5月26日の予選・27日の決勝合わせて約7万人(主催者発表)の観客を集めた、レッドブル・エアレース2018第3戦千葉大会。地元期待の2017年ワールドチャンピオン、室屋義秀選手は決勝初戦のラウンド・オブ14で、スタート直後の縦のターン(VTM)で12.41Gを記録してしまい、オーバーGの規定によりDNF(ゴールせず)となりました。優勝したのは、このラウンド・オブ14で室屋選手と対戦したオーストラリアのマット・ホール選手。カンヌ大会に続く連勝で、年間ポイントランキングでもトップに立ちました。室屋選手はなぜオーバーGでDNFになってしまったのか。ここで私見を述べておこうと思います。
■「スモールテイル」は何をもたらすか
室屋選手は千葉大会直前、垂直尾翼を変更し、小さい垂直尾翼(スモールテイル)を千葉大会で導入することを発表しました。すでにエッジ540の生みの親、カービー・チャンブリス選手が導入し、一定の成果を上げているアプローチです。垂直尾翼を小型化すると、正面からの空気抵抗が減り、スピードのノリが良くなるとされます。また、垂直尾翼の重量も軽くなります。
しかし、垂直尾翼は「垂直安定板」という名称からも判る通り、気流により機首が左右にブレるのを防ぎ、飛行機が安定して直進できるようにする重要な部品でもあります。また、機首を左右に向ける方向舵(ラダー)の面積が減るので、舵の効きが悪くなるというデメリットもあります。
方向舵は、特にシケインで機体をまっすぐ飛ばすために重要です。方向舵で姿勢を安定させることで、上下動なくシケインを安定して通過できるという訳です。シケインで上下動があると、その分速度や運動エネルギーを失ってしまいます。千葉大会のレーストラックでいうと、最初のシケインでは稲毛側の横のターンに向かうゲート6、ゲート7へのラインを最適な形で飛ぶためのセットアップに大きな影響を及ぼします。そして2回目のシケインでは、運動エネルギーを失うことで、その後の縦のターン(VTM)で失速する恐れがあり、その分タイムが余計にかかってしまうのです。
室屋選手もこのデメリットについてはよく認識しており、24日に行われた記者会見で、筆者の問いに
「シケインなどで神経を使うようになったが、その部分も十分に習熟してきたので大丈夫だと思います」
と答えていました。垂直尾翼を小さくしたことで、左右方向の安定性が悪くなり、方向舵の効きも悪くなるので、操縦感覚にも大きな変化が起こると予想したのですが、室屋選手の言によると、その心配はない、ということだったのです。
■操縦感覚の変化に対応することの難しさ
パイロット、特にレッドブル・エアレースに参戦している優秀なエアロバティックパイロットになると、思い通りに飛行機を操れる反面、ほんの小さな違いにも気がつくようになります。その小さな差が、正確に飛行機を操れるかどうかの感覚に直結しているのです。このため、特に尾翼など操縦に直結する部分に変化があった場合、その違いはパイロットに「違和感」として伝わります。
いくつかの例をあげましょう。2014年のワールドチャンピオン、ナイジェル・ラム氏は翌2015年半ば、操縦桿の反応を良くするために水平尾翼の昇降舵を小さくする改修を行いました。2016年にそのことについてインタビューした際、ラム氏は次のように語りました。
「操縦桿にかかる重さを軽くして、操作をしやすくしようとしたんだけども、それはかえってバランスを崩す結果になってしまったんだ。操縦桿を操作していった時、ある種の『違和感』を覚えるようになってしまって、逆にその感覚の違いが気になって、操縦のリズムも崩してしまった。結局2015年シーズンの最後の方に、昇降舵を元の大きさに戻して、ワールドチャンピオンを獲得した2014年と同じ状態に戻したんだ。機体を速くするために改良するのは大事なことだけど、やはり操縦した際に違和感がないのが一番だよ」
