第1回の続きです。
【第6章・・・怪獣ブームの胎動】
1962年に東宝は怪獣が登場する映画を2本公開しました。
まずは『妖星ゴラス』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・石井歓)。地球の六千倍の質量を持つゴラスという矮星が地球に衝突することが確実となったため、南極にロケット噴射口を建造して地球の軌道を変え、ゴラスから逃げるという、驚きの発想が繰り広げられる作品です。南極の基地のミニチュアセットは実に精密で広大。後半には、セイウチの怪獣マグマが登場しました。
そしてもう1本が東宝創立30周年記念映画『キングコング対ゴジラ』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)です。『ゴジラの逆襲』のラストで氷山に生き埋めにされた2代目ゴジラが7年ぶりに氷山から出現。アメリカ怪獣界の大物・キングコングと対決する話題作で、観客動員数1255万人を記録しました。これは日本の特撮映画史上第2位の記録です(1位は『明治天皇と日露大戦争』)。本作は日米2大怪獣の対決を主軸に据えた構成になっており、エンターテインメントに徹しているのが特徴です。まさにキングコング対ゴジラの戦いを堪能するための作品なのです。
また昭和30年代の東宝は社長シリーズというサラリーマン喜劇映画をヒットさせており、『キングコング対ゴジラ』と同じ年にはサラリーマン喜劇映画『ニッポン無責任時代』を公開していました。『キングコング対ゴジラ』もサラリーマン喜劇映画の様相を呈しており、当時の東宝映画の特徴の1つを堪能できる作品となっています。
音楽面では、怪獣映画音楽の1つの形を示した作品となりました。即ち、キングコングのシーン及び怪獣同士の戦いでキングコング優勢の時はキングコングのテーマ曲が流れ、ゴジラのシーン及び怪獣同士の戦いでゴジラ優勢の時はゴジラのテーマ曲が流れるという構成になっています。この手法はこの後の怪獣映画でもよく見られます。
尚、中禅寺湖でのキングコングとゴジラの初対決と、クライマックスの戦いでは戦闘専用曲「キングコング対ゴジラ」が流れます。
この映画におけるゴジラのテーマ曲は「ゴジラの猛威」(「ゴジラの恐怖」)ですが、冒頭にショッキングなイントロが響き渡り、「ゴジラの猛威」のメロディの後にダイナミックで新たなメロディが追加されました。この「ゴジラの恐怖」のイントロが平成時代に至るまで使われ続けることになります。余談ですが、1964年の香港映画『妲己』(音楽・伊福部昭)に、『キングコング対ゴジラ』における「ゴジラの恐怖」にそっくりな劇伴が登場します。
さて、本作のクライマックス、熱海城で攻防戦を繰り広げたキングコングとゴジラは相模湾に落下。勝負は引き分けとなりますが、ラストシーンは南洋の島に帰るキングコングの後姿であり、キングコング優勢とも解釈できるラストでした。「終」の文字と共に響き渡るキングコングとゴジラの鳴き声は、本作がキングコングとゴジラの戦いに主眼を置いた映画であることを象徴しています。
尚、『キングコング対ゴジラ』『妖星ゴラス』等の特撮映画で編集を担当した兼子玲子は息つく暇もないほど早いテンポで場面転換を繰り返し、作品を盛り上げました。
1963年に東宝が公開した、怪獣が登場する映画は、『海底軍艦』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)です。東宝特撮映画4作に登場した万能戦艦・轟天号が初登場した作品です。轟天号は海上を航行するだけでなく海中に潜ることも空中を飛行することもできる万能戦艦で、伊福部昭による勇壮な「海底軍艦マーチ」に乗って空中を飛び回る姿はパワフルです。
怪獣は、敵側のムウ帝国の守護神である龍・マンダが登場。『妖星ゴラス』に続いて怪獣がチョイ役で登場する展開になっています。
