レッドブル・エアレース第3戦、千葉大会は6月5日に決勝が行われ、地元日本から参戦している室屋義秀選手が悲願の初優勝を成し遂げました。
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■昨年とは違うレーストラック。攻略のカギは
今年で2年目となる千葉開催。幕張海浜公園の浜辺に沿った沖合に設定されたレーストラックは、昨年とは若干レイアウトが変更され、スタートとゴールでゲートへの進入方向が異なるという、ちょっと特殊な回り方をするものとなりました。
基本的には両端で折り返すレイアウトですが、QVCマリンフィールド側の「幕張マニューバ(レースディレクター、スティーブ・ジョーンズ氏の表現)」は、直前・直後に通過するゲート3(折り返し後はゲート5)・4がまっすぐ配置されたことにより、宙返り(ハーフキューバンエイト)を用いるバーティカルターンが必要になりました。沖合側に設置されたシケインを通過して、海岸側に設置されたゲート7を通過後、また沖合側のゲート8に向かい「千葉コーナー」で折り返します。
大きなポイントとなるのは、両端に設置された折り返し点でのハイGターンでオーバーG(DNF)にならないようにすることですが、実はシケインからゲート7に向かうルートも曲者。幕張マニューバで大きなGにさらされた後、このシケインのライン取りがブレてしまうと速度が落ちてしまい、ゲート7への進入が厳しくなり、パイロンヒットや通過後のターンで失速する危険があります。シケインは、両端のハイGターンで肉体に負担がかかった直後に2回通過する為、ここで気を抜くとタイムを失います。スピードをキープすることを要求されつつ、さりげなくテクニカルな要素が隠された絶妙なレイアウトです。
■金曜日・フリープラクティス
金曜に行われたフリープラクティスでは、折からの強風もあり、両端のハイGターンはもとより、シケインに隠された罠にかかるパイロットが続出。速度が遅く、シケインでのターンで速度を失いやすいチャレンジャークラスの機体では、ゲート7でのパイロンヒットがしばしば。室屋選手もパイロンヒットする場面が見られました。
また、フリープラクティスで試行錯誤するパイロットも。マルティン・ソンカ選手は、主翼端にウイングレットをつけた状態と、つけない状態でそれぞれ飛び、データを比較して千葉のトラックに適した機体セッティングを探っていました。
■「マリン風」に荒れる海。予選中止
予選が予定されていた土曜日。ここでプロ野球、千葉ロッテマリーンズのファンにはおなじみ、幕張名物の強い海風、通称「マリン風」が牙をむきました。
昼過ぎから強まった風はパイロンを大きく揺らし、波も高くなった為にパイロンの土台となっている台船ごと揺らしてしまいます。高度20mほどの超低空を高速で駆け抜けるレッドブル・エアレースにとって、強風は大敵。強い風にあおられて大きく機体の姿勢を崩してしまうと、もう回復させるだけの高度的余裕はありません。興行よりも競技の安全を最優先させるのがレッドブル・エアレースなので、苦渋の決断ですが予選は中止となりました。
デースディレクターのジム・ディマッテオ氏が記者会見で経緯を説明。ともに出席した室屋選手とドルダラー選手も、安全面からの中止決定を歓迎していました。
決勝の初戦となるラウンド・オブ14の組み合わせを決定するのが予選の役割ですから、中止となった場合は、その時点での年間獲得ポイントの順位をもとにラウンド・オブ14の組み合わせが決定されます。こういった事態は2015年第6戦のシュピールベルク大会以来。この時は激しい雨の為に予選が中止されました。
予選に詰めかけた4万人の観衆にとっては残念な結果(土曜日のみのチケットに関しては払い戻し)でしたが、空を使わないサイドアクトは予定通り開催。アメリカの時計メーカーであるハミルトンのブースにはイワノフ選手が現れ、即席のサイン会を行ってファンと触れ合っていました。
また、室屋選手のスポンサーであるファルケン(住友ゴム)のブースには、室屋選手を応援する寄せ書きコーナーが。熱いメッセージがびっしり書き込まれていました。
■決戦の日曜。レース前のパイロット達
そして迎えた5日の決勝。夜明けとともに降り始めた雨も午前中でやみ、レースは予定通りに開催されることになりました。ただし、パイロット達が実際にレーストラックを飛んだのは金曜日のみ。トラックに習熟してセッティングを詰められたとは言えず、何が起こるか解らない、波乱を予感させるには十分な状況です。
トラックの印象についてパイロット達にインタビューしてみると、異口同音にバーティカルターンでのオーバーGを気にしていました。
カービー・チャンブリス選手は
