初詣は日頃からお世話になっている地元の神社、と決めている人もいれば、有名な神社仏閣に参拝したい、と考える人もいて、いろいろな考え方が見え隠れします。そこで、全国的に知られている神社のうち、東京23区内で参拝可能な神社を3社、ご紹介します。
御由緒がそれぞれ異なるので、その違いを知ることも楽しみのひとつとなるかもしれません。
■ 願い事は伊勢に直通 東京大神宮
JR中央線の飯田橋駅近くにある東京大神宮。女性の間では縁結び、良縁をもたらしてくれる神社として知られています。
東京大神宮の成り立ちは、伊勢詣をしなくても東京で参拝したいという願いに対し、明治天皇の裁断を仰いで伊勢にある神宮の「遥拝殿」として1880年、日比谷の地に造営されたのが始まり。一般的に「日比谷大神宮」と呼ばれました。現在地には関東大震災後の1928年に遷座し、以来「東京のお伊勢様」として親しまれています。
遥拝殿(ようはいでん)とは、遠くから拝むための社殿という意味。祭神を分霊して勧請する「分社」とは違い、遥拝殿は元の神社の「飛び地」的な存在といえます。つまり東京大神宮の拝殿は伊勢にある神宮の拝殿と同じとみなすことができ、願い事は時空を超えて直結している伊勢の地まで届くという仕組み。
考え方からすると、東京にいながらにして実質的な「お伊勢参り」が可能となっている東京大神宮。初詣の際に振る舞われる御神酒も、伊勢と同じ銘柄のものをいただくことができます。ちょっとお得な気分ですね。
■ 宮司自らが開いた分祠 出雲大社東京分祠
港区六本木にあるのが、出雲大社東京分祠。ここは出雲大社の80代宮司で出雲大社を宗祠とする神道教団「出雲大社教(いづもおおやしろきょう)」初代管長の千家尊福が、東京および東日本での神徳宣布のため1878年、主祭神(オオクニヌシノカミ)を同じくする神田神社(神田明神)社務所内に東京出張所を設けたのが始まりです。
のちに東京出張所は麹町区上二番町(現在の千代田区一番町)に移転。同地にて1883年に社殿が作られ、千家尊福宮司が出雲より分霊を奉じて出雲大社東京分祠が建立されました。
1989年に麻布区材木町(現在の港区六本木7丁目)へ、さらに戦災を経て1961年に現在地へと移転した東京分祠。現在の鉄筋コンクリート造りの社殿は1980年に改築されたものです。
出雲大社といえば縁結び。また祭神のオオクニヌシノカミは「大国様」の愛称でも知られている通り、商売繁盛にも神徳があるとされます。
初詣の時期とはずれますが、11月1日~11月10日の神在祭期間中は、稲佐の浜で執り行われる「神迎えの神事」にて神徳をたくわえた「神迎の御砂」も、初穂料を納めることでいただくことができます。遠い出雲の祭事ゆかりの砂をいただくことができるのも、分祠ならではですね。
■ ビルの下をくぐって参拝 虎ノ門金刀比羅宮
港区虎ノ門、東京メトロ銀座線虎ノ門駅からすぐの場所にあるのは、虎ノ門金刀比羅宮。ここは1600年に当時の讃岐国丸亀藩主、京極高和が三田にあった江戸屋敷に地元の金刀比羅宮を勧請したのが始まりです。
その後1679年の大名屋敷替えにより、三田から虎ノ門に移転した丸亀藩の江戸屋敷。屋敷内の金刀比羅宮もそれにあわせ、現在地(丸亀藩江戸屋敷跡)に遷座しました。
金刀比羅宮に参拝したいという江戸町民の要望は多く、特にこんぴら信仰が熱を帯びた文化年間(1804~1818)からは毎月10日に屋敷を開放して、一般の参拝を許したといいます。境内の一部には金刀比羅宮と三井不動産が共同開発した虎ノ門琴平タワーが建ち、社務所のある1階ピロティ部分が表参道という、日本唯一の構造も特徴。
拝殿正面に立つ銅鳥居は文政4(1821)年に奉納されたもので、世話人らの住所を見ると江戸市中に信仰が広まっていたことが分かります。柱には四方を守護する青龍・玄武・朱雀・白虎の像も取り付けられており、当時いかに崇敬を集めていたかも感じることができます。
鳥居のかたわらには、いわゆる「お百度参り」に使われる、元治元(1864)年の銘が刻された百度石もあります。お百度参りをする人は拝殿で願掛けをしたのち、この百度石のところまで戻り、また折り返して願掛けをする……ということを繰り返しました。
社殿のうち、総尾州檜造りの拝殿と幣殿は1951年に戦災復興で造立されたもの。設計は社寺建築に精通し、築地本願寺でも知られる伊東忠太によるもので、東京都の歴史的建造物にも指定されています。
今回ご紹介した3社は、遥拝殿、宮司自らが分祠、大名が江戸屋敷に勧請と由緒は異なるものの、どれももとになった神社同様に人々の崇敬を集めるところ。東京からでも現地同様に、皆さんの願いを聞き届けてくれると思いますよ。
(咲村珠樹)