コミュニケーションも知力も問題ないのに、車いすで移動しなければならないというだけで他の子どもたちと同様に学校に通えない不利益を、30年くらい前に積極的に解消した小学校があります。
「子供の頃通った小学校、ある時たったひとりの車椅子の入学生の為にエレベーターやスロープをつけた。結果、体調不良者、骨折した子、荷物の運搬、にも使われ、後に何人も障害のある子が入学し、その子達の為にもなった。あの時、バリアフリー化がたったひとりのためで終わらない事、教えてもらった」と、その小学校の思い出をツイッターに投稿したのは、自身も重症心身障害児を子育て中の、林めぐみさん。
この思い出を目にした人たちからは、「部活中に骨折してギプスになった時、階段の昇降がすごく大変だった」という声、「ユニバーサルデザインは、みんなが楽になることですよね」という声、「学校生活の途中で車いすとなった子がいた時に、彼一人のためにスロープと教室までの階段に簡易リフトを、すぐ設置した公立中学があった」などなど、様々な声がリプライに寄せられています。
反対に、「体調不良でもエレベーター使わせてくれない」「たった一人のために(トイレの個室ひとつを洋式に)改装することなんか出来ない、と言い放った先生を思い出しました。今でも悲しい…」「車椅子で通学するも毎日のようにパンクさせられてて、いじめっ子の仕業と思いきや犯人は(担任ではなく別の)先生だったという情けない学校も……」といった、無理解な大人もいたという声も……。
子供の頃通った小学校、ある時たったひとりの車椅子の入学生の為にエレベーターやスロープをつけた。
結果、体調不良者、骨折した子、荷物の運搬、にも使われ、後に何人も障害のある子が入学し、その子達の為にもなった。
あの時、バリアフリー化がたったひとりのためで終わらない事、教えてもらった。— 林めぐみ (@megumeimusic) July 12, 2019
この小学校が一人の児童のために、校内外のバリアフリー化を行ったのは、林さんが小学生の頃、1990年代辺りの時だったのだそう。当時からその小学校は、障害がある子どもとない子どもが、できるだけ同じ場で共に学ぶ(=インクルーシブ)雰囲気があったそうで、当時としては数少ない特別支援級や、知的障害児との交流なども盛んだったのだそう。今もその校風は受け継がれているということです。
林さん自身も、知的障害の子や車いすの子と遊んだり、一緒に登校したりなどして楽しかった記憶が残っているとのこと。子どものころのこういったインクルーシブな体験は、のちに障害を障害とせずに「個性」ととらえ、物理的・精神的なバリアの無い考え方をはぐくむことにつながっていきます。
筆者が通っていた小学校も、当時としてはかなり少ない特別支援級があり、軽度知的障害や、ダウン症の子などがちょっと遠くの校区からも通ってきていました。しかし、校舎自体はその時から既に古く、車いす用のスロープまでは外に付けることができても、校内を改造するのは困難な様子でした。それでも、多様性についての教育には力を注いでおり、養護学校の子たちとの触れ合いの機会を設けるなどしている学校でした。
今では、特別支援級も知的障害、情緒障害と分かれてクラス編成が行われており、支援級の数自体も増えてきましたが、校舎内のバリアフリー化はまだまだといったところ。学校の表玄関にスロープは付いているものの、車いす用に使えるトイレも、エレベーターの設置もままならない学校が多いのが現状です。
校舎の老朽化や改造工事にかかる費用などの問題もあり、さらにエアコンを全校舎に早急に設置することも急務とされている現状、なかなかバリアフリー化への道のりは長い様です。しかし、先のツイートにもあるように、バリアフリーにすることは、誰もが使いやすくなること、一人だけのためでなく、全てのひとにつながっていくこと。今だけでなく、その先を見据えた取り組みとなるのです。
車いすで生活していても、他は自立していて普通学級に通う子と何ら変わりがないのであれば、普通学級で等しく学ぶ機会を持てるよう、環境を整えていく事が、全ての大人にできる事なのではないでしょうか。
<記事化協力>
林めぐみさん(@megumeimusic)
(梓川みいな)