実は秋葉原にはご当地ゆるキャラが住んでいます。しかも業界ではそこそこ名の知れた中堅どころのご当地キャラクターです。新型コロナ以前は秋葉原をよくお散歩していて、既に秋葉原の風景の一部になりつつあるキャラクター。しかし、意外とこのキャラが“なんなのか”、詳しく知っている人は少ない様に思います。

 そこで今回は、謎多きキャラクター「ちょうせい豆乳くん」を居酒屋に招いてインタビューしてみました。

※本稿の取材は2020年9月中旬に実施しています。

 知らない方のために軽く説明しておくと、ちょうせい豆乳くんは“喋れるタイプ”のキャラクターであり、「飲食可能」なキャラクターでもあります。彼の飲食風景が「イリュージョン飲み」と以前話題になっていたので、それも見たいと思い今回あえて居酒屋に招いています。




■ 秋葉原のゆるキャラ「ちょうせい豆乳くん」

 そもそも「ちょうせい豆乳くん」の本名は「トリンドルたかし」といいます。かつて秋葉原にあった「豆乳カフェissa(イッサ)」の元店主「あべひろや」さんがマネージャーを務め、秋葉原を拠点に活動しているキャラクターです。

 ちょうせい豆乳くんは、秋葉原駅近くに自宅を構えているアキバの住人でもあり、2012年の誕生以来、地域の人々に愛されている正真正銘の「秋葉原のゆるキャラ」というべき存在。スナップ撮影中も「ちょうせい豆乳くんだ!」と声をかけられ、地元の方々から握手や写真を求められました。

 現在は新型コロナの関係で自粛していますが、彼のライフワークは秋葉原近辺のおさんぽ。

 また、各種イベント参加や、秋葉原のお店訪問等の活動を精力的に行っています。アキバのメイド喫茶でくつろいでいる様子を見かけることも多く、秋葉原をよく訪れるアキバの民にとって、ちょうせい豆乳くんが秋葉原に居る姿は、もはや普段の光景となっております。

 しかし、オタクと萌えの街になって久しい秋葉原。かわいい系のキャラでもなく、街の特徴を詰め込んだわけでもない「豆乳」のキャラクターが、なぜ秋葉原を中心に活動しているのでしょうか?

 既に「ちょうせい豆乳くん」が秋葉原いることが当たり前の光景になっていた筆者でしたが、よくよく考えてみると断片的なことしか知りません。

 そこで今回、全てを語っていただくために居酒屋にお招きしたわけですが、舞台としたのは以前記事で紹介したことのある「良心的な店 あさひ」(以下、「あさひ」)。さらに秋葉原の事情に詳しい「アキバ日報」の秋宮まいくさんにも同席いただき、「ちょうせい豆乳くん」に色んなあれこれを聞いてみました。

■ 衝撃の「イリュージョン飲み」

 この機会にいろいろ腹を割ったトークができたらとの思いから、個人的に馴染みでもある「あさひ」での取材となりました。

 しかし、三人で乾杯をした後になってから「そもそも『ちょうせい豆乳くん』くんは「あさひ」でモノが食べられるのだろうか?」という疑問が。噂では大丈夫だと聞いていましたが……。どうやって?

秋宮まいくさん「ちょうせい豆乳くんは腕からいろいろ食べられるから大丈夫ですよ。」

筆者「……腕?」


 ウーロン・ハイを握った右手をいきなり引っ込め、ボディの穴にジョッキが吸い込まれていきました。すると中から「ゴクッゴクッ」。え、ええええええ。そんな飲み方するの???これが噂に聞く「イリュージョン飲み」か!

 次に、さらに盛られた焼きそばを箸でつかみ、またまた右腕の穴から「ずぞぞぞぞ」。なんという……。衝撃写真が撮れてしまいました。



 正直、この写真だけで「スクープ写真」の様な気もしますが、今回の目的は「ちょうせい豆乳くん」から楽しいお話を聞くこと。お酒の力も借りてゆるキャラ業界の話、今までの活動の話、事件やトラブルなど聞いてみました。

■ キャラクター業界話

 「ちょうせい豆乳くん」のデビューは、意外と古く2012年7月。ゆるキャラ界には同期と呼べる仲間も多数存在しており、現在でもそのキャラたちとは交流を続けているとのこと。他のキャラクターたちと撮影した写真をスマホ越しにみせていただきましたが……なんだろうこのシチュエーション、居酒屋で会社の取引先と気さくに飲んでるような……。そんなことをふと感じてしまいました。


