アメリカ海軍は2020年6月13日(現地時間)、2017年6月に伊豆半島沖で民間船舶と衝突し大破した駆逐艦フィッツジェラルドが造船所での修復工事が完了し、戦列に復帰すると発表しました。事故当時は第7艦隊に所属し横須賀を母港としていましたが、第3艦隊に配置換えとなり、カリフォルニア州サンディエゴが新しい母港となります。
アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の12番艦(フライトI)、フィッツジェラルド(DDG-62)は1995年の就役から、一貫して太平洋艦隊に所属しています。2004年、就役以来所属していた第3艦隊から第7艦隊に配置換えとなり、横須賀には同年9月末に到着しました。
横須賀を母港とするようになったフィッツジェラルドは、2011年の東日本大震災ではトモダチ作戦に参加し、東北地方の太平洋側で行方不明者の捜索や救援物資の輸送にも従事しています。また、SM-3ミサイル運用能力を持つ弾道ミサイル防衛対応艦であり、北朝鮮の弾道ミサイル発射でもたびたび出動し、警戒活動にもあたりました。
民間船との衝突事故が起きたのは2017年6月17日未明。伊豆半島の南を航行中、フィリピン船籍のコンテナ船ACXクリスタルと右舷前方が接触する形で激しく衝突し、艦橋構造物のほか、右舷の居住区や通信室、機械室などが大きく損傷、浸水しました。当時右舷前方居住区画の艦長室にいたブライス・ベンソン艦長も負傷しています。
この事故でフィッツジェラルドでは、浸水区画にいた7名の乗組員が死亡しました。事故後の調査でフィッツジェラルド側の見張りが不十分であったことが明らかになり、艦長をはじめ当直士官らが訴追されて軍法会議にかけられています。
大破したフィッツジェラルドは横須賀で応急修理を受け、海軍がチャーターした重量物運搬船トランスシェルフに積載されて本格的な修復工事を実施するべく、アメリカ本国へ戻されました。ミシシッピ州パスカグーラにある、ハンティントン・インガルスのインガルス造船所に到着したフィッッツジェラルドは、2年以上の長期にわたって修復工事が続けられてきたのです。
損傷は船体構造だけでなく、フィッツジェラルドの要であるイージス戦闘システムにも及んでいました。中でも目となるSPY-1レーダーアレイは損傷・変形してしまい、目標探知の精度が低下する恐れもありましたが、無事修復が完了しています。
また、修復作業と同時に戦闘指揮システムや、電機・機械関係のアップグレード工事も同時に施工されています。これは定期的なドック入りの際に実施されるものですが、事故の修復工事によって定期修理のスケジュールが変更されてしまうため、この機会に同時施工したものです。
水上艦艇補修・近代化センターを統括するエリック・ヴァー・ヘイジ少将は「本日“ファイティング・フィッツ”(フィッツジェラルドの愛称)が、我が国で最も有能な戦闘プラットホームの1隻として太平洋艦隊に復帰することは、臨戦態勢に復帰する過程での重要な一歩となりました。フィッツジェラルドの乗組員、海軍のプロジェクトチーム、そしてインガルス造船所の皆さんは、スケジュール通りに船を戦闘可能な状態へ戻すため、大きな力となってくれました」と、修復工事の完了に寄せてコメントしています。
修復工事を終え、各部の試験をクリアしたフィッツジェラルドは、戦列復帰への準備が整いました。フィッツジェラルド艦長のスコット・ウィルバー中佐は「この2年半もの間、連邦政府と企業チームとの強力なチームワークなくして、フィッツジェラルドの修復・改良工事はなしえませんでした。船を仕上げてくださった関係者の皆さんに感謝するとともに、船を任務に復帰させるべくハードな訓練を積み重ねてきた乗組員たちを誇りに思います」とのコメントを発表しています。
船は出港すると閉鎖空間となり、感染症が蔓延すると危険なため、フィッツジェラルドの乗組員は新たな母港となるカリフォルニア州サンディエゴへの回航に先立ち、海軍とアメリカ疾病対策センター(CDC)の新型コロナウイルス感染拡大防止基準に従い、5月23日から隔離状態に置かれました。第3艦隊の第1駆逐隊(DESRON 1)に配置換えされたフィッツジェラルドはサンディエゴ到着後、任務復帰へ向けた訓練に入ります。
<出典・引用>
アメリカ海軍 ニュースリリース
Image:U.S.Navy
(咲村珠樹)