特撮面では、避難民が乗り込もうとする船が爆破されるシーンの合成が巧い。
余談ですが、『海底軍艦』には太平洋戦争中の架空の潜水艦・伊号403が登場します。伊号400型潜水艦は近年、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん ~艦これ~』やテレビアニメ『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-」で有名になりました。
ところで昭和30年代の東宝特撮映画には、変身人間シリーズという路線もありました。元祖は1954年の『透明人間』(本篇監督・小田基義、特技監督・円谷英二、音楽:紙恭輔)で、その後、1958年に『美女と液体人間』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・佐藤勝)、1960年に『電送人間』(本篇監督・福田純、特技監督・円谷英二、音楽・池野成)と『ガス人間第1号』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・宮内国郎)、1963年に『マタンゴ』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・別宮貞雄)が公開されています。
さて、1963年は、特撮界に2つの動きがあった年です。
1つは、『海底軍艦』より前の話になりますが、円谷英二と東宝の専属契約が切れ、円谷が自宅に設置していた円谷特技研究所を法人化し、円谷特技プロダクション(現・円谷プロダクション。本文では便宜上、ずっと円谷プロと表記させて戴きます)を設立したことです。戦前から円谷と親交のある鷺巣富雄(ピー・プロダクション社長)が役員に収まりました。
円谷は円谷プロの特技監督として川上景司を招聘。川上は戦前の東宝で円谷の一番弟子であり、1943年に松竹に移籍後、『君の名は』『喜びも悲しみも幾年月』等の特撮を担当しました。
円谷プロが初めて本格的に特撮を担当した作品が、1963年の石原プロモーション製作、日活配給の映画『太平洋ひとりぼっち』です。川上特技監督の他、日活の特撮監督・金田啓治も加わりました。
金田は昭和20年代に円谷の下で特撮スタッフを務めた人物で、日活で『キューポラのある街』『光る海』『零戦黒雲一家』等の特撮を担当しました。
円谷プロ創設を知った東宝は、円谷英二と1本ごとの契約を交わす上で、円谷を東宝に繋ぎ止めるために円谷プロとの関係を強化。円谷プロに東宝の資本が入り、東宝の役員である藤本真澄が円谷プロの役員になるなどしました。円谷プロが東宝と密接な関係を持ったことには功罪両面があり、後に東宝の影響力を嫌ったスタッフが円谷プロを退社するという出来事がある一方、スタッフ、俳優、物資、スタジオ、財務等の面で東宝の貢献は非常に大きかったと言ってよいでしょう。
1963年のもう1つの動きは、怪獣映画の人気に目を付けた大映が、怪獣映画製作に乗り出したことです。その企画の題名は『大群獣ネズラ』(特撮監督・築地米三郎)。人間よりも大きく巨大化した鼠の大群が街を襲うというストーリーで、本物の鼠の大群を使って撮影が行われました。しかし鼠は思うように動いてくれず、虱が湧くわ共喰いするわで、結局撮影は中止になり、大映の怪獣映画企画はお預けとなったのでした。
大映が初の怪獣映画製作に失敗した翌年、1964年は怪獣映画が大きく年となります。何と東宝が怪獣映画を3本も公開したのです。以降、東宝は1967年まで4年連続で複数の新作怪獣映画を公開することになります。
まずは『モスラ対ゴジラ』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)。『キングコング対ゴジラ』で相模湾に落下した2代目ゴジラが2年ぶりに出現、四日市コンビナート、名古屋城、名古屋のテレビ塔を破壊します。2代目ゴジラが凶暴な猛獣として登場するのは本作が最後となりました。
