本連載では、数多くある漫画から選りすぐりの1冊をピックアップ。その「第01巻だけ」レビューをお届けします。
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「美しい瞳」を描く漫画家がいます。筆者が多感な10代のころ触れた作家でいえば―― ヒーロー然とした雄々しい勇敢な眼差しから、ルネッサンス期の絵画を思わせる妖艶な瞳まで描く荒木飛呂彦(『ジョジョの奇妙な冒険』)。爛々と燃え上がる生命の力強さを感じさせ、瞳そのものが「意思」であるかのように熱血の迫力をもって描写する山口貴由(『覚悟のススメ』)。
そして筆者が最も感銘を受けたのは、藤田和日郎でした。今夏テレビアニメ放送にも期待が寄せられる名作『うしおととら』では、主人公・うしお少年の瞳は太陽のように眩しく、相棒の妖怪・とらは恐ろしさと無邪気さを瞳の表情でコロコロ入れ替え、かたき役の大妖怪・白面の者が見せる憎悪に満ちた「睨み」は、筆者がこれまで鑑賞した瞳の中で最も昏く、毒々しく、禍々しいものの、何とも抗いがたい退廃的な美しさを漂わせていました。
「目は口ほどに物を言う」という諺は現実世界にて通用するモノかもしれませんが、「声」のない漫画世界においても口ではなく「目=瞳」こそが感情表現として最大にほかなりません。私たち読者はキャラクターの瞳から、彼らの感情をくみ取りつつページを手繰り、物語を楽しみます。以来、筆者は漫画を読む際キャラクターたちの目元を気にし、魅力的な「瞳」にはそのたび魅了されてきたのです。
そうして。本当にひさしぶりに、ゾッとするほど美しい「瞳」に本作『累(かさね)』で出会いました。
「伝説の女優」と呼ばれながら若くして“美しいまま”亡くなった淵 透世(ふち すけよ)の娘・累(かさね)は、母とは別人のように醜い顔をもって生まれ、だからこそ周囲の人々に嫌悪され蔑まれながら、這うような毎日を生きています。通っている小学校でのイジメはすさまじく、観衆の前で生き恥を晒させるため、クラスを仕切る美少女・イチカの企みによって累は「シンデレラ」役を学芸会で演じさせられる破目に。
美貌を遺してはくれませんでしたが、母ゆずりの卓越した才能を持つ累は練習を重ねる中で、演技に目覚めていきます。本番、劇が最高潮に達した時「主役交代」をイチカに無理やり迫られ、舞台を引きずり降ろされる累は心の中で唱えます――
その唇から どんなに汚い言葉がこぼれようと
可愛らしい顔の均整は崩れない
うらやましい ほしい
その顔がほしい。舞台に立ち、演技を続け、観客の喝采に迎えられたい願望が爆発し「形見の口紅」を塗ってイチカに口づけすると、醜い累の顔は可愛らしいイチカの顔と“入れ替わって”いたのです。魔法にかかったような美貌に生まれ変わり昏い感情から解き放たれ、演技への喝采と、何より美しさに対する賞賛に恍惚となる累。しかしその刹那、頭をよぎったのは「母もまた、顔を奪ったのかもしれない」というおそろしい気づき。
顔をめぐる取っ組み合いの果てイチカは転落死となり、累の顔も今度は消えない傷を口元に残して、元の醜い顔へと戻ってしまいます。実父に捨てられたことさえ「醜さ」のせいと悟った時、“顔の無い”母が累に語りかけてきます。「顔も愛も うばいとってやりなさい」と。
母のあしあとを信じて
累(かさ)ね 歩いてゆくしかない
醜い自分を捨て
美しい誰かになるために
「美しくなりたい」という願望、欲望。ひるがえって「醜いものは価値がない」という暗然たる想いは老若男女の区別なく、諸説ありますが童話『シンデレラ』起源の一つが紀元前1世紀ごろギリシャで著されたことをみれば、いかに「美醜」という価値観が人間の根っこに深く刻まれているか、思い知らされます。
作者・松浦だるま氏は本作を2013年より『イブニング』誌上で連載開始し、同誌新人賞も獲得しました。キャリアとしてはまだ新人作家といえますが、骨太な「美醜」というテーマに読者を引き込む脚本力、ほどよくケレン味を含ませフックを散りばめる演出力は、すでに新人作家の域ではありません。
ひとつ間違えてしまえば「軽く」なってしまうだろう普遍的さえあるテーマを、しっかりした要素で積み上げ、松本清張が書くミステリー作品のごとく重厚さを持たせ、いっぽうテンポも良く読みやすい。このあたりのバランス感覚も、同作の素晴らしい点でしょう。
松浦氏は2014年『累』の前日譚として、累の母・透世 生誕を解き明かす小説『誘(いざな)』を星海社「星海社FICTIONS」より発表し、小説家としてもデビューをはたしています。同書の帯には、ミステリー界の巨匠・綾辻行人がコメントを寄せており、その実力は推して知るべしです。
なにより。冒頭紹介した名作にも引けを取らない画(え)、特に美しい「瞳」を描く画力こそ、松浦作品の最も評価されるべきものと、筆者は考えます。第01巻読了後にカバーイラストを見返せば、初見「ただ美しい」と魅かれた印象にかさねて、「グロテスクさ」がこみ上げてきます。そう、だからこそ“ゾッとする”ほど美しいと、感じたのやもしれません。
いちど美しく変身して賞賛をうけた高揚感を、簡単に忘れることなどできません。ひとりの女性として成長しつつある累は、やはり「形見の口紅」の誘いには逆らえず、新たな顔を求めて生きいくようになります。女優として、母と同じ舞台<ステージ>に立てることを夢見ながら。
見た目さえ美しくなれば、人は変われるのでしょうか。変わるためには、すべて奪ってもよいのでしょうか。それは、幸せと呼べるのでしょうか――。途切れない「美醜」という彼岸に新たな光をあてる、本作『累』から目が離せません。
画像協力:
『累(かさね)』
http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/69916/