5月7日、アーティストのGACKTさんがX(旧Twitter)にて、週刊誌報道に対する強い不信感と、自身の今後の対応方針を表明しました。
投稿は多くの反響を呼び、改めて芸能人や著名人のプライバシーを巡る報道のあり方に注目が集まっています。
■ 「節操のない記者が嫌い」
GACKTさんの投稿では、ある記事で「GACKTは週刊誌のなんたるかがわかっていない」と評されたことへの反論が綴られています。
記事は週刊誌の存在が“抑止力”になっていると主張していたようですが、GACKTさんはこれに真っ向から異を唱え、「今の週刊誌のあり方が抑止力に繋がるとは到底思えない」と反論。
さらに記事の中に書かれていたという「多少の荒さは記者の業なのだからしょうがない」という言い分を「ただの言い訳に過ぎない」と一蹴。週刊誌記者の「節操のない行動」に対して強い不快感を示し、許可もなく写真や動画を撮り、それを勝手に売り物にするメディアのやり方についても厳しく非難しています。
そして今後は、執拗に追いかけられたり写真を撮られた場合には、自らその記者を撮影し、自身のSNSに投稿すると宣言。
「業として覚悟を持ってやっているならお互い様だよな?」と投げかけ、「むしろちょっと撮られるのが楽しみにもなってきた」と、締めくくっています。
■ 報道された側も反論する場を持つ時代
かつては報道された側が反論する場を持たなかった時代が長く続いていました。しかし、現在ではXやInstagramといったSNSを通じて、本人が直接情報を発信できる環境が整っています。
GACKTさんが明言した「記者を撮り返す」という行為は、記者との対等性を求める“可視化された抗議”といえるでしょう。もちろん、プライバシーの侵害を報復で返す行為の是非は議論の余地があります。
それでも「一方的に晒される側ではいない」という意思表示には、多くの賛同が寄せられています。
■ プライバシーの侵害と報道の自由
一方で、週刊誌の取材が「抑止力」であるという主張には、確かに一理あるという声もあります。不正や隠ぺいを暴く公益性の高い調査報道など、ジャーナリズムとしての価値が発揮される場面においては重要な役割を果たします。
しかし、その“抑止”が行き過ぎた私生活の暴露や執拗な張り込み、無許可の撮影といった形で行われていることもまた事実です。
芸能人は社会的に注目を集める立場である以上、一定の取材を受けるのは避けがたい部分があります。ただ、それは決してプライバシーを無制限に侵してよいという免罪符にはなりません。報道とプライバシー、そのバランスが崩れた時、信頼を失うのはメディアの側です。
GACKTさんの投稿は、メディアによる一方的な取材手法に対する痛烈な抗議であり、同時にその“反撃”が可能な時代に私たちがいることも示しています。
報道とは何か、記者の“業”とは何か。その根本が、今改めて問われています。
某記事に「GACKTは週刊誌のなんたるかがわかっていない」という内容が掲載されていた。
記事によると、週刊誌が抑止力になると。
「今の週刊誌のあり方が抑止力に繋がるとは到底思えない」がボクの意見。…
— GACKT (@GACKT) May 6, 2025
※初出時から、一部表現を変更しました。内容自体には変更ありません。
<参考・引用>
GACKTさん公式X(@GACKT)
(宮崎美和子)