1961年の『モスラ』で東京タワーで羽化した初代モスラ成虫も3年ぶりに登場。インファント島の妖精・小美人(演・ザ・ピーナッツ)も『モスラ』に引き続いての登場となりました。主人公(演・宝田明)らの求めに応じて、モスラ成虫はゴジラと戦いますが、寿命が尽きてしまいます(因みに平成時代のモスラは4年で寿命が尽きています。モスラの寿命はだいたいこのくらいなのでしょうか)。一連のシーンにおけるモスラ成虫の操演は非常に緻密で、本当に生きているかのようです。
その後、卵から双子の2代目モスラ幼虫が孵化してゴジラに立ち向かいます。2匹のモスラ幼虫はゴジラに糸を吐きかけて繭にくるみ、見動きの取れなくなったゴジラはそのまま海に落下していきました。ゴジラがモスラ幼虫に敗れたことで、ゴジラの対怪獣戦績は1勝1敗1引き分けとなりました。意外にあまり強くありませんな。
本作のインファント島について1つ指摘しておきますと、1961年の『モスラ』の劇中、インファント島沖で難波した船・第二玄洋丸の船長を演じたのは小杉義男でしたが、小杉は本作ではインファント島の長老になってしまいました……。
音楽面では、ゴジラのテーマ曲である「ゴジラの恐怖」は『キングコング対ゴジラ』をほぼ踏襲していますが、『キングコング対ゴジラ』時に存在した後半部のメロディが『モスラ対ゴジラ』ではカットされ、『キングコング対ゴジラ』では
「ドッシラド・ラシド・ラシドラシドラシ」
だった箇所が『モスラ対ゴジラ』では
「ドッドーシラド・ラシド・ラシドラシドラシ」
になりました。
一方、モスラに関しては、1961年の『モスラ』で小美人が歌った挿入歌「モスラの歌」が、『モスラ対ゴジラ』にも登場。この他、小美人が歌う挿入歌として「聖なる泉」「マハラ・モスラ」(2曲とも作詞/作曲・伊福部昭)も登場しました。「聖なる泉」は穏やかで平和的なイメージに満ちた曲で、後の映画で大々的に使われることになります。
1964年の東宝怪獣映画2本目は『宇宙大怪獣ドゴラ』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)。ドゴラはそれまでのゴジラ、ラドン、モスラのような怪獣とは全く異なる、不定形の宇宙細胞であり、初の宇宙怪獣です。全く新しい怪獣映画を作り出そうという東宝のチャレンジ精神を感じさせる一品ですね。ただ、スチール写真ではドゴラが船や新幹線や東京タワーを持ち上げたり破壊したりするなど縦横無尽に活動しているのに、実際の映画では北九州市の若戸大橋を持ち上げた程度だったのは残念です。
とは言いつつも、北九州市の実景とドゴラの合成、ギャング団の暗躍とドゴラの交錯、伊福部昭の劇伴に乗って活躍する蜂の毒の噴射機など、見所は多い。CD『伊福部昭 特撮映画マーチ集』では散布用の蜂の毒を精製する場面の劇伴と、自衛隊が蜂の毒を散布する場面の劇伴がメドレーで収録されているのですが、今年東京都中野区で開催された伊福部昭生誕100周年記念のコンサートでも上記2曲がメドレーで演奏されてとてもカッコ良かったです。
1964年の東宝怪獣映画3本目は『三大怪獣 地球最大の決戦』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)。1965年の正月映画として撮影されていた『赤ひげ』の完成が間に合わなくなったため、急遽、1965年の正月映画(1964年末公開)として製作されたのが本作です。
正月映画に相応しくゴジラ、モスラ、ラドンが登場した他、キングギドラが初登場するというオールスター娯楽巨篇となりました。ゴジラは本作から人間味溢れるお茶目なキャラクターとなり、地球の平和を守るために外敵と戦ってくれちゃいます(後述)。ラドンは1956年の『空の大怪獣ラドン』以来8年ぶりの登場。本作に登場した2代目ラドンは、初代ラドンと同じく阿蘇山から出現しました。