「バーティカルターンでは、ほんの少し操縦桿を引きすぎると簡単にオーバーGしてしまう。はやる気持ちを抑えて、慎重にゆっくり操作しないといけない。……でもゆっくりすぎるとタイムを失うから、ギリギリのさじ加減が大事だね」
室屋選手とラウンド・オブ14で対戦することになったピート・マクロード選手。才能溢れるパイロット揃いの2009年デビュー組である4人「ファンタスティック・フォー」の中で最初に優勝したのは、マクロード選手(2014年第7戦ラスベガス大会。天候上の理由で決勝が中止となった為、予選順位で成績を決定)です。
「金曜のフリープラクティスでもヨシは良いパフォーマンスを見せていた(1回目3位、2回目トップ)けど、相手が誰であっても、自己ベストのタイムを出していくだけだよ」
この前のシュピールベルク大会で初優勝を遂げたドルダラー選手。同じ2009年デビュー組の室屋選手とは、非常に仲の良いことで知られています。
「この前のシュピールベルクでの勝利は、本当に素晴らしかった。ランキングでもトップに立ったしね。でも、まだ8戦中2戦しか終わっていないから気は抜けない。千葉でも同じようなパフォーマンスをしなくちゃね」
今年からドルダラー選手のスポンサーに、ドイツのシュツットガルトに本社がある「オブジェクトカーペット」が加わりました。実はこのカーペット、表彰台の頂点に向かうレッドカーペットだったんじゃないの? と訊いてみると
「本当に最高の『魔法のじゅうたん』だよ! 飛行機に力をくれるし、スポンサーのスタッフ達も、皆いい人ばかりなんだ」
千葉のトラックについては
「非常にターンの多いレイアウトだと思う。鍵になるのは、やはり両端のバーティカルターンと180度ターンかな。でも各ゲートへのライン取りもシビアだから、わずかずつタイムを削り出していきたいね。風については……そうだなぁ、やはり機体が流されてラインをキープするのが難しくなるんで、チャレンジングな要素だね」
2010年にデビューし、その速さを徐々に見せつつあるマルティン・ソンカ選手。今シーズンはランキング上位に食い込んでくるのではないかと予想しているパイロットです。
「千葉のトラックはとても速くてユニークなレイアウトだね。両端のバーティカルターンとハイGターンが鍵になると思う。どうしてもスピードが乗るので、安易に操縦桿を操作してしまうとオーバーGでDNFになってしまう。金曜から吹いている強い風も気になるね。この風がトリッキーな要素になってくるんじゃないかと思ってる。とにかく堅実に、スムーズなラインで飛ぶことが大事だね。機体については、シュピールベルクから変更はないよ。あそこから直接日本に送ったから、自分のファクトリーに持ち込む時間的余裕がなかったんだ。ヨーロッパラウンドに戻ったら、機体の改修を予定している。ブダペストかアスコットで投入するつもりだよ」
マスタークラスに先立って行われたチャレンジャーカップでは、レッドブル・エアレース初の女性パイロットのメラニー・アストル選手や、元イギリス空軍のアクロバットチーム「レッドアローズ」隊長、ベン・マーフィ選手などが参加。勝ったのは元チリ空軍のアクロバットチーム「アルコネス(ファルコンズ)」隊長、クリスチャン・ボルトン選手でした。
■波乱の幕開け。ラウンド・オブ14
朝の雨にもかかわらず、集まった5万人の観衆を前にして始まった、マスタークラスのラウンド・オブ14。室屋選手はヒート2に登場。スタート時にスモークシステムにトラブルが生じ、スモークが出ないアクシデント。いきなり1秒のペナルティを負ってしまいます。ラップ自体は1分5秒022でしたが、1秒加算で1分6秒022。金曜フリープラクティスでのベストタイムが1分5秒059(フリープラクティス2回目でのトップ)でしたから、タイムを縮めたものの1秒のペナルティが重くのしかかります。
対戦相手のピート・マクロード選手。中間計時は室屋選手のタイム(ペナルティ加算なし)を上回るタイムで飛行していましたが、1回目のバーティカルターン後のゲート5でインコレクトレベル(2秒加算)、そして2回目のバーティカルターンでオーバーG。DNF(ゴールせず。リタイヤ扱い)となりました。
ラウンド・オブ14直後、マクロード選手にインタビューすると、
「オーバーGはほんのわずか、数字にして0.04Gだったんだ。一生懸命プッシュして、速く飛ぼうとしてたんだけど、ほんの少しだけ、操縦桿を急激に操作しちゃったみたいだ。ヨシにはいい結果になっちゃったね。スモークの調子が悪いようだけど、今必死に直してるよ。たぶんラウンド・オブ8までには修理が間に合うと思う」
