子どもを寝かしつけて、さてやっと自分の時間……と思ったら実はまだ寝てなかった!そんな育児あるあるな話、子育て世代には共感深いものと思います。静かに寝ていると思いきや、思いっきり目が合った時の様子の呟きに多くの人があるある!となっています。

眠っているはずの我が子をのぞくとき、眠っているはずの我が子もまたこちらをのぞいているのだ

_人人人人人人_
> 起きてる <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

 という、育児あるあるな様子をツイッターに投稿した林めぐみさん。林さんが娘さんの就寝後の様子を、まるで深淵を覗いてしまったかのような雰囲気でその一場面を呟きにしています。

 育児経験者な方々からは、「あるある」「分かります……!」「思わずひぃって声が出る……」といったリプライ、その様子を想像してつい笑ってしまったという人が続々。

 これだけだと、乳幼児を寝かしつけた後の「育児あるある」的な話なのですが、実は娘さんは13歳。4月から中学2年に進級する年齢。何も障害を持っていなければ思春期のあんな事こんな事もあるお年頃ですが、娘であるめいちゃんは生まれた時からの難病から、急変によって起こった低酸素性虚血性脳症を抱えながら今を生きる10代。

 めいちゃんは「新生児多発性血管腫」という、症例の少ない難病を持って生まれてきたのでした。生まれて数か月の間に命を落とす子も多いといわれている難病。全身の、内蔵の、ありとあらゆるところに血管が瘤のようにできてしまう難病は、めいちゃんの皮膚やお腹や脳にも血管の塊みたいな瘤ができてしまうことで、どこかの瘤が破裂しても命に直結しかねないものでした。

 そして、生後5か月の時に脳にできた血管腫を取り除き、安定したと思ったのもつかの間。やっと命の危機がさったと判断され退院の話が出始めた生後7か月の終わり頃、めいちゃんは思いもよらない急変で心肺停止したことが原因で脳にダメージを負い、重い障害が残ってしまったのでした。そのダメージは大きく、意思の疎通も困難。歩くことも、自力で体を起こすこともできない……。生き返った命にはあまりにもそのダメージは大きかったのです。母であるめぐみさんがめいちゃんにぐっすり寝て欲しい、と願うのは、その命が少しでも穏やかに安らいで、一日の疲れを残してほしくない……そんな祈るような気持ちもあるのでしょう。

 急変し、一度取り戻せた命。でもその時に関わった医師からは「今後成長しても、笑うこともできないかもしれない」といった辛い宣告。主治医として急変時に即座に対応できなかったこと、笑顔も健やかな成長も奪ってしまったかもしれないという自責も、もしかしたらあったかもしれません。

 しかし、めいちゃんは今ではたくさんの笑顔を見せてくれるそうです。大きな脳のダメージによって呼吸も困難なめいちゃんは、気管切開、痰が絡んでも出せないための気道吸引、夜間は人工呼吸器による呼吸管理が必要。その可愛らしかった声と引き換えに、一日いちにちを大切に生きています。

 食事についても、健常児と同じような食事形態は難しく、ペースト食なら飲み込むことができます。しかしそれだけでは子どもが必要とするエネルギーが不足するので、胃に直接栄養を入れる胃ろうによっての経管栄養も併用してのエネルギー補給をしています。

 めいちゃんは、発達検査の結果によれば生後8か月相当の発達段階と診断されているそうですが、「くだらない話しかけに笑ったり、逆に急に真顔になったり、人によって態度が変わったりするのを見ていると、本当のところどこまで理解しているのか知りたいような知りたくないような複雑な気持ちです…」とめぐみさん。

 はっきりとしたイエス、ノーの意思表示はできなくても、よく笑い、表情からご機嫌か、不機嫌かが分かるというめいちゃん。もしかしたら、もっと話しかけられている言葉を理解して、それに反応できているのでは……子の心親知らずなのか、はたまた親の心子知らず、なのか……。意思の疎通ができていても、心の疎通まではできないあたり、健康な体を持っていてもあまり変わらなかったりするのかも、と何となく思う筆者も発達障害児ふたりを抱える母。

 ただ、医療ケアが必要な面は親にとっては負担は大きく、そして、障害者絡みの事件が起こるたびに、意思の疎通もできなかったこの子に大きな負担をかけてまで命を繋ぐ判断をしたのは本当にこの子にとって良かったのだろうか?と気持ちが揺らぐことも、きっと、重度心身障害児・者の親であれば何度も思ったことでしょう。

 めいちゃんの日常は、めぐみさんとお父さんの強い愛情で成り立っています。中にはいるんです、先天性疾患や脳性麻痺など、医療的ケアが必要となる子が家族にできた途端に逃げ出す父親。筆者は、逃げて行く人を責める気はありません。自分の中で受け止めることができないのであれば、逃げるより他の方法はないでしょうから。一時期、重度心身障害者施設で働いていたこともあった筆者は、やはりそんな父親がそう少なくない事実に衝撃を受けたことがありました。そして思いました。

 「健康で幸せな家族って、もしかしたら奇跡の連続で成り立っているのではなかろうか?」

 めぐみさんが書いているブログ「ぼくらはみんな生きていく」の中で、最初にめいちゃんの大きな重荷を告げられたのはお父さんの方だったことが綴られています。そして、13年の間、二人三脚でめいちゃんを自宅でケアしながら、小さな喜びを見つけつつ日々を送れているのは、両親が同じ方向を向いて足並みを揃えることができているから。きっと、これからもずっと、ふたりの間でめいちゃんの命が笑顔で輝く日も続いていきます。

 めぐみさんは、「病気や障害のあるこどもとの生活は、苦労も多いのですが、今回ツイートのようなくだらないことで驚かされたり笑わされたりする、普通の子育てをされている親御さん達と変わらない部分もたくさんあります。
年々、ありがたいことにこの子たちと、家族を取り巻く環境がかわってきています。
色んな方が知ってくださり思いを寄せてくださることで起こった変化だと感じています。知ってください。そして、一緒に考えていただけたらうれしいです」とコメント。

 生きることの意味についてそれを問うのは、筆者自身はナンセンスと思っています。愛情の中で育てられた子は、愛情をたくさんの人に伝える事ができるのです。めぐみさんがお父さんと足並みを揃えてめいちゃんを育てる中で、同じ医療ケアが必要な人達に出会い、それぞれの家庭のそれぞれの子どもに対する愛情が交錯していくうちに、たくさんの人が命の重みと輝きに触れることでしょう。

 育てにくい子どもに愛情を注ぐことが出来ない……。子どもの事を正しく理解できていなかった時の筆者の正直な気持ちです。何度も「この子を育てても事件を起こすようになるのでは」と悲観し、行動に出たこともありました。でも、今は違います。上手く愛情を注ぐことができなかったのは、正しく理解できていなかったのと同じくらい、たった一人で、子どものことを大事に大事に考えすぎて、心がすり減って疲れてしまっていたのです。

 だからどうか、上手く子どもを愛せないと思う親、ケアが必要な子を産んで「私が生みたいなんて思わなければ」と自分を責めている親の皆さん、もっと身近な人にたくさん頼ってください。たくさん愚痴も泣き言も言っていいのです。みんな、たった一人だけで生きているわけではないのですから。困った時は、おたがいさま。

<記事化協力>
林めぐみさん(@megumeimusic)

(梓川みいな)