本作に登場したモスラは『モスラ対ゴジラ』で卵から孵化した双子の2代目モスラ幼虫のうちの片方です。双子のもう片方は、『モスラ対ゴジラ』から『三大怪獣 地球最大の決戦』の間に死んでしまいました。インファント島の妖精・小美人(演ザ・ピーナッツ)が『モスラ』『モスラ対ゴジラ』に続いて3度目の登場を果たし、インファント島長老(演・小杉義男)も『モスラ対ゴジラ』に続いて登場しました。
本作で初登場したキングギドラは、五千年前に金星の文明を滅ぼした最強の宇宙超怪獣です。黒部峡谷に落下した隕石が爆発し、その炎がキングギドラになるというインパクト溢れる出現の仕方をします。そして東京タワーや松本城を破壊するなど地球人を恐怖のどん底に叩き落とすのです。伊福部昭によるキングギドラのテーマ曲も、強大さを醸し出しています。キングギドラが猛威を振るう描写の中でも特に見事なのが、鳥居を倒壊させるカットだと思います。画面の構図や、キングギドラの引力光線の合成と鳥居のミニチュアが倒壊するタイミングも絶妙です。
一方、ゴジラとラドンは富士山麓で激突していました。ゴジラとラドンの戦いが、本篇における暗殺団のエピソードと交錯し、『ドゴラ』に続いて相変わらずのストーリー展開の巧さを披露しています。
キングギドラになすすべもない(本作には防衛大臣は出てくるが自衛隊の出番はない)人類はモスラ幼虫にキングギドラ退治を依頼。『モスラ対ゴジラ』に続いて人類はすっかりモスラに頼るようになってしまいました。
モスラはゴジラとラドンに共闘を呼び掛けますが、2匹はこれを拒否。鳴き声で会話する3匹の発言を小美人が日本語に通訳するのですが、この発言が結構人間味に溢れているんですよね。この時の「人間はいつも我々をいじめているではないか」という台詞は、怪獣が人間をどう思っているかが分かって興味深い。ゴジラが荒々しい猛獣から、擬人的なキャラクターに変貌した瞬間でした。尚この時ゴジラは、モスラ幼虫によって海に落とされたことを恨んではいなかった模様。意外に心が広い。
さて、ゴジラとラドンに共闘を拒否されたモスラ幼虫は単身キングギドラに戦いを挑みます。モスラ幼虫はまだ0歳だというのに、その大人っぷりに脱帽です。しかしキングギドラには太刀打ちできず、近寄ることすらできません。『モスラ対ゴジラ』でモスラ幼虫は岩陰に隠れてゴジラに近寄りましたが、今回は隠れられる障碍物がなかったのでした。
キングギドラの引力光線によって吹っ飛ばされるモスラ幼虫の姿を座視できなくなったゴジラとラドンは遂に立ち上がります。浪花節だ!怪獣の世界にも浪花節があったのだ!という訳でゴジラが初めて地球の平和を守るために敵と戦ったのでした。ラドンが背中にモスラ幼虫を乗っけて空中からモスラ幼虫が糸を吐きかけるなど、3匹が協力することでキングギドラを追い返すことができました。めでたしめでたし。それにしても、対ゴジラ戦といい、対キングギドラ戦といい、モスラ幼虫の糸は実は最強の武器なんじゃないか。
音楽面では、2代目ラドンの登場に合わせ、ラドンのテーマ曲が初代とは別の曲になりました。2代目ラドンのテーマ曲はバランのテーマ曲に似ています。そして「ゴジラの恐怖」と合体し、「ゴジラの恐怖」のイントロ→「2代目ラドンのテーマ」→「ゴジラの恐怖」→「2代目ラドンのテーマ」というメドレーになっています。本作の「ゴジラの恐怖」はハープがぽろんぽろん奏でられているのが心地よい。モスラ幼虫のテーマ曲は、『モスラ対ゴジラ』でモスラの卵の描写で流れていたメロディです。
劇中で小美人が歌っていた曲は、本作のみ登場の「幸せを呼ぼう」(作詞・岩谷時子、作曲・宮川泰)と、『モスラ対ゴジラ』に引き続いて登場の「聖なる泉」です。