 さて、話を戻しますが「ちょうせい豆乳くん」はゆるキャラ業界でも異質な存在らしく、キャラクターのセオリーから外れていることも多くあるそうです。ふなっしーや、ねば~る君と同じく、キャラ自らが喋るということもそうですが、その一番の特徴は「フォルムが四角い」こと。

 ほとんどのキャラクターは、愛らしさを出す為に丸みを帯びたシルエットをしています。また、移動が容易な様に、ゆるキャラのサイズは冷蔵庫くらいの大きさに収まる様にとの約束は守ってますが、本当に冷蔵庫から手足が生えた様な四角いシルエットです。

 昔から「四角いキャラは子供に人気が出ない」といわれてたそうですが、ちょうせい豆乳くんはそんな定説をものともせず、子供にも人気があります。

 この辺が人気商売の難しいところ。人気が出るだろうと思って狙って失敗することは多くあります。逆に「なんでこんなものに人気が出てしまったのだろう?」と思う様なことも多く、「実際に走らせてみないと人気が出るかどうかはわからないですね」と、ちょうせい豆乳くんはウーロン・ハイをあおりながら熱く語ってくれました。完全にアフターファイブのサラリーマンだ……。

 また、ちょうせい豆乳くんは「ハリセン」という小道具を手に持っています。これも他のキャラクターにはあまりみられない特徴。イベント中に落としてしまったり、子供にぶつかってしまうかもしれないのに「ハリセン」という小道具を持っているということは、よほどのこだわりがあるのではないか?

 「屋外に出ると太陽がまぶしくて、日差しを避けるため日傘の代わりにハリセンを持っています!」

 意外と実用的な理由でした。

 ちょうせい豆乳くんのおもしろい話は、まだまだ続きました。

 「ゆるキャラをやっていてびっくりしたことといえば、夜中に急に声をかけられたこと。夜中に帰宅しようと歩いていたら、急にテレビ局の人に声をかけられたことがありました。『家、ついて行ってイイですか』という番組だったんですが、テレビに紹介されたいと思う反面、家に連れて行ったら脱衣シーン(?)を見せなければならない。テレビ的にはそういう方がオイシイんでしょうが、それを公共の電波に晒すとファンの夢を壊しかねない。チャンスだとは思ったんですが、泣く泣く断りました。それに、早く帰って寝たかった」

 といった話も。

■ さらに業界話は続く

筆者「しかし、人気商売って本当に大変ですね。自分の地元にもご当地キャラがいるんですが、人気があるキャラとそうでないキャラはすぐ差が出ちゃって」

ちょうせい豆乳くん「子供は正直なのですぐ行動に出ます。その点で、ゆるキャラ業界は本当にごまかしの効かない実力本位の世界。どんなに飾っても、人の集まり具合によって一瞬で優劣の差がわかってしまう厳しい業界ですよ」

 こう語りながらつまみをつつく、ちょうせい豆乳くん。相変わらずのイリュージョン食いです。最初は驚いたけど、そろそろこの光景も慣れてきました。

 ウーロン・ハイを再びあおりながら、ちょうせい豆乳くんからは次にこんな話も。

ちょうせい豆乳くん「ただ自分は運よくある程度の人気が出て、同期と呼べるような仲間にも出会えて本当に幸せです」

筆者「その辺はサラリーマンとかとホント変わらないんですね。同期がいるって心強い気持ちはわかります」

 そしてさらに話食べれれるのだろうかは、自然な流れで「不満なこと」という話題へ。

ちょうせい豆乳くん「現状、とくに不満といえば顔を新調したいなと思うくらいですかね?これ絶対に内緒ですけど、この顔は100均で買った紙粘土なので、何度も鼻が折れてしまってその度に作り直すんですよ。お金がたまったらFRPとかで壊れない顔が作れたらいいなと思ってはいるのですが、なんか作ると高いらしくて……」

 切実すぎ!