マクロード選手の他にも、ヒート3のマイケル・グーリアン選手が1回目のバーティカルターンでオーバーGを記録し、DNFとなりました。また、ヒート6のイワノフ選手は、レース直前に体調不良となり、レースを行える状況ではないとしてDNS(スタートせず)となるアクシデント。第1戦の勝者にして、今年のポイントランキング2位の選手が飛ばずして姿を消すという波乱の展開となりました。
ラウンド・オブ14での最速タイムは、ヒート4でマルティン・ソンカ選手が記録した1分4秒352。これが結局この日を通しての最速タイムとなり、一番速く飛んだ選手に与えられる「DHLファステストラップ・アワード」(通常予選最速タイムに与えられるが、千葉では予選中止を受けて決勝日の最速タイム記録者に授与された)に輝きました。そしてファステストルーザーは、ソンカ選手に敗れたハンネス・アルヒ選手(1分5秒356で、全体では4番手タイム)。
■サイドアクト
ラウンド・オブ14終了後、レーストラック上空では様々なサイドアクトが行われました。中でも注目を集めたのが、パル・タカッツさんによるパラモーター(モーターパラグライダー)によるアクロバット。ハンガリー出身のタカッツさんは、優れたパラモーターのパイロットとして世界的に有名な人物。FAI(国際航空連盟)のパラモーター&ウルトラライト(超軽量機)世界選手権でも活躍しています。日本にはパラモーターを楽しむ人が結構いるので、このようなアクロバット飛行や、競技大会があることを多くの人に知ってもらいたいものです。
■実力者を襲うオーバーG。ラウンド・オブ8でも波乱が続く
ラウンド・オブ8。ここからはファイナル4まで一気にレースが進行します。ラウンド・オブ14でのタイムを基準に決まった組み合わせは
ナイジェル・ラム選手 対 ハンネス・アルヒ選手
室屋義秀選手 対 マティアス・ドルダラー選手
カービー・チャンブリス選手 対 マット・ホール選手
フアン・ベラルデ選手 対 マルティン・ソンカ選手
ラウンド・オブ14でのタイム差(0秒196)から接戦が予想されたラム選手とアルヒ選手の対戦でしたが、後攻となったアルヒ選手がスタート時に速度超過で1秒のペナルティを負ってしまい、そこで勝負あったの感。接近した勝負での1秒差は致命的でした。
室屋選手とドルダラー選手の対決は、今年最も調子が良く、ポイントランキングで首位を走るドルダラー選手と、地元の後押し(ファンブースト)を受ける室屋選手で好勝負が予想されました。先に室屋選手が1分4秒610と素晴らしいタイムを叩き出すと、ドルダラー選手も最初の途中計時で0秒296上回るペースで飛行。しかしゲート8通過後の180度ターン「千葉コーナー」で痛恨のオーバーG。DNFとなり、室屋選手が昨年届かなかったファイナル4に進出。観客が大いに沸きました。
今年の開幕前、年間チャンピオンの最有力候補と目されていたマット・ホール選手。2003年のレッドブル・エアレース創設当時から参戦し、年間チャンピオンの経験もある古豪チャンブリス選手との対決に臨みましたが、最初のバーティカルターン「幕張マニューバ」でオーバーGを記録してDNF。どうもホール選手はツキに見放されているようです。
ラウンド・オブ8で唯一、双方のペナルティやDNFがない真っ向勝負となったヒート11では、今年からチャンピオンメーカー(故マイク・マンゴールドと、ポール・ボノム氏、2人の年間チャンピオンに受け継がれてきたエッジ540V2)を駆るベラルデ選手をソンカ選手が0秒999差で下して勝利。見応えのあるレースでした。
■ファイナル4。室屋選手悲願の初優勝
ナイジェル・ラム選手、室屋義秀選手、カービー・チャンブリス選手、マルティン・ソンカ選手(飛行順)の顔ぶれによって争われた最終決戦のファイナル4。まずはラム選手がマークした1分5秒734を、室屋選手が1分4秒992と再び1分4秒台をマークして暫定トップに立ち、地元での表彰台を確定させます。続いて飛んだチャンブリス選手は途中まで室屋選手をわずかに上回るタイムを記録しますが、180度のハイGターン「千葉コーナー」直後のシケインで遅れ、1分5秒618と届かず暫定2位。室屋選手が、自己ベストである2位以上を確定させました。
表彰台の頂点へ、最後の1段を登れるか否か。最後のソンカ選手がスタート。金曜での綿密なデータ収集の賜物か、また素晴らしいライン取りで途中計時は室屋選手を0秒154上回ります。……しかし千葉コーナー直後のシケインで遅れが。その後のバーティカルターンでもわずかに軌道が膨らみ、差を挽回しきれないまま0秒105差でゴール。
この瞬間、室屋選手の初優勝が決まりました。日本人だけでなく、アジア人としても初の優勝です。観客席だけでなく、メディアセンターに詰めかけた、昨年より倍増している報道陣からも歓喜の声が上がり、大騒ぎになっていました。
