ないから家にある適当な糸でやっちゃえ!……と、これが全ての始まりでした。
タコ糸よりも細い裁縫用の一般的な糸を使い、動画では人の手を借りてやっていた方法でしたが、別のサイトに、ひとりでもできるとあったのでチャレンジしてみたくなったのです。しかし、いざ挑戦してみると何度やってもうまくいかず、しまいには「こんなのひとりでできるわけないじゃん!」と動画に毒づく始末。
気づけば指全体が紫色に変色して熱を持ってしまい、一回り大きく腫れ上がって脈を打つたび破裂しそうに波打つようになっていました。かなりまずいことをしでかしたと焦りましたが、使った糸のせいだと思い、幸いなことに歩いて行ける距離に100円均一の店があったので、すぐに買いに走ってタコ糸で再トライするも後の祭り……もう指輪と指の隙間に糸を通すのも困難なくらいに腫れ上がってしまっていました。
「ど、どうしよう……」紫色に変色した指を見て本格的に慌てました。
指先が冷たくなってきて血が充分に巡っていないことがわかります。腫れた指に指輪が食い込んで血流を止めているのを感じ、自力では解決できない段階に差し掛かっていることを悟りました。
■ ピンチを救ってくれたのは……消防署!
すぐさま最寄りの消防署の電話番号を調べて指輪のカットが可能かを確認したのですが、これは太って指輪が外れなくなった人のニュースを見た時に得た情報で、まさか自分が世話になることになるとは思いもよらないことでした。
「すぐに来て下さい」と返事をもらって安堵したのも束の間、バイクにまたがりエンジンをかけようとしたら、血が充分に巡らない時間が長引くにつれて指が益々腫れ上がって、もはや曲げることもできなくなってしまっていたのです。
「ス、スロットルが握れない!!」
消防署に向かうことしか考えていなかったので、突然、手段が断たれたことに激しく動揺して、うろたえました。こんな状態ではバイクは無理だと諦めましたが、じゃあどうする、タクシー?いや、こんな住宅地では拾えない、呼ぶ?電話番号知らないし、調べる時間はない!!と混乱がピークに達し、そうしている間にも指先の血行はどんどん悪くなっているのがわかります。
どうにか短時間で車を見つけて消防署にたどり着くことができましたが、すぐに頼れる人間が周囲にいない方は携帯にいくつかのタクシー会社の電話番号を登録しておくことを強くお勧めします。数社登録しておけば、仮に一社がダメでも、すぐに次の会社に連絡できるのでなにかと安心です。
そんなこんなで到着した、消防署の建物。消防署がこれほど頼もしく見えたことはありません。ここまで来れば助けてもらえると思うと、やや落ち着きを取り戻してきました。
初めて入る消防署の受付で、電話した指輪の者です伝えると話が通っていて、すぐに案内してもらえました。素晴らしい連携に感謝です。ここで待たされたりしたら指は悪化して危なかったかもしれません。
もうすぐ解決するという安心感からか、この頃には消防士さんてキリッとしていてカッコイイなどと思う余裕が生まれ、鍛え上げられた肉体美の集団をキョロキョロと見回していました。すると、大きな男性ばかりの中に、同じ制服を着た女性の姿が。些細なことではありますが、その場に女性がいてくれたことをとても心強く頼もしく感じました。
そうして待っていると、若い消防士さんが水を張った洗面器と固形石鹸と清潔なタオルを準備して持ってきてくれていました。まずは石鹸で滑りをよくして外す作戦ですが、これは自宅で何度もトライしてダメでしたし、こちらでも全く効果がありません。糸にもトライしたけれど、いかせんひとりなものでうまくいかず、そのせいで指を無駄に腫らしてしまったことを打ち明けると、「ひとりでやるのはちょっと難しいんじゃないですかね~」と言われて、日頃からネット情報を鵜呑みにしないように心がけていたのに不覚だったと反省しました。
とても大切な指輪なので、できたら切りたくないというこちらの希望を最優先して、消防士さんは何度も何度も糸を使って外せないかチャレンジしてくれたのですが、指が腫れすぎてうまくいきません。人間のものとは思えないくらいに変わり果てた指は、ついには皮がむけて閲覧注意状態の痛々しい姿となってしまったのですが、血流が止まって感覚麻痺を起こしていたのか、それとも周囲に集まり「がんばれ!」と励ましてくれた消防士さんたちのおかげなのか、相当な痛みのはずなのに不思議と耐えることができました。
やがて糸を使ってがんばってくれていた消防士さんが確かめるように私の指先に触れ、もうこれ以上は危険ですと判断を下しました。ずっと様子を見ていた私も納得して指輪を切断してもらう覚悟を決めて、お願いしますと頭を下げるしかありません。
少し大きめのカッターナイフのような見慣れない道具を準備し始める消防士さんに「い、痛いですか?」と注射を前に怯える人のように思わず尋ねてしまったのですが、痛くはないそうです。それはそうです。切られるのは指輪ですから。もはや冷静な判断ができなくなっていました。
腫れた指に食い込んでしまっている指輪と指の隙間になんとか器具の細い先端を差し込みます。ほとんど感覚がなくなっていた皮膚に器具のひんやりとした冷めたさが伝わってきたので、よかった!神経は繋がっている!と胸を撫で下ろしました。あともうちょっとだから、がんばって私の指!
器具が指と指輪の隙間に入った後は簡単でした。ゼンマイを回すようにネジを回すと器具の刃がガッチリと指輪を掴み、キリキリと締め上げていきます。
「バチン!!」
急に締めつけが弾けて血流が一気に指先に流れ込むのを感じました。今まで経験したことのない「解放の瞬間」といった感じです。
「よかった~!」と顔を上げると、担当してくれていた消防士さんがびっくりするくらい汗だくになっていて、一緒によかったと笑ってくれていました。改めてどれだけ真剣に指輪を切断せずに外せないか努力してくれていたのを感じて、涙が出そうになりました。
小さな女性消防士さんが「おぉ!やった、よかったですね」とニコニコしながら声をかけてくれたおかげで、無惨に切られた指輪を見ても、これでよかったのだとショックが和らぎました。
■ 心身に関するネット情報は慎重に取捨選択する必要がある
指輪はお金をかければ直すことができることが後日わかりました。今はまだ自分への戒めと反省のために、そのまま飾ってありますが、少しお金を貯めたら直すつもりです。入手に苦労したアイルランド発祥のクラダーリングと呼ばれるもので、UKバンドや英国俳優が好きな方は、彼らが日常的に身に着けているのを目にしたことがあるかもしれません。それぞれのモチーフには意味があり、ハートは愛、王冠は忠誠心、両手は友情を表しています。デザインからコンセプトまで、何もかもがとても気に入っている思い入れの強い指輪です。
自分の認識の甘さが招いた結果なのに、指輪を切らずに外せなかったことを詫びて、布で丁寧に拭いてから返してくれた謙虚で武士のような印象の消防士さんに、いつかチャンスがあれば直した指輪を見せて改めてお礼を伝えたい気持ちでいっぱいです。それが叶わなくても、私の指を救済するために、汗だくでがんばってくれた姿は一生忘れません。
生兵法は怪我の元と言いますが、心身に直接関係するインターネット情報は慎重に取捨選択しなくてはならないこと身をもって経験しました。もし、私が指を失ったり、神経が切断されて後遺症が残る結果になったとしても、情報発信者は知る由もないと思うと、今でも恐ろしくなります。
(佐伯プリス)