2014年12月26日、神奈川県の海上自衛隊厚木航空基地に所在する、第61航空隊のYS-11M/M-Aが引退しました。本稿では引退に先だち、YS-11の任務飛行に最後の報道機関として同乗する機会を得ました。海上自衛隊のYS-11、引退直前に行った同乗取材レポをお届けします。

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戦後初の国産旅客機であるYS-11は、空中衝突防止装置(TCAS)の義務付けにより、2006年に日本の民間航空会社や国土交通省航空局から、そして老朽化によって2011年に海上保安庁から引退しました。海上自衛隊でも、2011年に第205教育航空隊(千葉県・下総航空基地)のYS-11T/T-Aがすでに退役していましたが、今回の第61航空隊のYS-11M/M-Aが退役したことにより、1967(昭和42)年から47年に渡って運用し続けてきたYS-11の姿が、ついに消えてしまったのです。

第61航空隊は、神奈川県の厚木航空基地を拠点に、海上自衛隊の航空基地を結んで、物資・人員の航空輸送を担当しています。各航空基地からは、また別の手段で各基地へと配送される仕組みとなっています。使用する機材はYS-11M/M-Aの他、小型のプロペラ機LC-90があり、運ぶ物資・人員の量によって使い分けられます。

朝。自衛隊における課業(一般企業でいうところの業務)の開始時間は原則8時ですが、それより早い時間から飛行前点検(プリフライトチェック)が行われています。整備員による点検の他、パイロットも機内外点検を実施し、機体の整備状態をチェックします。

飛行前点検

飛行前点検


パイロットによる点検

パイロットによる点検

第61航空隊で運用しているYS-11は、9041・9042・9043号機の3機です。9041号機はYS-11M、9042・9043号機はYS-11M-Aと型番が違い、基本性能の違いがありますが、特に区別なく使用しているとのこと。かつてはYS-11M-Aの9044(YS-11の最終製造番号機)号機を含めた4機体制で運用していました。垂直尾翼にはラクダのマークに、コールサイン(無線呼び出し符号)でもある「Caravan(隊商)」の文字が塗装されています。海上自衛隊機では最後まで残った部隊マーク記載機でもあります。

垂直尾翼のラクダマーク

垂直尾翼のラクダマーク

YS-11M/M-A輸送機は、人員と貨物を運ぶ貨客混載型であり、旅客でなく、自衛隊員の「人員輸送」に供される為に「輸送機」の名称が使われます。キャビンには旅客機と同じ座席が並び、後部に貨物搭載スペースがあります。この為、機体後部には大きなカーゴドアが装備されています。既に貨物は積み込まれていて、荷札を見ると八戸だけでなく、それより北の大湊(青森県)や北海道へ送る物もあります。

キャビン後部の貨物搭載区画

キャビン後部の貨物搭載区画

飛行任務にかかわる全員が集合してブリーフィングが始まります。当日の気象状況、航路に関する航空情報を共有し、任務遂行上の留意点が説明されます。パイロットの皆さんはほとんどが3佐以上という、他の飛行隊では見られない豪華な顔ぶれであり、飛行時間も5000時間を超える熟練者がズラリと、空を知り尽くした面々が揃っています。

気象状況の説明

気象状況の説明


任務遂行の留意点が説明される

任務遂行の留意点が説明される

同乗するのは、拠点である厚木航空基地から千葉県の下総航空基地を経由し、青森県の八戸航空基地までを往復する、「八戸定期」。この厚木~下総の区間を往復することになりました。この他にも、徳島や山口県の岩国を経由して沖縄県の那覇を往復する「沖縄定期」、硫黄島を経由して日本最東端である南鳥島(マーカス)を往復する「小笠原定期」などがあります。

今回搭乗することになったのは9041号機です。1967(昭和42)年に導入された製造番号2033(通算33号機)で、海上自衛隊全体でも現役最古参の機体です。YS-11の初期生産型なので、翼の前縁にある防氷装置(翼に氷が付着し、翼の性能が低下するのを防ぐ装置)がヒーター式になっており、後期生産型に採用されたゴムブーツ式(圧縮空気で膨らまし氷を落とす)と違って翼の前が黒くないのが外見上の特徴です。

YS-11M9041号機

YS-11M9041号機

モニターが並ぶ現代のグラスコクピット機とは違い、アナログの計器が並ぶコクピットです。真ん中にエンジン関係の計器があり、高度計や速度計、姿勢表示器など操縦に関係する計器は、それぞれ左右の操縦席の前に配置されています。操縦輪には製造メーカーである、懐かしいNAMC(日本航空機製造)のマークがあります。