 と、ここまで様々なお話を伺う中で、少し気づいたことがありました。

筆者「そういえば、いままでいくつかのメディアに紹介されたことはあっても、詳しい歴史については公式HPにも詳しくはまとめられていないですね。」

 このことに触れた時、ちょうせい豆乳くんは少し戸惑った様な仕草を見せましたが、やがてぽつりぽつりと自分のことを語ってくれました。

■ ちょうせい豆乳くん誕生物語

 この件について、どの様にまとめるか悩みましたが、皆さんに「ちょうせい豆乳くん」のことを知ってもらうにはとても大切なことだと感じ、「ちょうせい豆乳くん」の誕生秘話から解説していきたいと思います。

 これは「ちょうせい豆乳くん」と、マネージャーの「あべひろや」さんの壮大な物語です。

 料理が好きだった「あべひろや」さんは、自分の店を持つことを考えていました。「あべひろや」さんが選んだのは「カフェ」という業態。

 最初に出店を考えたのは人形町。オフィス街でもある人形町は多くのカフェが並ぶ街でもあり、お店を出すには理想的でした。しかし、なかなか条件に見合う物件がなく、物件を探すうちに北へ北へと移動。最終的に秋葉原に店を構えることになります。

 それが2004年に22歳で出店したカフェ「issa(イッサ)」です。当初は「日本茶を楽しめるカフェ」としてオープンします。

 実は筆者と「あべひろや」さんは同い年。この頃(2004年)のことは非常に印象に残っております。

 当時はバブル崩壊からの就職氷河期(1994~2004年)で、将来の見通しがとても暗い時代でした。企業や店舗での新卒採用は大変厳しく、大学を出ても就職先がほぼ見つからないという状況。学校を出ても就職先がなく、就職浪人をするか、借金を背負ってでも起業をするかという選択を迫られた人が大勢いました。

 さて「日本茶を売り」にしたカフェ「issa(イッサ)」ですが、当初はまったくお客さんが来なかったそうです。この頃は何度も閉業を考えたそうですが、雑穀やらなにやら試行錯誤を繰り返していた中で「豆乳メニューを多く取り入れたところ、業績が一気に回復して窮地を脱した」とのことです。

 折しも世間はイソフラボン人気による「第2次豆乳ブーム」。豆乳メニューで成功したお店は、豆乳ドリンクを提供する豆乳カフェへとスタイルを変え、営業していくことになります。

■ ちょうせい豆乳くん誕生!

 こうして豆乳ドリンクの成功で秋葉原の人気カフェの店主になった「あべひろや」さんですが、秋葉原で長く店を続けているうちに「豆乳業界と秋葉原に恩返しがしたい」と思うようになったそうです。

 そして考えたのがゆるキャラによる地域貢献。2012年にオリジナルキャラクター「ちょうせい豆乳くん」を考案。ちょうせい豆乳くんの体を制作し、魂の人を探しました。店主である「あべひろや」さんは「ちょうせい豆乳くん」のマネージャーとなります。


 この頃(2012年)のことを振り返ってみますと、前年の2011年3月に「東日本大震災」があったものの、2011年11月には「第一回ゆるキャラGP」が開催され「くまモン」が第一回のグランプリに輝きます。

 暗い話題が多かったこの年に、ゆるキャラという存在が人々に明るい話題を提供した時期でもあります。

 しかしゆるキャラをはじめたいと思ったものの、どのように活動をはじめたらよいのかわからない。そもそも個人でゆるキャラをやろうなんて思う人も少ない時期です。

 そこでマネージャーの「あべひろや」さんはまず、ちょうせい豆乳くんの体を作って「豆乳をアピールするキャラを作った」と日本豆乳協会に持ちかけました。そして、予想に反して簡単に公認がもらえたのです。こうして「ちょうせい豆乳くん」は、日本豆乳協会公式マスコットキャラクターになることが決定します。

 2012年7月11日、日本豆乳協会公認任命式が行われ、日本豆乳協会公式マスコットキャラクターとして正式にデビューすることになります。マネージャーの「あべひろや」さんが作詞した「とうにゅうの歌」も、この任命式で披露されました。