また、マット・ホール選手は2018年の開幕戦、アブダビ大会で操縦感覚の変化に苦しんでいました。
「水平尾翼の塗装デザイン変更で、尾翼がわずかに重くなってしまい、特に縦のターンをする際に感覚が変わってしまって、そのことに神経を使いながら飛んでいたんだ。アブダビからカンヌまでの間に、機体の重心位置など、機体のバランスを調整して、ようやくシックリいくようになった。そのお陰で、カンヌでは攻めて飛べるようになり、結果として優勝することができたんだ」
塗装のデザイン変更での重量増加分というのは、おそらく1グラムあるかないかの違いだと思います。それでも、ホール選手は重さの違いを「違和感」として感じ取り、全力で飛ぶことを妨げられたようなのです。
2018年千葉大会決勝の朝、NHKで解説を務める能勢雄一さんとマイケル・グーリアン選手に話を聞いている際、グーリアン選手は次のような興味深い話をしてくれました。
「僕はエアショウでエクストラ300SCを使っているんだけど、レッドブル・エアレースで使っているエッジ540V2とは操縦の感覚が違うから、その感覚を引きずらないよう、エッジのことは頭からきれいさっぱり忘れるようにしてるんだ。逆に、レッドブル・エアレースの時は、エクストラの感覚を忘れて切り替えるようにしてるんだよ」
能勢さんが「そんなに違うの?」と聞くと、グーリアン選手は大きくうなずき、
「全然違うよ。たとえば、縦のターン(宙返り)をする時で言えば、エクストラは操縦桿を引くとガツン!とすぐに機首が持ち上がる。エッジはそれに比べると、もう少しマイルドにスーッと上がっていく感じなんだ」
おそらくこれも、エアロバティックパイロットではない我々にとっては、ほんのわずかな差かもしれません。それでも、機体を正確に操るグーリアン選手にはこの感覚の違いが大きな差を生むのでしょう。
わずかな差といえば、かつてカービー・チャンブリス選手は縦のターン(VTM)でのオーバーGについて、こう語ってくれたことがあります。
「レースでギリギリを突いている時、オーバーGになるかどうかは、ほんのわずかな差なんだ。小指に力がちょっと入りすぎるだけで、簡単に10Gを超えてしまう。その瞬間に腕の筋肉がこわばったり、ほんの少しアドレナリンが出すぎているだけで、その力加減の調整ができなくなる。だから攻める姿勢は持ちつつも、エキサイトしすぎないようクールでいないといけない。そこが難しいところでもあるけどね」
■尾翼を決勝の日に戻すという「賭け」
予選を終え、室屋選手は小さい垂直尾翼(スモールテイル)から、元の大きさの垂直尾翼に戻して決勝に臨むという「賭け」に出ました。
予選の順位は3位。悪くない結果に思えますが、決勝の初戦であるラウンド・オブ14で対戦することになったのは、予選前のフリープラクティス2でトップタイムをマークしていたマット・ホール選手。フリープラクティスでずっとホール選手の後塵を拝していた室屋選手にとって、僅差の争いを制するには、操縦する際に神経を使うスモールテイルをやめた方が、よりフライトに集中できるということだったのかもしれません。
しかし、2018年の千葉大会では、午前中のトレーニングフライトが設定されていませんでした。つまり室屋選手は、大きさを戻した垂直尾翼の操縦感覚をレーストラックで確認することができないまま、ラウンド・オブ14でホール選手と対戦することになります。
予選でのフライトについて、ホール選手はこの日朝、筆者にこのように語っていました。
「予選は2本飛べるから、いつも半々の感じでアタックするようにしているんだ。1本目はスタートしてからスピードを乗せきることができずに、縦のターン(VTM)の頂点付近でほんのわずか失速してしまったんだ。そこで失ったエネルギーを取り戻すことができずに終わってしまった。そして2本目は同じ過ちを繰り返さないよう、少しプッシュして飛んだ。シケインからゲート6に向かうところで少しラインがずれて、ゲート6でパイロンヒットしてしまったけれど、あれがなければ55秒台が出ていたから、決勝でもそれくらいのタイムで飛べると思っているよ」
