昨年11月の発表から半年。ついにこの日がやってきました。レッドブル・エアレースが初めて日本で開催。会場は千葉市の幕張。2003年の創設当時からチェックし続けてきた筆者にとっては、まさに感慨無量のイベントとなりました。日本で初めて開催されたレッドブル・エアレースの様子を『おたくま経済新聞』らしく、より詳しくディープにお伝えします。

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今回の千葉開催、大きな影響を及ぼしたのは開催週の火曜夜~水曜朝に関東を通過した台風6号でした。関東を通過した頃には温帯低気圧になっていましたが、それでも強風と雨は健在。これにより、会場建設の日程が遅れてしまいました。レッドブル・エアレースのトップ、エリック・ウルフGMによると「かつてアブダビ(UAE)で砂嵐に見舞われたことはあったが、このような台風(嵐)は初めて」とのこと。

レース用の特設飛行場(滑走路と管制施設、ハンガーなど)も建設が遅れ、本来なら木曜には準備を整えて機体を搬入し、金曜のトレーニングフライトを行う予定だったのですが間に合わず、トレーニングフライトセッションはキャンセルとなってしまいました。

特設飛行場が設置されたのは、海を挟んだ対岸にあたる浦安市総合公園の岸壁。近くでは東日本大震災の災害復旧工事が行われていました。地震による液状化現象で、道路などがグチャグチャになった浦安市の海岸沿い地区。まだ完全復旧してないんですね。

飛行場近くでの震災復旧工事現場

飛行場近くでの震災復旧工事現場

公園内から滑走路が見渡せる「ニコニコ広場」には、警察からの指導(警備上の都合)で秘密にされていたのに噂を聞きつけた人達が、朝からオレンジの規制線に沿って並んでいました。浦安市の広報で情報が流れていたので、そこから広まったんでしょう。浦安市にはパブリックビューイングの会場が設けられ、3000人の収容人数に5000人の応募があったとか。

飛行機を見ようと集まった人々

飛行機を見ようと集まった人々

レース用のハンガーは、鉄骨の骨組みに布製のシートでできたカバーをかけた構造。……これは台風だと飛びますね。各チームのカラーに彩られており、F1など他のモータースポーツでいうところのピットやパドックに相当します。

レース用ハンガー

レース用ハンガー

各チームのカラーで彩られる

各チームのカラーで彩られる

ハンガーはオープンしたものの、まだ建設作業が残っているようで、取材中にも物資の搬入が続いていました。

建設途中で機材が搬入される

建設途中で機材が搬入される

レースに使われる機体も組み上げられたばかりで、色々な調整が行われています。

カービー・チャンブリス選手のエッジ540V3

カービー・チャンブリス選手のエッジ540V3

コクピットで調整するラム選手

コクピットで調整するラム選手

レースウィークが始まったばかりとあって、パイロット達はリラックスした表情。

笑みを見せるアルヒ選手

笑みを見せるアルヒ選手

レッドブルを手にポーズを決めるドルダラー選手

レッドブルを手にポーズを決めるドルダラー選手

チームブライトリングの記者会見で仲良くなったフランソワ・ルボット選手は、筆者の姿を見つけると「頑張るよ」とポーズをとってくれました。ルボット選手がかつて所属していたフランス空軍のアクロバットチーム「L’Equipe de Voltige de l’Armée de l’Air(EVAA)」がTwitterとfacebookで「今週末はルボット選手を応援しよう!」って書いてたよ、と伝えると

「本当かい? それは嬉しいなぁ」

筆者の姿を見つけ「頑張るよ」とポーズをとるルボット選手

筆者の姿を見つけ「頑張るよ」とポーズをとるルボット選手

レッドブル・エアレースは日本初開催ですが、参加している選手は著名なエアロバティックス(様々なアクロバット飛行を組み合わせた展示飛行)のパイロット達。1990年代から2000年代初頭にかけて日本で開催されていた「オートボルテージュ(ツインリンクもてぎ)」などの競技会や、エアショウの展示飛行で来日経験のある選手もいます。

たとえば、かつて数々のエアロバティックス選手権で優勝し、レッドブル・エアレース創設メンバーの一人でもある「レジェンド」ピーター・ベゼネイ選手は、日本にもファンの多いパイロットです。

レジェンド、ピーター・ベゼネイ選手

レジェンド、ピーター・ベゼネイ選手

レッドブル・エアレース最多勝を誇り、筆者も大ファンのポール・ボノム選手。ブリティッシュ・エアウェイズの現役B747-400機長でもあります。日本で戦うのはツインリンクもてぎでのエアロバティックス選手権「オートボルテージュ」のチーム部門で「マタドールズ」の一員(相棒は現在レッドブル・エアレースのレースディレクターを務めるスティーブ・ジョーンズ氏)として参加して以来。そのことについて訊くと

