こんにちは。様々な建物や街並に萌える「建物萌の世界」でございます。「終着駅」という言葉は、どことなく旅情を感じさせる言葉ですね。今回は7月28日に開業130周年を迎える、日本を代表する終着駅のひとつへと行ってみましょう。
東京都台東区にあるJR上野駅。今から130年前の1883(明治16)年7月28日、当時私鉄だった高崎線(上野~熊谷。高崎まで全線開業したのは翌1884年)のターミナルとして開業しました。上野台地に寄り添うようになっているこの場所は、明治維新まで寛永寺の僧坊があり、後に官有地となっていた土地。周囲の下谷区議会議事堂や、小学校の移転した跡地なども含めて駅施設が作られています。三村周の設計による駅舎は諸般の事情で完成が遅れ、1885(明治18)年7月まで、仮駅舎(荷物取扱所の一部を旅客用に転用)のまま営業を続けていました。
レンガ造2階建の洋館だった初代駅舎は、関東大震災で発生した火災で焼失してしまいます。1932(昭和7)年、鉄道省の技師である酒見佐市と浅野利吉の設計により再建されたのが、現在の2代目駅舎です。再建まで年数がかかったのは、震災以前から路線が集中し、昇降客が増えすぎていた(この当時から「ラッシュ」という言葉が使われていた)為に、駅自体の改良工事も平行して行ったこと、震災復興計画で駅の正面に昭和通りが新たに開通する(1928年)のを待っていたことも影響しています。
上野駅を表現するキーワードとして「立体構造」というものがあります。まずは路線。東北方面を結ぶ長距離の列車線は、東京駅に余裕がない為に地上行き止まり式のホームに、そして山手線など、近郊を結ぶ電車線は東京駅方面に直通させるよう高架とし、ホームが二層構造になりました。その高架線は立地を利用し、上野の山の崖を削ってスペースを捻出しています。これと同時に、駅の正面入口も車など他の交通への連絡を考慮し、乗車口を上段、降車口を掘り込んだ下段に設ける二層構造としました。また、1927(昭和2)年に開通していた東京地下鉄道(現:東京メトロ銀座線)とも地下で連絡するように作られています。
乗車口と降車口を分ける発想は、完成当時の東京駅と共通しており、多くの乗客をさばくには理想的だと思われていたようですね。現在では逆に乗客を分けることで混乱する為か、かつての乗車口である上の入口のみを「正面玄関」として利用しており、降車口だった下の入口は業務用の搬入口になっています。
一見シンプルなラインを持つモダンな駅舎ですが、窓や上部にあるパラペットには植物モチーフの装飾が見られます。正面の上下に走る窓枠は曲面になっていますが、広小路口(実は駅開業当初から、正面より広小路口の利用者の方が多い)は平面的でシンプルな形になっています。
玄関の左右に付けられた灯具は、和風のモチーフをまとっています。上部のドーム状になった部分の唐草模様がリズミカルです。
正面玄関を入ると、吹き抜けの出札ホールが広がります。2002(平成14)年に大改修され「アトレ上野」がオープンするまで、こちら側にきっぷ売り場がありました。現在きっぷ売り場は隣接するコンコース側に移動していますが、券売機の裏手である出札事務室は、今も一部が利用されています。
吹き抜け部の漆喰装飾は、2002年の改修時に美しく修復されています。
現在、2階の事務室はレストランに転用され、昔は見上げるだけだった入口の装飾を間近に見られます。
出札ホールを抜けると、鉄骨による骨組みが美しい、広いコンコース(待合広間)が広がります。現在は透光性の幕になっていますが、改修までは天窓のある屋根となっており、完成当時は真ん中に時計塔と円形の案内カウンターが設置されていました。中央改札口の上には1951(昭和26)年12月、猪熊弦一郎の壁画「自由」が加わっています。
中央改札口横の階段を見てみると、昭和初期のモダンデザインを残す親柱と手すりを見つけることができます。
また、広小路口を入ったところには、赤帽の詰所がありました。赤帽(ポーター)は乗客の荷物を代行して列車まで運搬する人で、上野駅では1898(明治31)年から2000(平成12)年まで営業していました。また、隣接して両替商(手数料を取って両替をするお店。銀行の原型)も平成になる頃まで営業していました。両替商の窓口は営業が終了しても残っていたのですが、改修されて「アトレ上野」になった際、店舗スペースとなっています。
上野駅は現駅舎の完成後、列車の発着本数や乗降客が増えた為に、主に高架のホームが増やされました。当初は1~9番線(4面9線)までが高架、そして地上が3面9線という構成だったのですが、高架ホームが3線(現在の10~12番線)増やされ、地上ホームの上に載る……という形に。中央改札口を入ると、地上のホームの上に高架ホームが重なる「立体構造」がよく判ります。
東北方面からの長距離列車が発着する行き止まり(頭端)式のホームには、それぞれ列車で輸送する小荷物を取り扱う「荷役ホーム」が4面、併設されていました。これらは列車による荷物輸送の取り扱いが減ったこと、乗降客が増えた為にホームを拡幅する必要が出たことで相次いで廃止され、現在残るのは13番線と14番線の間にある1面だけとなっています。しかも現在は使用されていません。この部分は、昭和初期のターミナルであった上野駅を今に残す貴重な遺構となっています。
さて、行き止まり式の地上ホームは、まるでヨーロッパの駅のような構造で旅情を誘うのですが、機関車が牽引する列車にとっては難題です。行き止まりで機関車を付け替えるスペースがない為、車両基地から機関車が牽引してくる訳にはいきません。車両基地への行き来は、機関車が編成の後端となり、バックで運転する「推進回送」というものを行う必要があります。
後ろから押す形になる機関車からは前が見えないので、先頭になる客車に前方監視と非常時のブレーキを操作する推進運転士が乗り込むという形で運転。これは上野駅名物の光景として、鉄道ファンには知られています。現在、機関車が牽引する定期の客車列車は、札幌行きの寝台特急「北斗星」、青森行きの寝台特急「あけぼの」の2本のみ(他に札幌行きの寝台特急「カシオペア」など臨時列車)。見る機会は減っていますが、バックでそろりそろりと入線し、規定の場所にピタリと停車するのは見事で、一見の価値ありです。
建物だけでなく、駅の構造にも見どころのある上野駅。開業130周年となる7月28日からは、寝台特急が発車する13番線の発車メロディが、井沢八郎さんのヒット曲「あゝ上野駅」になります。これを機会に、駅自体を見て回るのもいいかもしれませんね。
(文:咲村珠樹)