その言葉通り、ラウンド・オブ14で室屋選手より先に飛んだホール選手は、結果としてラウンド・オブ14最速となる55秒529のタイムをマークします。室屋選手はこの週末、まだ56秒を切るタイムで飛べていません。
ホール選手のタイムは、レースコントロール用の無線を通じて、上空で待機している室屋選手の耳にも聞こえてきます。レース後の記者会見で「(ホール選手のタイムを聞いて)楽しくなってきた」と語っていましたが、その分アドレナリンが出ていたのかもしれません。
スタートした室屋選手は、シングルパイロンのゲート2をすり抜け、ゲート3から最初の縦のターン(VTM)に入ります。結果として、ここで機体を引き起こした瞬間、12.41Gを記録してしまい、オーバーGでDNF(ゴールせず)という形になってしまいました。室屋選手によれば「12Gを超えるような操作をした感覚はなかった」といいます。
筆者はここで、再び大きくなった垂直尾翼に原因のひとつがあると考えています。垂直尾翼が元の大きさに戻ったことで、小さいスモールテイルよりも尾翼の重量が増しています。もちろん、機体の重心位置はしっかり調整されていたはずですが、それ以外の要素があるような気がするのです。
縦のターンに入る際の操縦を紐解くと、操縦桿を引くことで尾翼が下がり、反対に機首が上がって上昇していきます。シーソーや天秤の動きを思い浮かべると解りやすいのですが、重心位置が調整されていても、同じ力をかけた場合、尾翼の重さが増した分、その動きはわずかに大きくなります。
さらに、垂直尾翼が大きくなった分、小さかった時より空気抵抗が大きいので、それもまた操縦桿を引いた際に尾翼部分が大きく下がる要因になりえます。
どちらも、ほんのわずかの差だと思います。しかし、オーバーGすれすれの飛行をしている時、そのわずかな違いが12Gを超える形になってしまったのではないでしょうか。
垂直尾翼を元の大きさにしてから、レーストラックを飛ぶ機会がなかった室屋選手。スモールテイルからの「操縦感覚の修正」ができないまま、レースに入ってしまったのではないか、と思うのです。
■なぜ筆者は「お詫びを言いたい」と言ったのか
筆者の個人的な見解ですが、2018年シーズン全体を考えた場合、垂直尾翼を小さくした「スモールテイル」のパッケージで戦っていくのであれば、ある意味「捨てる」レースを作って「スモールテイルでの戦い方」を体に覚え込ませた方がいいと思っています。最初にこのスモールテイルを導入したカービー・チャンブリス選手の場合、その感覚をものにするまでに数レースを要していました。
しかし、室屋選手はそうではなく、スモールテイルから元の大きさの垂直尾翼に戻して決勝に臨むという勝負に出ました。なぜでしょう。
ホームレースである「千葉大会」だったからではないか……と筆者は考えています。ワールドチャンピオンが凱旋するホームレース。しかし千葉大会は当初レースカレンダーにはなく、3月になって急遽開催が決定したものでした。シーズン開始前に室屋選手はエンジンカウリングなどの設計を済ませており、おそらく千葉大会が決定する前から、ある程度「投入するタイミング」をスケジュールの中に入れていたのではないかと思うのです。
あくまでも筆者の推測にすぎませんが、すでにある程度決まっていた「機体改修の年間スケジュール」に、ホームレースである千葉大会が飛び込んできたのではないでしょうか。
千葉大会は特別なレースです。室屋選手に対するメディアの注目は大きく、連日ハンガーには多くのメディアが集まり、囲み形式での合同会見が行われます。他のパイロットに対しては自由に単独インタビューや雑談ができるのですが、室屋選手の場合はそうしてしまうと時間がいくらあっても足りません。
