言語化できていない乳児に対し、何が正解なのか分からなくてオロオロしてしまう新米ママは多くいますが、0歳児の頃の記憶を持つ人が語った「乳児が泣く理由」に、ネット上では驚きの声とともに、乳幼児期の記憶を持つ人からも続々とコメントがよせられています。

■ 0歳の時の記憶

 この話は、漫画家の箱ミネコさんがツイッターに投稿したもの。

 「兄は大変記憶力が良く、0歳児の頃の記憶を持ってる。そして兄は大変『育てにくい赤子』でした。そんな兄に息子っちーが赤子の頃『夜泣きが酷い離乳食を食べない』の相談すると『俺が覚えてる限りでは…』とその時の『嫌な理由』と『こうして欲しかった』を話すので実践するとどれも正解で助かった!www」と紹介しました。

 お兄さんの記憶では、夜泣きの原因は「頭が痒い」から、離乳食イヤは「味が混じるのが嫌!」、さらに「芝生に足をつけるのを全力で拒否る」のは濡れた感じが嫌だったから。「着換えで暴れる」のは事前にどの部位を動かすか驚くから教えて欲しかった。「子守歌の途中で急にむずがる」は、お気に入りの歌をヘビロテ希望だった……などなど。

 お兄さんの話を聞いた箱さんは、さっそく緩めに絞った濡れタオルで息子さんの頭を拭いて、さらに乾いたタオルで優しく拭いてみました。すると、夜泣きで寝なかった息子さんがウトウトと寝落ちを……。アトピー家系で眠くなって体温が上がると、頭に汗をかいて痒くなっていたのが原因だったのだそう。

 そして離乳食も、単品の素材を軟らかく煮た物であれば確かによく食べてくれました。お兄さんの嫌だった時の記憶と原因が完全に一致……。

 この一連のツイートを見た人たちの大半は、乳幼児期の記憶があるのはすごい、子育ての具体的なアドバイスになりそう、といった声が。

 一方で、「0歳児の記憶で確実に覚えている一番古い記憶は生後2週間で、1歳上のいとこが顔を覗き込んでいるところ」といった具体的な光景を覚えている人や、「離乳食が嫌だったのは、口元を拭かれるタオルの匂いがくさいときがあった」という記憶を持つ人からの話も。

■ 0歳児でもちゃんと言葉は理解しているし嫌な理由もはっきりしている

 リプライには、まだまだ乳児期の記憶がある人からのエピソードが集まっていますが、共通しているのが、「0歳でも嫌だったり不快なこと」は原因と理由も含めて覚えている人が多いということ。

 乳児期で最初に覚える感覚は「快・不快」と言われていますが、その中でも特に「不快」と感じたことは記憶に残りやすいというのが、これまでのお兄さんの記憶やリプライでよせられた他の人からの話でも分かります。

 新生児からお世話をしていると、「お腹がすいた」と「オムツを替えてほしい」くらいは何となく察することができるようになってきますが、子がだんだんと成長していくにつれて、不快と感じることも増えていきます。しかし、まだ言語を習得できていない0歳児にとっては、泣くという手段でしか表現できません。

 多くの親は、言葉の獲得がまだの状態の子どもに対し、具体的に何が泣く理由となっているのかが分からないために暗中模索な状態で子育てを続けています。特に、感覚が繊細で不快に感じることが多い子どもは、「育てにくい」と言われてしまい、親にとっても育児ノイローゼの原因ともなりえます。

■ お兄さんが「育てにくい子」だった理由

 箱さんに、お兄さんのことについていろいろとお話を聞いてみました。ご両親曰く、「とにかく神経質で育てにくかった」そう。

 幼年期の見た目は女の子のようで天使のようにかわいらしく、物知りで成績優秀。神童とも呼ばれていたそうですが、その反面、幼稚園時代は「頑なな通園拒否」。小学校時代は「登校拒否」だったのだそう。その理由が、「子供扱いされるのが度し難かった」というもの……。

 幼少期から絵を描くことや物を作ることが好きだったというお兄さんの絵は写実的で、記憶力の良さも関係していそう、と箱さん。現在は2004年カンヌ映画祭で「若い視点賞」を受賞した経歴を持つ映像作家さんです。

 神経質で子ども扱いを嫌がるお兄さんは、ご両親からしてみたら確かに「育てにくい」と感じることも多かったと思います。どうしたらいいのかが分からないことも多かったかもしれません。

 しかし、成長するにつれ、何が得意で何が苦手かがはっきりするようになってからは、得意なことは小学生時代からこなし、どうしても苦手なことは妹である箱さんに頭を下げてまで代わってもらう、という子ども時代だったようです。

■ 得意を伸ばし、苦手と上手に付き合えるようになってからは……

 今でも、とても神経質で潔癖症気味なお兄さんですが、人付き合いは苦にならず、社交的な性格だそう。個性的なお兄さんは、自分の得意と苦手を内面的に分析し、得意なことを伸ばすことによって映像作家という今の位置に立つことができたのでしょう。

 神経質な人は他人に対しても、良い部分よりも悪い部分に目が行きやすく、結果的に人付き合いが苦手となってしまうことも多いのですが、お兄さんの場合は、その神経質なところに上手く折り合いをつけ、人付き合いを楽しむ方向に考え方をシフトできた結果、多くの友人に恵まれるという今の状態を作り出すことができたのかもしれません。

 そして神経質な部分は生活リズムにも影響しているようで、「睡眠不足に弱く夜は早く寝て早く起きキッチリした性格なので食事の時間とか日常ルーチンはぴっちり同じですw」との話。

■ 「特殊扱い」しなかったご両親と個性の強いお兄さん

 箱さんによると、「独特のこだわりが強く特に教育熱心ではない両親のもとで何故か成績優秀で、家系的には両親とも職人の家系なので兄のような神経質な子供は多かったため特に『特殊扱い』されず伸び伸び育てられたと思います」と、生育環境を振り返っていました。

 お兄さんにとって、自分と他の子を比べられることなく、ありのままの状態で受け入れてくれるご両親は、ご自身の才能を認めて伸ばしてくれる存在であり、育てにくくても否定せずに受け入れてくれるご両親に安心感を覚えていたのではないでしょうか。

 箱さんも、そんな個性的なお兄さんを「私は全く『凡庸な子供』でしたので規格外で個性的な兄のことを子供の頃から『面白い人だなぁ』と観察して楽しんでました」と語るほど。創作好きという共通項目以外、ぶつかる部分もないため、兄妹喧嘩もなかったのだそう。

■ 非凡な人にはワケがある

 0歳児の記憶を持つ、非凡な記憶力の持ち主のお兄さん。その非凡さの裏にある極度とも言えそうな神経質さと潔癖症は、平坦で平均的な凡人にはない、大きな凹凸を感じます。その凹凸のへこんでいる部分(お兄さんにとっての神経質で潔癖な部分)と折り合いをつけながら、とがっている部分(記憶力が良く創作に向いている)を伸ばせる環境があったから、今のお兄さんが「神経質で社交的」な人に成長したのでしょうね。

 そんなお兄さんのエピソードも、箱さんのブログや単行本に時々出現していますよ。

<記事化協力>
箱 ミネコさん(@hakomine)

(梓川みいな)