売れる仕組みを作るお仕事「マーケティング」。

 一見しっかりしていてカッコ良さそうに感じられるこの職種ですが、実は定義づけが曖昧で、なおかつ担当する仕事内容は多岐にわたります。また、「業務の“定型化”が出来て上がっていない(作りにくい実情もありますが)」、さらには「解禁前情報を取り扱っている」など機密性ある業務を遂行している場合が多く、事情をしらない他の部署からは「この人達なにしてんの?」と白い目で見られることもしばしば。つい孤立をしてしまいがちです。

 とはいえ、近年の日本企業でもマーケティングを重視し、経営戦略の根幹に据える動きも広がっています。が、それもまだまだ少数派。さらに、多くの企業はそれに対しての評価基準もまた曖昧で、やっている業務に理解を持たれずに、悩むマーケティング担当者(以下、マーケター)の方も多いのではないでしょうか。

 筆者はライターである一方、現役のマーケター。そんな私が、「ああ無情」と感じられずにはいられなかった仕事風景のひとコマたちをご紹介したいと思います。

■ ケース(1):「君、遊んでるの?」

 まず最初は、多くのマーケターが経験あるだろうこの言葉。これを言われて、心の中で思わず「ビキビキ……」となってしまった方も多いのでは。

 確かにマーケティングという仕事は、例えば営業のように取引先に訪問して、商談するといったような「体系化」に加え、対外的に「見える化」がなされたものは多くありません。その上、やった仕事に対して、前述の営業のようにすぐに数字(売上)に繋がるといった業務でもありません。

 とはいえ、現代日本でもいわゆる「デジタル化」が進み、諸外国と同様に、今までの営業領域だけでの「販売促進活動」だけで、売上に直結するほど甘いものでもありません。

 なので、冒頭述べた「企業としてマーケティングが重視されるようになってきている」という堂々巡りな話なのですが、そこでよくあるのが、分からないゆえに、「遊んでるんじゃないの?」といったことを陰でコソコソ言われるというケース。

 これはマーケティング職だけに限った話でもないのですが、「分からない」という表現をされること自体は致し方ない面もあります。しかし、「仕事ですらない」といった意にも受け取られるこれは、プロフェッショナル意識をもって従事している担当者にとってはなかなかに屈辱的。それも直接言わずに、陰で言われるとその想いも一層です(だからといって、直接言われるのもいい気分はしませんが)。

 ではどうするか?

 と考えてみると、結局のところは「結果を残して黙らせる」が最適解なのですが、そもそもこういった理解のない人間がいると組織は腐り、企業やブランドの更なる発展は到底見込めないことは理解してほしいものです。

■ ケース(2):「それ、何の意味があるの?」

 続いては、主に企画関係のお仕事をやっている方だと、何度か耳にしたことがあるかもしれないこの言葉。

 そもそも「企画」というのは、担当者(プランナー)が他社と被らないように、必死に知恵を絞り、外部のデータをかき集めて「立証化」させて立てたものであるものが大半。そうして運命の商品開発会議で、お偉方に対し、プレゼンをするのですが、それに対してこれを言われると、なかなか心に来るものがあります。

 しかしながら、これについては「言われる側」も事前対策が必要だったりします。私もそうでしたが、企画というのは、あくまでも「その商材の価値が上がるか否か」が全て。よくありがちなのが、担当者の嗜好が反映され過ぎて、いわゆる「バイアス」がかかった企画になってしまうケースです。

 これは、弊社おたくま経済新聞の記事についてもいえることなのですが、「メディア」と言うのは大小様々な媒体が存在し、その中で、オリジナル性・付加価値・差別化などといった「独自性」を出すことが成果(PV数など)に繋がってきます。特に弊社のような「小」に位置づけられるメディアは猶更です。

 その中で、個人の得意分野という名の「嗜好性」は、独自性を導き出す解決方法にもなるのですが、一方でメディアも「客商売」のため、「見る側」というお客様を意識することもまた大切。

 例えばおたくまですと、「猫」と「ミリタリー」に強みを見せるメディア。当然、そこを重視するのは第一です。さらに「おたくま」というワードの通り、「オタク心」をくすぐるようなネタを見つけることもまた、「おたくま経済新聞」という商品価値を高めていくことには不可欠。私もそういったことを念頭に入れながら、日々ネタ元を探し、記事にしていっています。