筆者は事前の取材で、ある程度室屋選手の談話を聞いているので、予選や決勝の日の朝に行われるハンガー取材では、室屋選手以外のパイロットにインタビューしています。これは、取材スケジュールの都合で、この時初めて室屋選手の談話を取材したいメディアがいるので、細かい質問をしてその機会を邪魔したくないのと、レースを控える室屋選手に対するメディアのプレッシャーを1人分だけでも軽減できれば……という自己満足的な理由があります。
予選の日、そして決勝の日と、その時初めて千葉大会の取材に加わるメディアがいるので、どうしても質問の内容は重なりがちです。そしてレッドブル・エアレースには「ホームタウンの優位性」というものは存在しません。どのパイロットも、その時に設営されるレーストラックを初めて飛ぶため、ホームかどうかよりも「そのレーストラックに向いた機体とパイロット」がものを言います。
2018年千葉大会のトラックは、基本的に2017年のレイアウトと同じものとなりました。このトラックはターンが続くため、常に中程度のGがかかり、速度もそれほど加速できる部分がありません。スピードの伸びが長所である室屋選手の機体にとっては、必ずしも得意なトラックではないのです。
もしスモールテイルから元の大きさの垂直尾翼に戻すのであれば、フリープラクティスで感覚の違いをチェックできる土曜日に行うのがベストだったと思います。室屋選手もギリギリまで決断を迷っていたのかもしれません。結果として、日曜の決勝に大きな垂直尾翼に戻し、ぶっつけ本番で臨むという「賭け」に出て、操縦感覚の微妙な違いを修正できず、オーバーGになってしまったのではないか、と思うのです。
決勝の全レースが終了したのち、上位3人のパイロットの公式記者会見に先立ち、室屋選手単独での記者会見が行われました。そこで筆者は、質問の前に次のような言葉を発しました。
「まず最初に、お詫びを言いたいと思います。ホームレース、母国三連覇ということで、メディアスクラムのような形になってしまったことで、レースに集中できないようなことがあったのではないかと思うのです」
ファンからの声援は力になりますが、メディアからかけられる「期待の言葉」は、それとは違う印象をもたらす場合があります。
我々メディアは、ついキャッチーな言葉として「母国三連覇」というものを記事に書いてしまいます。もちろん、記者会見でもそれに関する質問が出ます。繰り返されるこの言葉に、意識しないまでも「いい勝負をしていかなければ」という雰囲気を作ってしまったのではないか。それが決勝の日になって、垂直尾翼を元に戻すという、いわば「守り」の判断につながったのではないか……と筆者は考えていたのです。
室屋選手は「ありがたいコメントだが……」と言ったのち「モータースポーツですから、メディアの力がないと広がっていかない。こういう状況を含めて背負っていくのがプロだと思います」と語りました。
室屋選手は取材の際、けして後ろ向きな言葉を発することはありません。しかし2017年の千葉大会で母国連覇を達成したのち、ブダペスト、カザンと進むにつれ、メディアなどの対応で忙殺されていた反動が出て、パフォーマンスの低下につながっているという過去があっただけに、筆者は同じことになるのではないか、と危惧していたのです。
結局のところ、室屋選手がオーバーGでDNFとなった原因は不明です。しかし筆者は、短期間で変化した尾翼の「重さ」と、メディアが集中したことによる精神面の「重さ」、この違いに対応しようとして、対応しきれなかったのではないか……と推測しています。
6月23日・24日には早くも第4戦、伝統のブダペスト大会が開催されます。世界遺産であるブダとペストの旧市街を分かつドナウ川を舞台に行われるレースは、例年直線的なレーストラックとなり、スピードに乗ってリズムよく乗り切ることが重要になります。室屋選手のスピードが生きるレイアウトになることが濃厚なので、両端の縦のターン(VTM)に気をつけつつ、気持ちを切り替えて戦ってくれることを祈るばかりです。
(咲村珠樹)