1965年に東宝は怪獣映画を2本公開しました。
まずは『フランケンシュタイン対地底怪獣』(地底怪獣と書いてバラゴンと読む。本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)。物語は第二次世界大戦末期から始まる謎めいたものです。特撮作品で太平洋戦争の後日談といえば他に『透明人間』『海底軍艦』やテレビ『怪奇大作戦』第15話「24年目の復讐」等がありますが、まだまだ当時の日本人にとっては完全なる過去の出来事ではなかったのでしょうね。
本作の特撮面での特徴は、怪獣の身長が20メートル台であるため、ミニチュアセットの縮尺が大きくなっていることでしょう。
1965年の東宝怪獣映画のもう1本は『怪獣大戦争』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭)です。登場怪獣はゴジラ、ラドン、キングギドラ。それまでの『地球防衛軍』『宇宙大戦争』の要素に怪獣映画の要素をプラスした作品となっています。但し、本作に登場した宇宙人・X星人の地球侵略の意思が判明するのは後半になってからであるため、『地球防衛軍』『宇宙大戦争』のような大規模な戦闘シーンは描かれていません。
X星人は円盤による光線で人類のロケットやパラボラアンテナを破壊していますが、主要な地球攻撃の手段はゴジラ、ラドン、キングギドラを操って破壊活動を行わせることです。富士山麓に集結した3匹は破壊活動を開始。
ラドンについては『空の大怪獣ラドン』で九州を襲撃した時のライブフィルムが流用されているのですが、スタンダード映画である『ラドン』の映像をシネマスコープ映画である『怪獣大戦争』に流用するにあたり、初代ラドンと2代目ラドンは顔が違うこともあって、スタンダード画面における初代ラドンの顔が映っている部分をトリミングしてシネスコ(パンスコープ)にするという職人芸を披露。
ゴジラの破壊シーンでは、でっかいゴジラの足の模型を作って民家を蹴っ飛ばす描写が繰り返されました。キングギドラは引力光線を吐き散らしますが、『地球最大の決戦』の時はビルを次々と粉々にしていたのに、『怪獣大戦争』では威力がいまいちでした。
クライマックスで人類は新兵器・Aサイクル光線車を投入し反撃、勝利を収めるのですが、この場面で流れるのが、伊福部昭による怪獣映画音楽の金字塔「怪獣大戦争マーチ」であります。
音楽面では他に、「ゴジラの恐怖」のイントロが『大魔神』シリーズ(1966年。音楽・伊福部昭)のテーマ曲のイントロと同じメロディになりました。2代目ラドンのテーマ曲と「ゴジラの恐怖」がメドレーになっているのは『地球最大の決戦』と同様です。キングギドラのテーマ曲も『地球最大の決戦』と同じ曲です。
最後になりましたが、『怪獣大戦争』に登場する珍しい場面をご紹介しておきます。それは、ゴジラが漫画『おそ松くん』でイヤミがやっていた「シェー」のポーズをやったことです。劇中ではX星でキングギドラを追い払った後と、Aサイクル光線車によってX星人による操縦が解けた時に「シェー」のポーズをしています。円谷特技監督は子供達を喜ばせるためにゴジラに「シェー」のポーズをさせたそうですが、主要登場人物が揃ってゴジラと共に「シェー」のポーズをする写真もあるので、組織ぐるみで「シェー」を登場させたんでしょうね。
さて、1965年は怪獣人気の高まりを受けて東宝以外の映画会社も怪獣映画を公開した年であります。その映画会社とは、2年前に『大群獣ネズラ』がポシャった大映です。この年、大映が放った怪獣映画こそ、ゴジラと並ぶ怪獣界のスターのデビュー作『大怪獣ガメラ』(本篇監督・湯浅憲明、特撮監督・築地米三郎、音楽・山内正)であります。怪獣人気の高まりを表す出来事と言えましょう。
第3回に続きます。
参考文献は最終回に記載します。
(文:コートク)