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祖父が残した「匂いガラス」戦争の記憶を伝える品だった

update:

 幼いころ「匂いガラス」、という不思議なガラスを祖父から譲り受けたことがあります。透明だけども、名前通りに匂うことはなく。「あれって、結局なんだったのだろう……」と、大人になっても疑問のままだったので、こうして文章にすることをきっかけに調べる事にしてみました。

  •  この「匂いガラス」、初耳の方にとっては烏(カラス)か、硝子(ガラス)か迷ってしまうくらい耳なじみがないものかもしれません。現物は見たことがなくても、小説やマンガ、昔のテレビドラマや歌で知っているという方もいらっしゃるかと思います。

    ■ 真偽不明の祖父の話

     筆者がまだ子供の頃、千葉県に住んでいた祖父のもとへ遊びに行った時のこと。祖父の机には様々な思い出の品がしまわれている宝箱のような引き出しがあり、その中から少しいびつなハート型のものを取り出し、渡してくれました。

     厚さは約1cmほど。プラスチックのような質感で、厚さの割には非常に軽く、表面にはいくつかの目立つ傷があり、全体的にサンドペーパーで擦ったようにうっすらと白濁していましたが、元々は無色透明であることが分かるものでした。ハートの形が少しびつなのは、満足な道具がない時代だったからと説明してくれたような気がします。

     祖父には失礼ながら、孫への贈り物にしては粗末に見えたのですが「これは『匂いガラス』といって、飛行機の窓から作ったんだ。擦ると良い匂いがするんだぞ」という説明に一転して大興奮。にわかには信じがたい、センセーショナルな出どころの魔法のようなアイテムではありませんか。

     お礼もそこそこに、すぐに畳に擦り付け匂いをかいでみました……が、匂いません。親類たちは経年劣化で変質しているのではないかと言いながらも、どこか期待していたようで、最初は黙って見守ってくれていたのですが、いつまでたっても取り憑かれたように擦り続けている姿を見かねて、コンクリートのような硬くて粗いものに擦りつけるか、火で炙ってみるように助言してくれました。

     火で炙る!?

     意外なアドバイスに驚きながらも、大人の言うことなので、きっとそういうものなのだろうと納得。ところが、別の親類から「子供に火なんて使わせたらおいねっぺ」と房州弁で物言いがついてしまい、火を使うことを止められたのでした。この「おいねぇ」というのは「いけない」とか「ダメ」という意味ですが、東京で育った私は当時は意味がわからず、きょとんとしていました。

     コンクリートで削るのは傷がつくので躊躇われ、何か別の方法を考えると宣言すると祖父は素敵な箱を渡してくれました。そこに書かれていたアルファベットは、当時はまだ理解できませんでしたが、外国のものでした。

     中身は入っておらず、外側はおそらく革製で、内側には紅色のビロードが貼られていて見るからに高級そうです。箱の留め金は元々は2つあったものを、どういう経緯かわかりませんが、祖父が自分で1つに 直したと言っていました。

    外側の見た目は傷んでいましたが、海外の文字が刻まれた宝石箱のような趣のあるケース。ハート型の匂いガラスを収めると、それはもう嬉しくて嬉しくて有頂天……というところまでが当時の記憶です。

     その後、思いついては木や缶など、傷がつきづらそうな硬いもので試してみたのですが一向に匂いはせず、思い切ってライターも使ってみましたがダメでした。

     もしかすると、飛行機の窓から作ったものではないのかもしれない、という疑念が脳裏をかすめましたが、仮にそうだったとしても、祖父が思い出の品を分けてくれたことに満足していたので、たまに思いついては引っ張り出して眺めたり、どんな匂いがするのかを想像して楽しんでいました。

     しかし、小学校を卒業する頃には、あれほど興奮して受け取ったはずの品なのに、薄情にもいつの間にか思い出すことすらなくなってしまったのでした。

    ■ 飛行機は飛行機でも「戦闘機」のものだった

     今回、久々に思い出して調べてみたところ、匂いガラスの正体は一般的なガラス(無機ガラス)ではなく、第二次世界大戦中に戦闘機などのために製造されたPMMA(ポリメチルメタアクリレート)という、当時は有機ガラスなどとも呼ばれていた「アクリル樹脂」でした。

     使用されていたのは、コクピットを覆う風防部分。物がなかった戦争当時の子供たちにとって、擦ると良い匂いのするこの風防の破片は宝物だったということも同時に知りました。

     もらってから一度も「匂いガラス」という言葉を見聞きすることがないまま過ごしてきたので、存在自体を疑い始めていたところがあったため、作り話のような祖父の話が寸分違わず事実だったことに驚き、ただの飛行機ではなく戦闘機であったことは衝撃でした。

