旧ソ連との冷戦が続いていた1950年代、ソ連からの超音速爆撃機を迎撃するため、カナダが開発していた「世界最強の戦闘機」がありました。

 しかし開発費用が高騰し、試作機が完成したものの政権交代もあって計画は中止。機体は全てスクラップに、関連する資料の多くは廃棄され「幻の戦闘機」となってしまったはずでしたが……この開発計画で使われた飛行試験モデルが湖に眠っていることが判り、捜索・引き揚げプロジェクトが軍の協力も得て進められています。

 超音速戦闘機が登場した1950年代当時、いずれ爆撃機も超音速で飛行するようになると考えられました。将来迫り来るソ連の超音速爆撃機を迎撃するため、西側諸国では速度に優れた超音速迎撃機の開発に迫られており、カナダもその開発を計画しました。それがCF-105「アロー」です。

 イギリスの航空機メーカー、アブロのカナダ子会社であったアブロ・カナダが1953年から開発を始めたCF-105アローは、カナダ初の国産超音速戦闘機(アブロ・カナダの前作、CF-100カナックが降下しながらの音速突破には成功)として設計されました。空軍からの要求項目は、6000フィート(1830m)の滑走路で運用でき、速度は高度7万フィート(2万1000m)でマッハ1.5で巡航できる(この当時は「スーパークルーズ」の概念は存在せず)こと。また迎撃機に必要な性能として、エンジン始動後5分以内に高度5万フィート(1万5240m)まで上昇し、マッハ1.5の速度が出せることや、帰還から10分以内に再発進できることなどが盛り込まれました。

 ところがこの計画、様々な不幸が襲います。当初搭載予定だったエンジンの候補3種類がことごとく開発キャンセル。紆余曲折の結果、試作機(Mk.I)には当時西側諸国では最大級の推力を持つGE製のJ75-P-3ターボジェットエンジン(現在のF-15並み)を2基搭載し、量産機(Mk.II)にはJ75の1.8倍の推力となる国産のオレンダ・イロクォイを開発し、搭載することとしました。また、滑走路が使えなくなっても大丈夫なように、ロケットブースターの力を借りてゼロ距離でも発進可能なランチャーまで構想されています。

アブロ・アローのゼロ距離発進システム(Image:カナダ国立公文書館)

アブロ・アローのゼロ距離発進システム(Image:カナダ国立公文書館)

 当時のジェットエンジンは燃費が悪かったため、要求を満たすために燃料タンクの容積を確保した結果、全長23mあまりという戦闘機としてはかつてない大きさになりました。同時代のF-100は全長15mほど、MiG-19が全長12.54mですから破格の大きさです。現代のF-15(全長19.3m)、F-22(全長18.2m)と比べてもひと回り大きいですね。地上高も高く、コクピット部分の下を人が立ったまま通ってもまだあまりあるほどの高さがありました。

アブロCF-105アロー1号機(Photo:RCAF)

アブロCF-105アロー1号機(Photo:RCAF)

 試作1号機(RL-201)が完成し公開されたのは1957年10月4日。1万3000人のゲストを招いて華々しく披露式典を行ったのですが、新聞ではあまり報じられませんでした。というのも同じ日にソ連が世界初の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げに成功したため、話題を全部そちらに持っていかれてしまったのです。世界に衝撃を与えた「スプートニク・ショック」の前に、カナダ初の国産超音速戦闘機も影が薄くなりました。

アブロCF-105アロー1号機の完成披露式典の様子(Photo:RCAF)

アブロCF-105アロー1号機の完成披露式典の様子(Photo:RCAF)


完成したアブロCF-105アローの1号機(Photo:RCAF)

完成したアブロCF-105アローの1号機(Photo:RCAF)

 運の悪さを持って生まれてしまったCF-105アローですが、1号機に続いてJ75搭載のMk.Iが3機(RL-202~RL-204)製造されました。性能面では、ハイパワーエンジンによって速度性能は高度5万フィート(1万5000m)で要求を上回るマッハ1.98を記録。数値上はマッハ2以上の速度を出せる可能性もある機体に仕上がりました。しかし、このマッハ1.98を記録した飛行で降着装置の油圧系統にトラブルが発生。このトラブルはその後の飛行でも起こったため、対策がとられるまで飛行試験は中断されてしまいます。

 このアローの開発が遅延する間に、カナダでは大きな変化が起きていました。1957年の総選挙でサンローラン首相率いるカナダ自由党が政権の座を追われ、代わってカナダ進歩保守党(現在のカナダ保守党)のディーフェンベーカーが首相に就任。政権交代時にはよくあることですが、これまでの政権下で行われてきた各種の施策が総点検されました。その中で注目されてしまったのが、スケジュールが遅延し、多くの予算を費やしていたCF-105アローの開発計画でした。