 日本豆乳協会の認定を受けてのキャラデビュー。しかし、これが「ちょうせい豆乳くん」の苦難のはじまりでもありました。

■ キャラクター業界のジャンル分け

 実は、ゆるキャラ業界にはジャンルによる棲み分けが大きく3つあります。

(1)自治体や公的団体の公式(公認)キャラクター
地域の宣伝を目的に自治体が運営するか、公的団体の推薦を受けて活動しているキャラクター

(2)企業や団体の公式(公認)キャラクター
企業による自社のイメージ向上、商品のPRを目的に活動するキャラクター

(3)個人運営キャラクター
個人(もしくは有志で)運営で活動しているキャラクター

 「ちょうせい豆乳くん」は日本豆乳協会公式キャラクターになったことで、世間的には「(2)企業や団体の公式(公認)キャラクター」という位置付けになってしまいました。

 実はこの3つの内、ある意味活動するのに一番厳しいのは「(2)企業や団体の公式(公認)キャラクター」なのかもしれません。なぜならば、企業公式キャラはメディアに露出するだけでその企業の広告となってしまう為、ゆるキャライベントでも扱いが慎重になり、出場枠にも制限ができてしまうことが多いからです。

 実際に、「(2)企業や団体の公式(公認)キャラクター」であることを理由にイベント参加を断られたこともありました。

 これが本物の「企業公式キャラクター」であれば企業から支援や給金が出るので安泰ですが、「ちょうせい豆乳くん」は公認をもらっただけで特に日本豆乳協会から支援を受けているわけではありません。

 実体は「(3)個人運営キャラクター」でほぼ自腹の活動なのに、世間的には「(2)企業や団体の公式(公認)キャラクター」の制限を受けることになってしまったわけです。千葉県船橋市の非公認ご当地キャラクター「ふなっしー」が船橋市の公認を得られなかったおかげで、自由な活動ができたことと真逆の関係といえるでしょう。

 この様に、活動に制約が多いものの、「あべひろや」さんは平日は豆乳カフェissa(イッサ)の店主、土日はちょうせい豆乳くんのマネージャーとして二足の草鞋を履き、二人三脚でご当地キャラクターイベントにも積極的に参加していくことになります。

■ 二代目ちょうせい豆乳くん!

 そして秋葉原のゆるキャラとして2年ほど活動した頃、インターネット上でひとつのできごとが話題になりました。それが「ちょうせい豆乳くん売却事件」です。

 2014年7月頃に、ゆるキャラの仲間たちや関わりのあった声優さんらが寄せ書きしたちょうせい豆乳くんの体が、オークションサイトに出品されていると話題になったのです。

 理由は「新しいちょうせい豆乳くんの体を作って二代目になる」「オークションのお金は東日本大震災の復興支援にしてもらいたい」ということだったのですが、実はちょうせい豆乳くんの「魂も2014年2月から二代目に代わっていた」のだという衝撃の事実を教えてくれました。

 「何ゆえ、魂の代替わりとなったのでしょうか?」という筆者の問いに対して、ちょうせい豆乳くんは「方向性の違いで……」としか答えてくれませんでした。

 しかしこうして新しい魂が二代目ちょうせい豆乳くんとして転生し、肉体派のゆるキャラとして活躍の場をさらに広げていくこととなります。

 ゆるキャラの体でのハーフマラソン挑戦や、ご当地キャラクターの運動会イベントに参加しはじめたのも二代目になってから。運動会イベントでの対決などでは、何度も勝利したのだとちょうせい豆乳くんは力こぶを作って見せてくれました。

 こうした経験を重ね、最初は「危険なことはイヤ」というスタンスでしたが、だんだんと「いろいろやってみたい」という風になり、今では「死なない程度だったら何でもやります」という心境に変わっていったそうです。

■ 三代目誕生と名跡返上騒動

 しかし、こうして二代目ちょうせい豆乳くんとして4年ほど活躍を続けてきましたが、ここで「二代目の魂」と「マネージャー」に心境の変化が訪れます。

 「自分たちが本当にやりたかったのは何だったんだろうか?体力的にもキツくなってきたことだし、本業であるカフェに専念するべきなのではないか?」

 そう思った二代目ちょうせい豆乳くんとマネージャーの「あべひろや」さんは、密かに自分たちの後継者を探し始めました。つまり、三代目ちょうせい豆乳くんの魂探しです。

 書類選考と面接を経て、この人ならばと思える人物を見つけた彼らは、ちょうせい豆乳くんを三代目に譲ることを決意します。また、ちょうせい豆乳くんの体と名跡をただ譲るだけではなく、立派な三代目になるまでは見守りも必要であろうと考えました。