     匂いがするのは、加工技術が未熟なために含まれていた不純物が原因とのことで、現在の技術で作られたアクリル樹脂は質が良くなっており、擦っても当時のような匂いはしないのだとか。祖父が手に入れた戦争当時、完璧とはいえない材質の風防で覆われた戦闘機に乗り込み、墜落という状況から察するにパイロットが絶命している可能性が高い中で、子供たちが宝物にするための破片を無邪気に探している光景を想像すると胸が詰まります。

     祖父の引き出しには、第二次世界大戦出兵時に、戦地で上官からもらったという菊のご紋入りの煙草を吸わずに持ち帰ったものも入っており、今ならどれほど大切なものが保管される場所だったのか察しがつきますが、当時の筆者は幼すぎました。

     火で炙ってみるように助言してくれた親類たちは、子供時代を戦火の中で過ごしたはずです。風防が炎の中で匂う様子を見聞きしたことがあったのでしょうか。そうだとしたら、「やっちゃうのかい?(あげてしまうのかい)」と祖父の行為に水を差した親類がいたことも理解できます。

     あの場で「戦闘機」という言葉を使わなかったのは、祖父なりの配慮だったのかもしれません。

     匂いガラスと一緒に渡されたケースは、そのラベルから世界一のハーモニカーメーカーと称されるドイツの老舗ブランド「ホーナー」のハーモニカのものであることが分かりました。「Echo」というのは商品名。赤いスタンプで「CG」とあるのは、このハーモニカが出せる音階を示したキー(C=ハ長調とG=ト長調)です。ドイツ語が刻まれているので、おそらく輸出用ではなく、ドイツ国内で販売されたものなのではないかと思われます。

     私が調べて見つけられたのは、英語圏に残されたヴィンテージものだけで、祖父からもらったような、内側が紅色のヴェルベットで、外側の革にドイツ語が刻まれた箱の製品は見つけられませんでした。英語圏に残る品と比較すると、祖父が持っていたものは箱の造りからしても、このブランドの中の高級品だったのではないかと思われます。

     中に入っていたハーモニカはどこにいってしまったのか、ドイツの高価そうなハーモニカが、なぜ日本の庶民である祖父のもとにあったのか、ハート型の匂いガラスをどこで、どんな経緯で手に入れたのか。入手が平和な時代のものではなかったことを知ると、次から次へと疑問が湧いてきます。

     祖父は何故、当時を知る自分の娘や息子、筆者よりも状況を理解できる年上の孫もいた中で筆者を選んだのでしょう。答えはいつかあの世で祖父に再会して確認するしかなく、世界中の情報を瞬時に集めて疑問を解決してくれるインターネットにもありません。

    ■特攻隊員が託した「匂いガラス」

     茨城県笠間市には、かつての筑波海軍航空隊司令部庁舎が「筑波海軍航空隊記念館」として保存されています。戦後に県立病院の建物となり、現在まで取り壊しを免れてきた、貴重な旧海軍の遺産です。

     ここに、特攻隊員が文通相手の女学生に贈った、匂いガラスで作られたペンダントがあります。戦争当時、兵隊さんたちを元気付けるため、各地の学校で文通が推奨されていました。そうした女学生だった方から寄せられた品です。

     文通を続けた2人が直接会う機会はなかったそうなのですが、展示されているペンダントは、最後の手紙に同封されていたとのこと。ペンダントを贈った方は1945年4月6日、鹿児島県の鹿屋から特攻隊として出撃し、戦死されたそうです。風防の匂いガラスで作られたペンダントは、自分が乗る戦闘機の形をしたものと、女学生と自分のイニシャルを組み合わせたハート型のもの。形見代わりに贈ったものだったのでしょう。

     ひょっとしたら祖父の匂いガラスも、そのように死を覚悟し、誰かに託すために作っていたものだったのかもしれません。

    ■同世代でも「匂いガラス」を知らない人も

     その後、たまたま新潟の山奥で生まれ育ったという年配の方とお話をする機会があり、匂いガラスについてお尋ねしてみたところ「見たことも聞いたこともない」との意外なお返事でした。戦時中に子供時代を過ごされた方なら、どなたでもご存知のものと思い込んでいましたが、戦闘機が飛び交い、爆撃を受けた地域で生き残った方たちだけの記憶に留まることなのだとしたら、いずれはこの世から消えてしまう「庶民の戦争」の記憶のように感じます。

     あの頃よりも多少の知恵がついたことを、祖父に知らせることは叶いませんが「匂いガラス」の存在を知らない方たちに、その存在と由来の記憶を残すことができたら、ハート型という印象的な形にして残してくれた祖父も喜んでくれるかなと思いを馳せるのです。

    (文:佐伯プリス / 編集:咲村珠樹)

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