6月22日は1941年、ナチス・ドイツが独ソ不可侵条約を一方的に破棄しソ連領内に侵攻した「バルバロッサ作戦」の開始日。ロシアでは「大祖国戦争」と呼ぶ第二次大戦における独ソ戦の起点として、各地で戦没者を追悼する式典が開催されました。軍もモスクワに完成した連邦軍大聖堂でのミサをはじめ、各地の慰霊碑で戦没者を悼みました。
ヒトラーの「東方生存圏」構想は、過剰なドイツ国民を移住させ、資源や食料を供給するために東ヨーロッパが必要とされたもの。特にロシア地域は、農業に適した土地とドイツにとって必要な石油や鉱物資源が豊富にあるため、喉から手がでるほど欲しい場所でした。
ソ連の強大な国力を恐れて、一旦は1939年に独ソ不可侵条約を締結し、ロシア地域への野心がないことを見せたヒトラーですが、フランスへの電撃的侵攻がうまくいったこともあり、再びソ連の豊富な資源は戦争遂行、そしてドイツの繁栄に不可欠だと考えるようになります。1940年12月にはソ連侵攻の意志を固め、周到な準備をして1941年6月22日に開始したのが「バルバロッサ作戦」。結果的にナチス・ドイツを消耗させて敗戦へと導く独ソ戦(ソ連・ロシア側の名称は「大祖国戦争」)の始まりです。
日本では敗戦(無条件降伏)で第二次世界大戦が終結したこともあり、玉音放送があった8月15日を「終戦の日」として全国的な戦没者慰霊の日としているほか、沖縄では軍の司令部が機能を停止し組織的な戦闘が終わった6月23日を慰霊の日として戦没者を追悼しています。また各地では、大きな空襲などがあった日を慰霊の日としている例も数多くあります。
しかし戦勝国であるロシア(ソ連)の場合、戦争が終結した日は多大な犠牲を払ったものの、勝利を祝う日だという位置づけ。このため戦没者を追悼するのは、戦争が始まった6月22日としているのです。
ロシア軍の各軍管区には、戦没者を追悼する記念碑が建立されています。毎年6月22日には、軍の関係者が花を捧げ、戦争で命を落とした先人を追悼しています。
サンクトペレルブルクでは、ピスカレフスキー記念墓地で戦没者追悼式が行われ、西部軍事管区のアレクサンダー・ズラブレフ司令官が地区の将兵を代表し、大祖国戦争戦没者慰霊碑に花を捧げました。
このほかにも、各地の戦没者慰霊碑において追悼式が開催され、軍や地域の関係者らが花を捧げています。
モスクワには2020年、大祖国戦争勝利75年を記念して、連邦軍大聖堂が作られました。完成したばかりの真新しい聖堂で、戦没者を追悼するミサ「記憶のキャンドル」が行なわれました。
ミサでは司祭により、戦争についての説教も行なわれました。そして司祭は、出席者の持つキャンドルに次々と火を灯します。
ミサが終わると、出席者はキャンドルを手に聖堂を退出し、聖堂から続く「記憶の道」に並ぶ戦没者の名を記した碑に、キャンドルを並べます。戦争で失われた多くの命を象徴する灯火です。
多くの人々の命を奪った戦争。6月22日は、ロシアにとってそれを思い起こさせる日となっています。
<出典・引用>
ロシア国防省 ニュースリリース
Image:ロシア国防省