「その通り。よく覚えてるね。……ただ、仕事ではしょっちゅうB747で成田に来てるから、久しぶりって感じはないんだ」

ブリティッシュ・エアウェイズのB747機長でもあるポール・ボノム選手

ブリティッシュ・エアウェイズのB747機長でもあるポール・ボノム選手

今回のコース、特に風の影響について訊くと

「そうだね、風が強く、風向が一定しないという話は聞いている。……ただ、全員に等しく風が吹いてくれるんであれば、有利不利はないし、いつも通りのフライトをするだけだよ」

ハンガーには報道陣だけでなく、様々なゲストが訪れます。オーストラリアのマット・ホール選手のハンガーには、白いTシャツを着た見覚えのある人物が。……ロードレース世界選手権(現:MotoGP)をホンダNSR500で1994年~1998年まで5連覇した、ミック・ドゥーハン氏です。同じオーストラリアの偉大なるモータースポーツのチャンピオン。ホール選手は、機体について色々説明していました。

ミック・ドゥーハン氏がハンガー訪問

ミック・ドゥーハン氏がハンガー訪問

ドゥーハン氏とウイングレットについて話すホール選手

ドゥーハン氏とウイングレットについて話すホール選手

ドゥーハン氏と記念写真を撮るホール選手

ドゥーハン氏と記念写真を撮るホール選手

後日、この訪問について「何か『レースに勝つ秘訣』みたいなものを聞いたりした?」と聞いてみたら

「やはり同じモータースポーツの偉大なチャンピオンだし、ヒーローだからね。気持ちのコントロールの仕方とか、マシンを操る時にどのようにしていたかとか、非常に興味深い話を聞けたよ」

アジアから唯一参加している室谷義秀選手は、常にものすごい数の報道陣(ほぼ100%日本のメディア)が取り囲んでいます。

室谷義秀選手

室谷義秀選手

ものすごいフィーバーぶりに各選手が驚いていましたが、ホール選手にどう思うか訊いてみると

「彼はローカルヒーローだし、初の日本開催。もともと日本はモータースポーツの盛んな国で、モータースポーツに敬意を払ってくれている国だと思ってるから、こういうのは理解できるよ」

室屋選手はハンガー横のメディアラウンジで記者会見が設定されましたが、幼少時代に習志野市に住んでいたこともあり、日本、そして千葉での開催に感慨深いと話していました。

取材の合間に笑顔を見せる室屋選手

取材の合間に笑顔を見せる室屋選手

レース会場となる幕張のメディアセンターでは、記者会見場のセッティングが完了しました。

メディアセンターの記者会見場

メディアセンターの記者会見場

また、このメディアセンターにはレッドブル・エアレースを疑似体験できる「レッドブル・エアレースVR」が設置されていました。ヘッドマウントディスプレイ「Oculus Rift」とヘッドホンを装着し、エアレースをコクピットからの360度CGで疑似体験できます。ナレーションは日本語版が室谷義秀選手、英語版がポール・ボノム選手。「さあ次は宙返りだ!」「ゲートを慎重に通過して!」なんて言ってくれる訳ですが、ボノム選手のナレーションがエキサイティングで秀逸。

メディアセンターに置かれたレッドブル・エアレースVR

メディアセンターに置かれたレッドブル・エアレースVR

飛べるコースは、アスコット競馬場(イギリス)、ラスベガス(アメリカ)、ブダペスト(ハンガリー)、シュピールベルグ(オーストリア)。アスコット競馬場は2000mの直線コース「ローリーマイル」を空から見られるという競馬ファンにはたまらない趣向、ブダペストは街の名物であるセーチェーニ鎖橋(世界遺産)をくぐり抜けてスタートするので、面白くてたまりません。宙返りすると思わず上を向いてしまう人が続出。

宙返りすると思わず見上げてしまう

宙返りすると思わず見上げてしまう

筆者の場合、上下左右だけでなく後ろをしょっちゅう振り返っていたので、係員の方に「何を見てたんですか?」と訊かれてしまったのですが、実は飛行中のエレベーター(昇降舵)やラダー(方向舵)の動きを確認してたんですね……。

午後になると、とりあえずの調整を終えた機体がチェックの為、会場上空でフライト。舵の効き具合やエンジンのレスポンス、会場上空の風など気象条件の確認をしていました。

確認フライトするベゼネイ選手

確認フライトするベゼネイ選手

機動の確認をするホール選手

機動の確認をするホール選手

いよいよ土曜日からレース開幕。予選セッションを経て、日曜日の決勝を迎えます。

パイロン用の台船がレースを待つ

パイロン用の台船がレースを待つ

※続編「日本初開催! レッドブル・エアレース千葉大会(ルール・機体編)」は5月21日に掲載します。

(取材:咲村珠樹)