 その上ICBM(スプートニク1号を打ち上げたロケットは、ソ連のICBMであるR-7をベースにしたもの)の登場によって時代は超音速爆撃機から戦闘機では迎撃できない弾道ミサイルが主流となり、迎撃戦闘機CF-105アローの開発計画は1959年2月20日(金曜日)に中止がアナウンスされます。この頃、国産のオレンダ・イロクォイを搭載したMk.IIの1号機はすでに完成し、地上滑走試験を行って初飛行を目前に控えた状態でした。性能の全てを発揮することのないまま初の国産超音速戦闘機が夢と消えたため、カナダの航空工業界では、この日を「ブラックフライデー」と呼んでいたりもするようです。以降、カナダで国産戦闘機は作られていません。

 計画が中止になったのち、完成していた5機のCF-105アローはスクラップ処分に。そして関連資料も多くが破棄されてしまいました。一説には使用されている材料が特殊で、その情報がソ連側に渡るのを恐れたためとも言われます。スクラップ処分になったため、現在はRL-206の機首部分とRL-203の主翼の一部、そして1基のオレンダ・イロクォイがカナダ航空宇宙博物館に保存されているのみ。実戦配備されていたら1950年代最強の戦闘機だったろうと考えられていたにしては、いささか寂しい状態です。

飛行するアブロCF-105アロー(Photo:RCAF)

飛行するアブロCF-105アロー(Photo:RCAF)

 そんな悲運の戦闘機アローですが、開発中の1954年から1957年にかけてオンタリオ州プリンスエドワードのポイントピーターで、胴体設計の上で必要な超音速域でのデータを取得するために、センサー等を取り付けた1/8スケールのモデル(全長約3m)が作られ、ロケットの先端に取り付けられて飛行試験が行われていました。試験はオンタリオ湖に向かってロケットを発射し、試験モデルを超音速で飛ばしてデータを取得するという形。飛行したモデルはそのままオンタリオ湖に着水するのですが、回収はされませんでした。

 実機はスクラップにされてごく一部しか現存せず、開発関連資料も多くが失われているアロー。オンタリオ湖のどこか、平均30mの湖底に沈んでいる試験モデルは、カナダ唯一の超音速戦闘機に関する貴重な資料です。これを探し出し、湖底から引き上げようというプロジェクトが、民間から持ち上がりました。試験のために作られたモデルは全部で11機。うち2機はアメリカのバージニア州で試験され、ポイントピーターでは9機の試験モデルが発射されました。

 ポイントピーターではアローの他にも、ミサイル開発など多くの試験が行われ、湖底にはその残骸が眠っています。捜索は困難を極めました。1999年から2006年の調査では見つからず、2006年から2009年の調査でそれらしきものをソナーが捉え、回収しようとしましたが、失敗しています。2017年、改めて始まった調査では、カナダ海軍のダイバーやカナダ空軍なども協力し、捜索と回収に当たりました。

潜水調査艇を前に打ち合わせをするプロジェクトスタッフとカナダ空軍のスタッフ(Photo:RCAF)

潜水調査艇を前に打ち合わせをするプロジェクトスタッフとカナダ空軍のスタッフ(Photo:RCAF)


捜索・引き上げ作業を行うカナダ海軍のダイバー(Photo:RCNavy)

捜索・引き上げ作業を行うカナダ海軍のダイバー(Photo:RCNavy)

 そして2018年8月12日。ついにそれらしき三角形の翼を持つ物体をオンタリオ湖の底で発見。引き揚げに成功しました。

オンタリオ湖底から引き上げられた物体(Photo:RCNavy)

オンタリオ湖底から引き上げられた物体(Photo:RCNavy)

 およそ60年以上もの間湖底に沈んでいたため、表面には様々なものが付着しています。オタワにあるカナダ航空宇宙博物館で、慎重に付着物の除去作業が行われました。歯科用の歯石を除去する器具を使ったり、まるで考古学の遺跡発掘調査のようです。

 慎重なクリーニング作業が終わった8月24日、三角形の翼を持つ飛行機の姿が明らかになりました。機首部分は着水の衝撃で右方向にひしゃげており、同じく三角形の主翼も右側の一部が破壊され、欠損しています。垂直尾翼は当初からついていなかったようです。

クリーニングされたアローの試験モデル(Photo:RCAF)

クリーニングされたアローの試験モデル(Photo:RCAF)

 調査の結果、今回引き上げられた試験モデルは、1954年4月から10月にかけて行われた3回の試験飛行に使用されたものの1機と判明しました。しかしオンタリオ湖には、まだ8機のアロー試験モデルが沈んでいます。今回の発見をひとつのゴールとしながらも、捜索・引き揚げのプロジェクトは今も続いています。

Image:RCAF/RCNavy/カナダ国立公文書館

(咲村珠樹)