国際宇宙ステーションに物資を補給する、ノースロップ・グラマンのシグナス補給船(NG-13/CRS-13)が2020年2月14日(現地時間)に打ち上げられます。この補給船には、アメリカ初の黒人(アフリカ系アメリカ人)宇宙飛行士の名が冠されました。
ノースロップ・グラマンのシグナス補給船は、毎回著名な宇宙飛行士の名前が冠されることで知られています。今回はアメリカの「黒人の歴史月間(Black History Month)」である2月に打ち上げられることから、アメリカ初の黒人宇宙飛行士である故ロバート・ヘンリー・ローレンスJr.氏の名前がつけられることになりました。
実は、ロバート・ローレンスはアメリカ人ですが、NASAの宇宙飛行士ではありません。1960年代にアメリカ空軍が独自に進めていた有人宇宙計画「有人軌道実験室(Manned Orbital Laboratory=MOL)」の宇宙飛行士として選抜された人物です。
MOLはNASAのジェミニ計画(アポロ計画に必要な技術を確立するための有人宇宙飛行計画)を発展させる形で構想されたもの。ジェミニ宇宙船を改良したジェミニB宇宙船を使用し、タイタンロケットの燃料タンクを改修した宇宙ステーション(MOL)とドッキングした形で地球周回軌道上に30日ほど滞在し、カメラやレーダーで地上を偵察するという計画でした。帰還の際はドッキングを解除し、ジェミニ宇宙船のみが地上へ戻る仕組みです。
この計画はアポロ計画が大詰めを迎える1969年、偵察衛星の映像技術が向上したこともあり、中止となりました。ちなみにスペースシャトルで命綱なしの船外活動に使用されたMMU(Manned Maneuvering Unit)は、空軍のMOL計画で使用する予定だった装備のAMU(Astronaut Maneuvering Unit)から派生したという説もあります。
ロバート・ローレンス大尉(1935年10月2日生まれ)は、その計画における1967年6月の第3期選抜で、ジェームズ・アブラハムソン、ロバート・ヘレス、ドナルド・ピーターソンとともに宇宙飛行士となりました。ブラッドレー大学で化学を学んだローレンスは、20歳で空軍に入ると戦闘機パイロットとなり、25歳の時には飛行教官としてドイツ空軍のパイロット教育にも携わっています。宇宙飛行士として選抜される前の1965年には、オハイオ州立大学大学院で化学の博士号も取得していました。
しかし、ローレンスは宇宙へ行くことはありませんでした。1967年12月8日、エドワーズ空軍基地で前席に訓練生のハーベイ・ロウヤー大尉、後席にローレンス大尉が教官として搭乗したF-104スターファイターは、急降下を伴う滑空での操縦訓練中、ロウヤー大尉の機体引き起こしが遅れ、地面に水平な形で激突。機体から出火し、炎を上げながら地面を転がっていきました。
パイロット2名はすぐに射出座席で脱出を試みます。前席のロウヤー大尉は運良くコクピットが上を向いた状態で射出されたため、大怪我を負ったものの生還しました。
しかし、空中衝突を避けるため前席よりわずかに遅れて射出される仕組みになっていることもあり、後席のローレンス大尉は横向きに転がったタイミングで射出され、パラシュートが開かないまま地面に激突。即死でした。
F-104はローレンス大尉にとって乗り慣れた機種であり、X-15の開発時にF-104を使っての滑空特性試験にも参加して優秀なデータを提供するほどの操縦技量を持っていただけに、残念な結果となりました。アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)宇宙飛行士が宇宙飛行を果たすのは、1983年8月のスペースシャトル・チャレンジャーのSTS-8ミッションに搭乗した、ギオン・ブルーフォード氏まで待たねばなりません。
シグナス補給船「ロバート・ヘンリー・ローレンスJr.」を載せたノースロップ・グラマンのアンタレスロケットは、アメリカ東部時間の2020年2月14日15時43分(日本時間2月15日5時43分)に、バージニア州のNASAワロップス飛行施設から打ち上げられます。NASAのインターネットTV「NASA TV」では、打ち上げの様子を日本時間2月15日5時30分より生中継する予定です。
<出典・引用>
NASA ニュースリリース
ノースロップ・グラマン ニュースリリース
Image:NASA/USAF
(咲村珠樹)