第二次大戦中、ナチス・ドイツに侵攻されたフランスのド・ゴール将軍が、フランス人に対し抵抗を呼び掛けた有名なラジオ演説から80年となる2020年6月18日、フランス空軍のパトルイユ・ド・フランス、イギリス空軍のレッドアローズと両国の曲技飛行隊が、パリとロンドンで合同の記念飛行を実施しました。
1939年にナチス・ドイツがポーランドに侵攻したことを受け、イギリスとともにドイツへ宣戦布告したフランス。しかし翌1940年5月、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに攻め入ったドイツを迎え撃ったフランス・イギリス連合軍は、ドイツのハインツ・W・グデーリアン率いる装甲軍団と航空作戦を併用した電撃戦により防衛線を突破され、一気にフランス国内までの侵攻を許してしまいました。
ナチス・ドイツの進撃は止まらず、イギリス・フランス連合軍をダンケルクの戦い(ダイナモ作戦)でフランスからイギリスへ撤退させると、フランスは6月10日に首都パリを無防備都市として放棄。ドイツ軍は15日、パリへ無血入城することになります。
これに先立ち、ポール・レノー内閣の国防次官兼陸軍次官だったシャルル・ド・ゴール少将は、イギリス軍の増援を要請する為ロンドンへ向かい、イギリスのウィンストン・チャーチル戦時内閣と交渉を続けていましたが、パリ陥落とレノー内閣退陣により次官職を解かれ、やむなくイギリスに亡命することに。
ド・ゴール少将はチャーチル首相の協力を取り付け、6月18日夜にBBCラジオを通じ、フランス国民に対し徹底抗戦を呼びかける演説を行ないました。
この演説を直接ラジオで聞いた人は少なく、しかもBBCが録音を保存していなかったこともあり、演説そのものは残っていません(現在残るのは6月22日に文案を修正し再録音したもの)が、翌日の新聞に演説の内容を伝える記事が掲載され、フランス人に大きな影響を与えると同時に、それまであまり知られていなかったド・ゴールの名を知らしめたのです。
フランスのナチス・ドイツに対する抵抗活動(パルチザン)、その起点となったド・ゴールの歴史的演説から80年となる2020年6月18日、記念となる式典がパリと、演説が放送されたロンドンで開催されました。
現在に至るフランスとイギリスの友情の証、と位置づけられた一連の式典では、フランスのマクロン大統領がパリ、モン・ヴァレリアン要塞にある第二次世界大戦の戦没者慰霊碑で式典を開催しました。
マクロン大統領は午後にロンドンを訪問。ド・ゴール率いる自由フランス政府が拠点を置いたカールトン・ガーデンにある、ド・ゴール像に花を捧げました。
また、マクロン大統領はド・ゴール率いる「自由フランス」を庇護した都市としてのロンドンと、レジスタンスの運動に理解を示し支持していたロンドン市民に対し、レジオンドヌール勲章を授与。ロンドン市民の代表として、チャールズ皇太子に叙勲する形になりました。
空では、フランス空軍のパトルイユ・ド・フランスとイギリス空軍のレッドアローズ、両国を代表する曲技飛行チームが、パリとロンドンを合同の記念飛行。どちらの曲技飛行チームも青・白・赤のカラースモークを使用していることから、揃って空をトリコロールに染め上げました。
パリでは、フランス軍事博物館のあるオテル・デ・ザンヴァリッドと、多くのパルチザンが処刑されたモン・ヴァレリアン(1960年6月18日にド・ゴールにより記念碑が建立されている)の上空を飛行。こちらでは、フランスのパトルイユ・ド・フランスが先行し、イギリスのレッドアローズが後に続く形で飛行しました。
ロンドンでは、BBCやイギリス議会がある中心部の上空をレッドアローズが先行し、パトルイユ・ド・フランスを導く形で飛行。双方9機ずつ、合計18機によるトリコロールのカラースモークが空にたなびきました。
フランス政府では、ド・ゴールの自由フランスとナチス・ドイツ抵抗活動(パルチザン)の開始から80年となる2020年を「ド・ゴール記念年」と位置付け、様々なイベントを予定しているほか、歴史的資料を公開する記念サイトを開設しています。
<出典・引用>
フランス大統領府 ニュースリリース
フランス空軍 ニュースリリース
Image:フランス空軍/ECPAD/Defense/RAF, Crown Copyright 2020
(咲村珠樹)