アメリカ、カリフォルニア州にあるロナルド・レーガン元大統領の業績を記念する展示館に2019年12月7日(現地時間)、史上初のステルス実戦機として知られるF-117が展示されました。展示に際し、ロッキード・マーティンで入念な修復作業が行われています。
ロサンゼルス大都市圏にあるカリフォルニア州ベンチュラ郡のシミバレー市に作られた、ロナルド・レーガン大統領記念館(Ronald Reagan Presidential Library And Museum)。アメリカ合衆国第40代大統領、ロナルド・ウィルソン・レーガンの業績を振り返る図書館と博物館で構成されています。
博物館にはホワイトハウスの大統領執務室「オーバルオフィス」や、庭園「ローズガーデン」が再現されているほか、レーガン大統領も使用した、大統領搭乗時のコールサイン「エアフォース・ワン」で知られる大統領専用機VC-137(27000)の実機も展示されています。ここに新しく、F-117が屋外展示されました。
F-117はDARPA(アメリカ国防高等研究計画局)が1970年代に始めたステルス技術研究の一環で開発された、史上初の実戦ステルス機。ロッキード・マーティンの特別プロジェクトチーム「スカンクワークス」によって開発が進められ、1977年に完成した試作機「HAVE Blue」を原型としています。
その後改良された試作機「TACIT Blue」を経て、F-117Aがアメリカ空軍で就役したのは1983年10月のこと。もちろん、このことは最高機密として取り扱われ、存在が初めて公になったのは1988年。初の実戦は1989年のパナマ侵攻(ジャスト・コーズ作戦)で、2001年のイラク戦争「デザート・ストーム」作戦では、実戦参加したことが広く公表されました。
ロナルド・レーガン記念館にF-117が展示されることになったのは、大統領任期中(1981年1月20日〜1989年1月20日)にF-117の初飛行(1981年6月18日)から就役が行われたことによるもの。展示品として、2008年の退役後アメリカ空軍で保管されているF-117のうちから803号機、ニックネーム「Unexpected Guest(お呼びでない客)」が選ばれました。この名前は、ヘヴィメタルバンドのデーモン(Demon)が1982年に発表したアルバム「The Unexpected Guest」から採られたものです。
1984年に就役した803号機「Unexpected Guest」は、F-117が初めて実戦参加した1989年のパナマ侵攻で初攻撃を行った6機のうちの1機。これ以来、F-117で最多となる78回の出撃を行っています。2007年の退役までに、4673時間の飛行を経験しました。
退役後、要請があれば現役復帰できる状態で保管されてはいたものの、今回の公開にあたってはメーカーのロッキード・マーティンで徹底した修復と、展示に備えた改良が実施されました。「ナイトホーク・ランディング」作戦と名付けられた修復作業が決定したのは2019年5月。カリフォルニア州パームデールにあるスカンクワークスの工房に主翼と垂直尾翼が7月に運び込まれ、8月には厳重に梱包された胴体部分が到着しました。
展示方法が1本の支柱の上に飛行状態で載せられる、ということになったため、約9.7トンあるF-117は、重すぎて支えきれません。実際に飛行させるわけではないので、塗装を完全に剥がし、分解して展示に必要ない部分を取り除く軽量化を実施。約2.3トン軽量化した約7.4トンとしました。
すでに退役した飛行機とはいえ、ステルス機の構造や金属の地肌を見ることができるのは非常に貴重です。垂直尾翼は、胴体側の基部と全遊動式になっている本体とに分割されていることも分かります。
軽量化を実施し、再度組み立てられたF-117「Unexpected Guest」は、塗装作業が行われます。緑色のベースコートは、F-35の組み立て作業で見ることのできる色と同じようです。
艶消しのブラックで上塗りがなされ、各部のマーキングを終えて修復が完了したのは2019年10月。11月にシミバレーのレーガン記念館に運ばれ、展示に向けての据え付け作業が行われました。
到着時、レーガン記念館には「WELCOME UNEXPECTED GUEST」のサインが書かれていましたが、飛行機のニックネームとはいえ「歓迎・お呼びでないお客様」というのは、なんだか妙な感じでもあります。
12月7日のお披露目式には、記念館を運営するレーガン財団のフレッド・ライアン理事長のほか、アメリカ空軍からバーバラ・バレット空軍長官と、デイビッド・ゴールドファイン空軍参謀総長が参列。ロッキード・マーティンのスカンクワークスを統括するジェフ・バビオーネ副社長に、かつてのF-117パイロット、リック・ライト氏も参列し、リボンカッティングを行っています。
ゴールドファイン空軍参謀総長は展示された803号機に対し「君は退役して飛べなくなり、歳をとったことを自覚しただろうが、今こうして、博物館の展示品としてずっと飛び続けることができるようになったよ」と語りかけています。
また、ゴールドファイン空軍参謀総長は重ねて「F-117のパイロットは、運用資格を得ると『バンディット(ならずもの)』で始まる通し番号を与えられました。最初はアル・ホワイトリー少佐で『バンディット150』。150から始まったのは、どれだけのパイロットがこの計画に参加したのか数えきれず、正確な番号を付けられなかったためです」と、F-117にまつわるエピソードを披露しています。
アメリカ空軍でわずか59機しか運用されなかったF-117の運用資格を得たのは、全部で558名。803号機「Unexpected Guest」のコクピットに書かれているパイロットのスコット・R・スティンパート氏はバンディット270。そしてお披露目式に参列したリック・ライト氏はバンディット352となっています。この席でゴールドファイン空軍参謀総長は、民間のパイロット資格を持つバレット空軍長官に「ラスト・バンディット」として、バンディット708の称号を贈っています。
F-117の存在が公にされ、ナイトホークという愛称が発表される前は「ブラックジェット」と呼ばれていたとゴールドファイン空軍参謀総長は語っています。
「9年間、パイロットや整備員、メーカー担当者に支援要員たちはラスベガスの北にある小さな飛行場に集まり、毎週日曜の午後に北のネバダ州トノパー飛行場に向けてのフライトを繰り返しました。ずっとコウモリのように昼間に寝て夜に飛行するという生活を送り、家族のもとに帰れるのは金曜の夜だけ。それを9年もの間続けたのです。最初の頃、家族は自分の父親、母親がどこで何をしているのか分かりませんでしたが、やがてそれは日常のこととなりました。プロジェクトの関係者は、ナイトホーク(ヨタカ)をあしらったタイピンを絆の証として持っていました。パイロットは目が赤いもの、そのほかはグレーの目をしたものです。関係者は原爆開発に関する『マンハッタン計画』が3年ほどで明らかになったことから、2、3年でF-117の存在は明るみに出ると覚悟していましたが、10年近くもの間機密は守られたのです」
ゴールドファイン空軍参謀総長いわく、アメリカ空軍史上最も長い期間漏洩しなかった機密だというF-117。計画が始まった地は、レーガン記念館から30マイル離れたカリフォルニア州バーバンクだといいますから、ゆかりの地に近いこの場所にF-177が展示されるのは、運命的なことだったのかもしれません。
<出典・引用>
ロナルド・レーガン記念館 ニュースリリース
ロッキード・マーティン ニュースリリース
Image:Lockheed Martin/USAF/Ronald Reagan Presidential Foundation And Institute
※初出時、レーガン大統領のフルネームを「ロナルド・レーガン・ウィルソン」としていましたが、正しくはウィルソンはミドルネームで「ロナルド・ウィルソン・レーガン」です。お詫びして訂正いたします。
(咲村珠樹)