毎度つかみのネタに苦心しております「無所可用、安所困苦哉」でございます。つかみが書ければその回のネタは書けたようなものにございます。
そんなところにくるしみながら書かせていただきます今回は、第22回目でご紹介した標津線の、標茶方面へ出る路線のお話です。
まずは、次のGoogle Earthをごらんください。
この写真の左下に、道道830号のマークがあります。そこから左上に向かって、帯状の林が続いています。実はこれが標津線の線路跡を示す、鉄道防風林です。
この写真は、これからお話する、旧泉川駅~旧光進駅間とおぼしき場所です。廃線後、転用がされなかったので、このようにはっきりわかる状態で残っているようです。
同じ標津線でも、標茶口はちょっとだけにぎやかでした。まず、標茶にはかつて機関区がありました。蒸気機関車が配置され、ターンテーブルもあったようです。その後ディーゼル機関車が配置されます。旅客列車では標茶から釧網本線に直通し釧路まで運転する列車が設定されていました。普通列車だけでなく、急行列車もありました。標津線の「本線」であったのです。
やがて、標茶機関区は標津線の貨物扱い廃止とともに消滅します。JR化により急行もなくなります。それでも廃止まで釧路直通列車が走り、釧網本線の列車が1輌なのに廃止予定の標津線が3輌という珍列車もありました。
バスにするのか鉄道で残すのか、標津線はずいぶん議論されたようですが、中標津、根室標津、その奥の羅臼などは釧路から直通バスが通っており、わざわざ標茶を経由する必要性は乏しく、結局廃止・バス転換へと至ります。
そんな廃止の決まった秋、標津線へやってきました。今回も空路千歳でしたが道内は札幌~網走~標茶という大周りで到着です。
しかし欲張って大回りをしたため、残念ながら走行写真を撮っている時間はありませんでした。そこで、標津線標茶口でも知られたスポットである、泉川~光進(こうしん)間を歩くことにしました。
泉川駅で列車を降りると、車掌さんが「どこ行くの?」と声をかけてきました。そう、このあたり、駅前には人家がなく、普通、降りる人はいません。
「光進まで歩こうと思って」と答えると「そうか~、気をつけなよ。」ここで「気をつけなよ。」に反応しました。ワタシはやや緊張して聞きました。「もしかして……クマ、出ますか?」
しかし答えは「いやぁ、クマは大丈夫だと思うよ」とのこと。続けて「でもね、シカがいっぱいだからさ。」ホッ。シカでしたら大丈夫でしょう。ちなみに次の列車は3時間後。注意すべきは列車ではなく野生動物なのです。
根室標津へと向かう、乗ってきた列車を撮影しながら見送ると、光進へ向けて歩き出しました。
駅間はおよそ5km。この区間、両脇は前出のGoogle earthの通り、防風林にかこまれており、道路からも離れています。たまに風が渡るのとカラ類の鳥の声がするくらいで、非常に静かです。
ほぼ半分を歩いたところで、その「スポット」に着きました。
線路が下り勾配になり、坂を下ります。下りきると再び登りになり、登りきった所に光進駅が見えています。
もうちょっと進むと、谷底へ降りて行ってまた登る線形がよくわかります。
新幹線はもちろん、後年建設された路線であれば、こういう場合はコンクリート橋でも作って、高さを揃えた線形にするでしょう。そのほうが運転面でも効率が良いです。しかし、歴史の古い標津線では、当時の技術的限界と予算的限界のおそらく両面から、地形に逆らわない線形を取ったのでしょう。ほぼ直線の区間で、自然の地形通りに一旦下って再び登ってくる光景は、そう多く見られるものではありません。
この区間の乗り心地を、「ジェットコースターのよう」と表現した本もありますが、実際にはスピードがそれほど出ないこともあり、ただ乗っているだけではなかなか気づかないのではないかと思います。
シカにもキツネにも、もちろんクマに会うこともなく、谷底まで降り、再び登った地点にある光進駅に着きました。いかにも簡易的な1輌分のホームが1面あるだけの小さな駅。駅前には何も無く(というか駅前ってどこ?状態)、未舗装の道が一本あるきりです。
こんな小さな駅でも、時刻表には立派に「駅」として掲載されています。
周辺は牧場を主とする農家ですが、1軒あたりの規模が大きく、見渡しても2~3軒しか見当たりません。少し歩いてみると、ある牧場の敷地には複数の自家用車やトラックが停められており、光進駅を利用しそうな感じはしませんでした。
帰路となる釧路行きは3輌編成、1輌分しかない光進駅のホームからははみ出して停車します。降車客はなく、乗車したのは私一人だけでした。
あれからずいぶんたって、中標津~標茶間の標津線代行バスに乗車しました。計根別、西春別と標津線の駅を辿って行きます。バスは既存の道路を走っており、駅のあったところへ寄り道寄り道という感じでした。光進、泉川というバス停留所もありましたが、かつての鉄道の駅との位置関係はわかりませんでした。元々、泉川~光進間は道路から離れていたこともあり、この区間の線路跡は原野に戻っているようです。
■ライター紹介
【エドガー】
鉄道、萩尾望都作品、ポール・スミス、爬虫類から長門有希と興味あるものはどこまでも探求し、脳みその無駄遣いを楽しむ一市民。そのやたら数だけは豊富な脳みその無駄遣いの成果をご披露させていただきます。