こんにちは、咲村珠樹です。今回の「建物萌の世界」は、ちょっと鉄道趣味的に素敵な駅舎をご紹介しましょう。
ファッションの町、そして明治神宮の玄関口として知られる原宿駅。
1924(大正13)年築のこの駅舎は、都内において現存最古の木造駅舎です。設計したのは、当時鉄道省の若手技師だった長谷川馨。
1997(平成9)年には、東京駅や上野駅、夏冬のコミックマーケット等で利用される、りんかい線の国際展示場駅などと並んで「関東の駅百選」に選ばれています。
外観上の特徴は、柱や梁など建物の構造材を外壁から露出させた「ハーフティンバー」という様式ですね。前回ご紹介した、自由学園明日館で採用されている木造枠組壁構法とは違い、日本家屋のように柱と梁で軸組を行って、柱の間を石やレンガなどで埋めて壁を造る……という工法。主に西ヨーロッパ北部のフランスやドイツ、イギリスなどでよく見られる伝統的スタイルです。日本でも結構人気があり、別荘やペンションなんかでこんなデザインの建物を見かけることがありますね。
そしてもうひとつ、この駅舎を特徴づけているのは、かわいいデザインの塔屋です。
いわゆる換気塔(ルーバー)のような用途らしいのですが、八角形をしていて銅板葺き。鎧窓は木製です。車寄せ側(1枚目の写真の側)など、現在は様々な改修がなされているのですが、創建当初の屋根もおそらくこの塔屋と同じ銅板葺きだったんじゃないでしょうか。
白漆喰と化粧レンガの壁面と、焦茶色の構造材の織りなすコントラストが美しいですね。
ホーム側から見ると、ハーフティンバーの構造美がよく判ります。
ちょっと古い旅館なんかでも、こんな感じの所があったりしますね。このハーフティンバーが、日本でデザイン的に好まれるのは、日本家屋の構造に似ているからなのかもしれません。
軒を支える部材や軒先に、さりげなく装飾が施されてますね。正面側には、窓のような装飾が。その上にある金具で、かつて「原宿駅」という看板がこの場所に掲げられていたことが推測できます。
時計の周囲にはツタの装飾、そして目立ちませんが、入り口のひさしにはこんな装飾も付いています。
また、入り口の上と改札口の横には、ステンドグラスが。
さりげなく、シンプルながらも、大正末期のモダンな装飾性がうかがえます。
ところで、原宿駅には我々一般市民が利用することのできない施設が存在しています。
この駅舎から代々木方面に数百メートル進んだ先に見えるホームと施設。原宿駅側部昇降場、通称「宮廷ホーム」です。
いわゆる「お召し列車」発着専用ホームで、駅舎ができた翌年の1925(大正14)年に造られました。当時病気療養中だった大正天皇が、沼津や葉山の御用邸に向かわれる際、発着する列車が増えていた東京駅を利用するのは負担が大きいとして、同年まで行われていた明治神宮造営工事での資材搬入用の線路を転用し、設置されました。ご覧の通り、入り口からホームまで段差がなく、ホームまで車で乗り入れ、そのまま列車に乗れるように配慮されています。
シンプルながら、大正末期の雰囲気をそのまま残すホーム。ここを発車したお召し列車は、埼京線(山手貨物線)に乗り入れ、湘南新宿ラインのルートで東海道本線(沼津・葉山・須崎御用邸方面)や東北本線(那須御用邸方面)に向かうようになっています。完成後、試運転などを経て、1926(大正15)年8月10日に大正天皇が須崎御用邸で御静養になる際運転されたお召し列車で、初めて利用されました。
大正天皇が利用されたのは、この時だけでした。この年の12月25日、静養先の葉山御用邸で崩御されたので、この「宮廷ホーム」には御霊柩列車(御還行用列車)が到着することになります。この後、昭和時代には度々利用されていましたが、平成に入ってからは新幹線の利用などが増えてお召し列車の運転が減り、2001年5月の運転を最後に、このホームは利用されていません。
大正時代の雰囲気を今に残す原宿駅。明治神宮の森を背にして、今日も多くの若者が利用しています。
※「宮廷ホーム」は立ち入り禁止です。写真は敷地外から撮影したものです。
【文・写真:咲村 珠樹】
某ゲーム誌の編集を振り出しに、業界の片隅で活動する落ちこぼれライター。
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