YS-11Mのコクピット

YS-11Mのコクピット

YS-11M/M-Aには、地上での電源やエンジン始動用の圧縮空気を供給するAPUがありません。そのため、地上では電源車を必要とします。

YS-11は電源車を必要とする

YS-11は電源車を必要とする

下総や八戸に移動する隊員の手荷物も、機体後部の貨物搭載スペースに積み込まれます。民間の航空会社ではカウンターで預けてしまいますが、こちらでは乗る本人が直接機体まで持っていきます。荷物を積み込むと、整列して搭乗します。

手荷物を預ける隊員

手荷物を預ける隊員


整列して搭乗

整列して搭乗

機内の様子は、民間航空会社で運用されていたものとあまり変わりがありません。禁煙やベルト着用のサインもあります。

ベルト着用サイン

ベルト着用サイン

YS名物といえるのが、「うちわ」です。日本の民間航空会社でも機内サービスの一つとして装備されていたものです。先述のように、地上で電源供給するAPUがないため、YS-11はエンジンが始動するまでエアコンが使えません。夏は機内が暑くなるので、うちわで各自あおいでもらう……という訳です。かつてYS-11に乗った方には、懐かしいグッズですね。第61航空隊オリジナルで、表面はラクダマーク、裏面には路線図と注意事項が記載されています。

うちわ表面

うちわ表面


うちわ表面

うちわ表面

飛行中は独特の金属的なエンジン音「ダートサウンド」が響きます。隊員も機内で思い思いの時間を過ごす訳ですが、これは民間航空機と変わりません。うちわを使ってる人もいます。

回るダートエンジン

回るダートエンジン


下総への機内の様子

下総への機内の様子

神奈川県にある厚木航空基地から千葉県の下総航空基地へ向かうには、東京湾を突っ切るのが最短距離なのですが、この空域は途中に羽田の東京国際空港があります。離発着する機体が多く、日本で一番混み合う空域です。海上自衛隊のYS-11はそこを避けるように、俗に「横田空域」と呼ばれる民間機が殆ど利用しない米軍管制下の空域を飛んで行きます。ちょうど列車が混み合う都心を迂回する貨物線として計画されたJR武蔵野線みたいな感じです。そのルートのお陰で、機窓からは富士山の姿も。

富士山(右奥)が見える

富士山(右奥)が見える

飛行中のコクピットは、操縦士・副操縦士の他、機上整備員(FE)も乗務するので、かなり窮屈な印象があります。自動操縦装置がついていいるので、積極的に操縦桿やスロットルレバーを動かすことはありませんが、絶えず周囲を確認し、計器をチェックします。

飛行中のコクピット

飛行中のコクピット

30分ほどのフライトを終えて、下総航空基地に到着しました。搭乗員や八戸まで搭乗する隊員も一旦降機し、搭乗員は最新の気象情報や航空情報を確認します。その間、航空機から点検、給油と貨物の積み降ろしをします。下総航空基地には海上自衛隊の「物流センター」である航空補給処の下総支処もあるので、また様々なものが積み込まれます。

下総での貨物積み降ろし

下総での貨物積み降ろし

給油と貨物の積み降ろしが終わると、再び搭乗が開始され、着陸から30分ほどで八戸に向けて慌ただしく出発していきます。操縦士と副操縦士のペアは、区間ごとに操縦の担当を交代します。

八戸へと出発

八戸へと出発

八戸では同じく飛行機の点検・給油、荷物の積み降ろしをします。パイロット達は帰りの天候確認の他、食事をとります。これも30分ほどで出発となるので、慌ただしいですね。このため、14時前には下総へと戻ってきます。

八戸から下総へ戻ってきた

八戸から下総へ戻ってきた

下総から厚木に向かう機内には、人は少なめでした。しかし後部の貨物搭載区画はいっぱいであり、貨物はコンテナではなく、段ボールのバラ積み(バルク)なので、量の多さが一目で判ります。

厚木へ向かう機内は貨物がいっぱい

厚木へ向かう機内は貨物がいっぱい

YS-11が飛ぶのは、民間のジェット旅客機が飛ぶ半分以下という低い高度なので、調布飛行場と味の素スタジアムなど、地上の様子がよく見えます。巡航速度も時速300~400kmという、ジェット機では味わえないゆったりとした飛行です。

調布飛行場と味の素スタジアム

調布飛行場と味の素スタジアム

あっという間に厚木航空基地へ到着しました。搭載した貨物が次々と降ろされます。厚木止まりの貨物の他、この後別の場所に輸送されるものもあります。

開く後部カーゴドア

開く後部カーゴドア


貨物を降ろしていく

貨物を降ろしていく

我々は降機して終わりですが、この後は飛行後の点検整備が待っています。9041号機でいえば、47年に渡って日本の空を飛び続けてきた機体であり、ずっと維持してきた第61航空隊の皆さんの努力に頭が下がります。

(取材・文責:咲村珠樹/取材サポート:伊藤真広)