 企画に関しても、そうしたことも鑑みて立てるもの。加えて、相手に「価値がある」ということを伝える「熱」も大事。余談ですが、かつて私も、とあるアニメとコラボをする話が上がり、その企画を通すために、自分よりも一回りも二回りも年の離れた役職者たちと対峙(プレゼン)する機会がありました。

 ちなみにそのアニメは、いわゆる「深夜アニメ」で、先ほどの方たちには接触機会の少ないジャンル。ということで、「やる価値がある」と私がちゃんと実証し判断した企画だったとしても、それを決裁者たちに伝えきるということが重要。そうでないと全くの無意味で、ただの自己満足に過ぎないのです。

 結果として、その私の「熱」は伝わり、企画は実行に移されたわけなのですが、先ほど仕事の「意味」というのは「意義」に差し替えても差し支えないもの。「それ、意味あるの?」というのは、反芻して、常に自分自身にも問いかけ続ける必要もあります。

■ ケース(3):「俺(私)は認めない!」

 最後はこれでいきましょう。先ほどの(1)や(2)をクリアした方でも、言われたことがあるかもしれないこの言葉。受け止め方によっては「嫉妬」にも感じられるこの言葉ですが、まさに今回の「ああ無情」の最たるものでもあります。

 別に経済番組の受け売りや、私自身の個人的な経験を言っているわけではありませんが、結果を残した人間に対し、別の要素(個人の好き嫌い)などで、「俺(私)は認めない」という話は悲しいかなチラホラあります。これは先ほどの「バイアス」の最たるものでもあるのですが、人間同士のやり取りだからなのか、あってほしくないけど「あるあるネタ」なのです。

 ちなみに私はこういったときによく思うのは、「認められるべきは誰なのか」という点です。企業に所属すると、当然評価者にあたる人間に認められれば、昇進・昇給に繋がり、それにより生活も豊かになるのでとても大事な要素です。

 一方で、認めてもらわなければいけない存在がもうひとつあります。それはユーザーという名の「大衆」です。

 商材というものは、結局「使う側」のユーザーに認めてもらうか否かで、「売上」という結果に繋がります。なので、そこ(売上)に好影響を与えた時点で、究極的に認められているわけで、そこに「俺(私)は認めない」という「意見」など空虚なもの。戯言に過ぎません。

 逆に言えば、「大衆からNO(売上減)を突き付けられている」のに、「社内で認められるからOK!」というのは元来おかしな話です。そもそもそんな企業に未来はありませんが、実は後者は組織の中ではあるあるだったりします。

 ということで、私が言いたいのは「自分がやったことに対して、どう見られているのか」というのを幅広い視点で見ることです。特に私は「野に放たれた人間(色んな業界を経験した人間)」というのもありますが、「自分って案外色んな人に見られているな」と感じることがよくあります。そしてその人たちの声の方が「リアルさ」を実感することもしばしば。その人たちは「会社」というバイアスがかかっていないために、率直にモノを申してくれるのです。

 もし、自分の実績に自信があるのに、社内の評価に納得できない人は、守秘義務に抵触しないレベルで、周りの人に自分を見てもらうこともいいですよ。

■ さいごに

 ということで、今回は普段仕事をしている際の悲哀な話をまとめてみました。
 
 実際私も、心無い言葉や、数え切れない没企画を経験しながら何とか日々を過ごしているわけですが、こうして文字を起こすだけでも、当時の鬱屈した思いに沸々と燃えるものをグッと抑えながら執筆しています(笑)

 とはいえ、私はまだまだ“ペーペー”の若輩者。内心イラっとしながらも、そうした声にも程々に耳を傾け、「軌道修正」をしたり、ヒントを見つけることもまた大切な要素でもあるかと思います。

 ちなみに今回書いた内容は、基本的に「新しいこと」をする際に遭遇する“アクシデント”でもあります。そしてそれは後々振り返ると、「私が企てたことを実行すると、言ってくる相手にとっては何らかの影響を受ける」場合に発生する事案でもあります。

 というわけで、もしこれらに遭遇したら、「特殊イベントキター!!!」くらいに受け止める方が健全なのかもしれませんね。

(向山純平)