2020年は日本最古の正史である「日本書紀」が編まれてから1300年となる記念の年。その冒頭に記された国譲り神話にちなみ、東京国立博物館では特別展「出雲と大和」が1月15日から始まります。その内覧会へ行ってきました。
720(養老4)年、元正天皇に奏上された「日本書紀」は、舎人親王が中心となって編纂された日本最古の正史。神代の時代から持統天皇11(697)年までの出来事を記したその冒頭には、天津神(天皇の祖先)が、国津神である大己貴神(オオアナムチノカミ=大国主神)から、日本を表す葦原中国(アシハラノナカツクニ)を譲られるという「国譲り神話」が記されています。
ここで出雲大社に鎮座する大国主神は「幽(祭祀)」を司ることとし、日向に降り立った天津神の子孫(天皇)は大和において「顕(政治)」を司ることとする、という役割分担が示されます。古代日本において、出雲と大和は大きな役割を担う土地だったことがうかがえるのです。
東京国立博物館の「出雲と大和」は、古代日本における出雲と大和に関する、国宝や重要文化財を含む約170件もの展示品によって、その特質にせまる特別展となっています。
会場入ってすぐに目に入るのは、平成12(2000)年に出雲大社境内から出土した巨大な「心御柱(しんのみはしら)」と「宇豆柱(うづばしら)」。どちらも重要文化財で、出雲大社の宮司を務める千家(せんげ)家に伝わる「金輪御造営差図」に記された巨大な高さの社殿を裏付けるものとして注目されました。
木材の年代測定結果と造替記録に照らして、鎌倉時代の宝治2(1248)年に遷宮されたものと思われるこの柱の展示間隔は、出土した状況を再現した7.2m。実際の社殿では9本(3本の木材を束ねて1本の柱としている)使われているので、その巨大さが実感できます。
すぐ後ろには平安時代の10世紀ごろを想定した、10分の1スケールの社殿の模型が展示されており、実際の柱と模型で、かつての出雲大社がいかに巨大なものであったのかが想像できます。
巨大な社殿を造営できることからも分かるように、出雲大社は古くから多くの人の信仰を集めていました。室町幕府八代将軍足利義政が奉納した鎧(重要文化財)や、豊臣秀頼が奉納した太刀(重要文化財)といったものも展示されています。
古代の祭祀の様子を思わせる品としては、島根県出雲市の荒神谷遺跡(弥生時代)から出土した大量の銅剣や銅矛、銅鐸(いずれも国宝)が展示されています。特に銅剣は、それまでは全国に300本余りしか確認されていなかったのですが、荒神谷遺跡から358本が一挙に見つかったのです。
会場には358本のうち168本を展示。それぞれの銅剣は規格化されており、大量生産できるノウハウが存在していたことがうかがえます。
銅矛も同形状のものが16本、銅鐸は6個が1か所からまとまって見つかっています。会場には銅矛が16本すべて、銅鐸が5個展示されています。銅矛には北部九州で発掘されたものと共通の特徴があり、地域間の交流が活発であったこともうかがえます。このほか銅鐸は島根県雲南市の加茂岩倉遺跡(弥生時代)から出土したもの(国宝)が13個と17個展示されています。
古墳時代における大和のありようを見る第3室では、天理市の黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡(重要文化財)を33面展示しています。
また、桜井市のメスリ山古墳から出土した巨大な円筒埴輪(いずれも重要文化財)も目を引きます。高さ242cmのものが1個、119.2cmのものが2個と、これだけのものを焼成した技術も注目です。
そして第2会場に展示されているのが、奈良県の石上(いそのかみ)神宮に伝わる七支刀(国宝)。「日本書紀」にも記されているタイプの刀です(石上神宮に伝わるものが「日本書紀」に記された七支刀そのものかは不明)。
古墳時代の4世紀に作られたとみられ、両面に百済で作られ倭(日本)に贈られた魔よけの刀である、という内容の文言が金象嵌で記されています。
このほかにも、石上神宮からは「日本書紀」に高句麗から贈られたと記されたものと同じタイプの鉄盾(重要文化財)が2つ、会場にやってきています。
仏教が伝来して以降の展示では、奈良県當麻寺の持国天立像(飛鳥時代7世紀:重要文化財)は脱活乾漆造の優品。細やかな表情にも注目です。
唐招提寺の四天王立像(奈良時代8世紀:国宝)から、多聞天と広目天も展示されてています。一木造の堂々たる体躯は、當麻寺の持国天と好対照といえるでしょう。
ちょうど「日本書紀」に記された古代から始まり、仏教の伝来とともに政治や祭祀のあり方が変化していく流れを多数の国宝・重要文化財を含む品で概観できる特別展「出雲と大和」は、東京・上野の東京国立博物館(平成館)で1月15日~3月8日に開催されます。
取材協力:東京国立博物館
(取材・撮影:咲村珠樹)