 三代目のために、以前作ってほったらかしにしていた「むちょうせい豆乳くん」をサポート役として復活させることにします。

 こうして「あべひろや」さんはマネージャーを引退。サポート役として二代目「ちょうせい豆乳くん」の魂は二代目「むちょうせい豆乳くん」転生。しばらく三代目「ちょうせい豆乳くん」と二代目「むちょうせい豆乳くん」の「ダブル豆乳くん」体制でやっていくことを決めます。

 自身も豆乳と決別するという決意のもと、2018年4月に「豆乳カフェissa(イッサ)」も「ハンバーグダイニングissa(イッサ)」と店名を変えました。

 しかしここで誤算が起きます。面接ではとても意欲的だった三代目ちょうせい豆乳くんですが、三代目襲名披露した後、イベントに少し参加しただけでまったく活動してくれなかったのです。ライフワークである秋葉原のお散歩も行わなくなり、仕方なく二代目むちょうせい豆乳くんが代わりにお散歩をするという日々が続きます。

 こうして、秋葉原のお散歩も行わず、イベントにも出ない。サポート役のはずのむちょうせい豆乳くんばかりが活動するという状況が続きました。

 「彼もいろいろ忙しいのだろう。いずれ秋葉原のお散歩も始め、イベントにも参加してくれる」

 マネージャーの「あべひろや」さんはそう考え、二代目むちょうせい豆乳くんは秋葉原をお散歩し、イベントに参加しつづけました。しかし、三代目が活動を始める兆しは一向にみられません。元マネージャーの「あべひろや」さんは「やはり、ちょうせい豆乳くんを任せられるのは二代目ちょうせい豆乳くんしかいないのか……」と考える様になります。

 しかし、自分の体力的に「店」と「ゆるキャラのマネージャー」の両方は続けられない。そう考えた「あべひろや」さんは選択を迫られ……まさかの「ゆるキャラのマネージャー」の道を選びました。

 2019年4月27日「ハンバーグダイニングissa(イッサ)」を閉店。

 三代目に名跡を返上させ、二代目の魂を呼び戻し、再び「ちょうせい豆乳くん」のマネージャーとしてやっていく決意を固めたのです。

■ そして、新型コロナの猛威

 こうして2019年4月、四代目(二代目)ちょうせい豆乳くんが誕生しました。

 一見、我々には無謀な挑戦にも感じられますが、ちょうせい豆乳くんは7年にもわたる活動を経て、ゆるキャラ業界ではそこそこ名の知れた中堅芸人……いや、中堅ゆるキャラとなっていました。

 ゆるキャラという存在も世間に浸透してきたし、イベントに呼ばれ続ければ自分一人(と魂)ならなんとか生きていける。そう考えての決断だったそうです。

 そして、四代目(二代目)ちょうせい豆乳くん誕生から半年……新型コロナが猛威を振るい、日本中の各種イベントが自粛となり、ちょうせい豆乳くんたち収入の道は閉ざされました。

 かつての「あべひろや」さんの店、「ハンバーグダイニングissa(イッサ)」の跡地には、もう別のテナントが入っています。

 しかし、ちょうせい豆乳くんたちは転んでもただでは倒れません。店がなくなり、暇だけはあるちょうせい豆乳くんは、現在「17LIVE(イチナナ)」というライブ配信アプリを使い、四代目(二代目)ちょうせい豆乳くんの宣伝をしつつ、投げ銭でなんとか食いつないでいます。

 そうしてマネージャーの「あべひろや」さんは新型コロナが収まり、各種イベントが再開されるのを待っている状況です。

 最後に、今後の意気込みを伺いました。

ちょうせい豆乳くん「死なない程度だったら何でもやります!仕事をください!」

 そうして取材を終えると、ちょうせい豆乳くんは「あさひ」の店頭にあるメダカすくいをして……。

ちょうせい豆乳くん「メダカ好きなんだよー」

 とポツリ。最近、癒やしが欲しくて自宅でもメダカを飼っているんだと嬉しそうに語りました。

 そうしてちょうせい豆乳くんはメダカの入った袋を手に、秋葉原の街に消えて行きました。

 マネージャーとともに、四代目(二代目)ちょうせい豆乳くんが再び秋葉原で活動してくれる日は近いでしょう。筆者を含め、アキバの民はちょうせい豆乳くんの帰還を心待ちにしております!

<取材協力>
良心的な店 あさひ
ちょうせい豆乳くん

(和泉宗吾)