■歓喜の記者会見
レース後の記者会見。昨年もラウンド・オブ8敗退ながら「地元のヒーロー」として記者会見に出席していた室屋選手ですが、今回は「優勝者」としての舞台です。報道陣の割れんばかりの拍手の中、会見場に入ってきました。
優勝:室屋義秀選手
「(最も難しいとされる母国開催での優勝を果たしたことについて)地元でセットアップできる反面、多くの注目もあって時間の調整が難しい面もありますけれども、最後マーティン(・ソンカ選手)と0.1秒差だったんですが、それはファンブースト(ファンによる後押し)があったからじゃないかと思います」
ファイナル4のスタート直前、市原沖の待機空域で旋回中、モニターに映ったコクピットの様子を見ると、室屋選手は非常にリラックスしているように見えました。普段の室屋選手の飛行は気合いに溢れ、アグレッシブな印象があったのですが、ファイナル4では非常にスムーズなライン取りで、昨年の覇者であるポール・ボノム選手を思い起こさせるものでした。その点について、後に行われた日本メディア向けの記者会見で伺うと
「それはやっぱり、パイロットだけの仕事じゃなくて、チームワーク……機体を福島でこの2週間、新たに改造して、新たなパーツを付けるなど色々やってきた中で、チームのレースエンジニアが『無理しなくていいよ』と言ったんです。『機体が必ず追いつくから信じて。オーバーGの可能性もあるから(無理する必要はない)』と。そういうチーム体制もあって、リラックスして飛べたんじゃないかと思います。無理はしないで、後はもう機体は加速するだろうと信じて飛べていたので、それがいい結果に出ていたんだと思います」
2位:マルティン・ソンカ選手
「(今年、開幕から2戦は思うような成績を残せていなかったが、この千葉での躍進について)これまでは些細なミス(Something Stupid)で思うような結果を残せなかったけど、トレーニングでのタイムで自分は速いと判っていたし、心配はしていなかった。今回の千葉では、色々試行錯誤したセッティングがハマった感じだ。あとは些細なミス(Stupid Miss)をしないように心がけて飛んだから、この素晴らしい結果につながったんだと思う」
ファイナル4での接戦については
「ヨシとは素晴らしいバトルだったね。カービー(・チャンブリス選手)ともだし、ラウンド・オブ14でのハンネス(・アルヒ選手)とも非常に厳しいレースだった。(ファイナル4での)最後の部分は……後でデータ解析を見てみないと判らないけど、バーティカルターンでのオーバーGを恐れて、ほんの少し操縦桿をゆるめてしまったかもしれない。でも攻めた結果でオーバーGなら(DNFとなり)、この記者会見には自分以外の人がいた訳だからね」
3位:カービー・チャンブリス選手
「(レッドブル・エアレースすべてのシーズンに参加している唯一のパイロットで、2004年・2006年の年間チャンピオン。このところ不調から復活の兆しを見せていることについて)また表彰台(通算27回目)に登れて非常にエキサイティングだよ。周りのすべてに感謝したい。今年はチームメンバーにちょっと変更があった。ご存知の通り、この競技はチームスポーツだから、僕1人でできることじゃなくて、チームのみんなが一緒になってやった結果だと思う。機体の改修も行い、よりスピードを追求している。まだ改良点はあるけど、今年はどんどん頑張っていきたいと思ってる」
この後、10月に控える地元アメリカでの2戦については
「アブダビ、シュピールベルクとドルダラーが速かったけど、地元となればそうはいかないよ。こっちも表彰台の頂点を目指して、より速くなっていくから。まぁ見ててよ(笑み)」
チャレンジャーカップ勝者:クリステャン・ボルトン選手
「千葉という素晴らしいロケーションでのレースに勝つことができてとても嬉しい。シュピールベルクでは思うような結果を出せなかったけど、今日は勝ててハッピーだよ。チャレンジャーカップは同じ機体を使う上、みんな技量に優れたパイロットだし、その中から抜け出すのは容易じゃない。ほんの少しのコース取りや、ミスの有無で勝敗が左右されるから、とても面白いと思うよ。この千葉では、海岸に向かって吹く強い風への対処、そしてゲート7からゲート8へのライン取りが、勝負を分ける要素になったと思う。機体がどうしても流されてしまい、思った通りのラインで飛ぶのを難しくさせていたからね」
2回目の千葉開催は、地元室屋選手の初優勝という、観客にとっては願ってもない結果で幕を下ろしました。これからレッドブル・エアレースは再びヨーロッパへ。次の開催地はレッドブル・エアレースの故郷、ハンガリーのブダペスト。世界遺産の旧市街を流れるドナウ川を舞台に争われます。
(取材:咲村珠樹)